最近少しではあるが、私のブログを読んでくださる人がいるようです。
大変有り難い事で、感謝します。
しかし、私のブログの内容が「辛辣」であると言うコメントを頂くのですが、辛辣と言われる事自体は特別気にはしないのですが、「非常に残念」に思います。
私の本音としては、「この程度では物足りない」と言うレベルです。
「ぬるま湯にドップリと首まで浸かった様な今の日本」では、確かに辛辣かもしれません。
しかし、「私の意見が辛辣と言われるような国」では、「明るい未来」など期待できないのでは?。
私は、日本に生まれ、日本で育ちましたが、「物事の考え方」は日本人とは違うようです。
過去に、バングラディシュ、フィリピン、タイ、日系ブラジル2世、3世、中国などの人々から、「あなたは日本人らしくない」と言われた事が何度もあります。
これらの人々は、「意向同音」の様に「日本人は人種差別をする」「目先の事しか考えない」等と言います。
私から見ても同じ様に感じるのです。
「万一の時に備えて、近隣諸国と仲良くすればよい」と言う話を耳にしますが、その様な事が日本人に出来るのだろうか?。
私のブログが辛辣だと言われている様では、「とても無理」ではないだろうか?。
今でも、香港の日系企業で働いている中国人の友人から国際電話がかかってくる。
彼の話の中に、日本の本社から香港に赴任している日本人の話が出てくる。
彼の話では、仕事に関する話はよいのだが、それ以外の話になると「レベルが低くて困る」と言うのである。
国際的な話などは、余り話したがらないと言うのである。
彼は、バブルの頃に日本の大学で勉強しているのだが、「あの頃はこんな事はなかった」と言っている。
この事は、私自身も「痛感」している事である。
私の周囲にいる人たちは、殆どの人が「少し難しい話」になると、嫌がって話をしなくなる。
「目先の欲得」にしか考えが及ばないのである。
「目先の欲得に目が眩んでいる」と、その先の「落とし穴」に嵌まらないとも限らない。
お蔭様で私の場合は、「幾つかの落とし穴」を避けることが出来ました。
一つでも落ちていたら、今のような「平穏な暮らし」は出来なかったでしょう。
すべての人がそうだとは言いませんが、「ワーキングプア」と言われている人たちの中には、「自らの判断ミス」と言える人がいる様に思います。
私の場合だって、一歩間違えば「ワーキングプア」になっていた可能性は十二分にあったのですから。
後になって考えた時、「欲をかかず、高望みをしなかった」事が、良い結果をもたらしたように思います。
私のブログを「辛辣」と感じている様では、「平穏な暮らしは望み薄」ではないかと思うのですが。
これはチョット辛辣過ぎたかも知れませんね。
大変有り難い事で、感謝します。
しかし、私のブログの内容が「辛辣」であると言うコメントを頂くのですが、辛辣と言われる事自体は特別気にはしないのですが、「非常に残念」に思います。
私の本音としては、「この程度では物足りない」と言うレベルです。
「ぬるま湯にドップリと首まで浸かった様な今の日本」では、確かに辛辣かもしれません。
しかし、「私の意見が辛辣と言われるような国」では、「明るい未来」など期待できないのでは?。
私は、日本に生まれ、日本で育ちましたが、「物事の考え方」は日本人とは違うようです。
過去に、バングラディシュ、フィリピン、タイ、日系ブラジル2世、3世、中国などの人々から、「あなたは日本人らしくない」と言われた事が何度もあります。
これらの人々は、「意向同音」の様に「日本人は人種差別をする」「目先の事しか考えない」等と言います。
私から見ても同じ様に感じるのです。
「万一の時に備えて、近隣諸国と仲良くすればよい」と言う話を耳にしますが、その様な事が日本人に出来るのだろうか?。
私のブログが辛辣だと言われている様では、「とても無理」ではないだろうか?。
今でも、香港の日系企業で働いている中国人の友人から国際電話がかかってくる。
彼の話の中に、日本の本社から香港に赴任している日本人の話が出てくる。
彼の話では、仕事に関する話はよいのだが、それ以外の話になると「レベルが低くて困る」と言うのである。
国際的な話などは、余り話したがらないと言うのである。
彼は、バブルの頃に日本の大学で勉強しているのだが、「あの頃はこんな事はなかった」と言っている。
この事は、私自身も「痛感」している事である。
私の周囲にいる人たちは、殆どの人が「少し難しい話」になると、嫌がって話をしなくなる。
「目先の欲得」にしか考えが及ばないのである。
「目先の欲得に目が眩んでいる」と、その先の「落とし穴」に嵌まらないとも限らない。
お蔭様で私の場合は、「幾つかの落とし穴」を避けることが出来ました。
一つでも落ちていたら、今のような「平穏な暮らし」は出来なかったでしょう。
すべての人がそうだとは言いませんが、「ワーキングプア」と言われている人たちの中には、「自らの判断ミス」と言える人がいる様に思います。
私の場合だって、一歩間違えば「ワーキングプア」になっていた可能性は十二分にあったのですから。
後になって考えた時、「欲をかかず、高望みをしなかった」事が、良い結果をもたらしたように思います。
私のブログを「辛辣」と感じている様では、「平穏な暮らしは望み薄」ではないかと思うのですが。
これはチョット辛辣過ぎたかも知れませんね。