へそ曲がりおじさんのひとり言

常識にとらわれるのが嫌い。
他人と同じ事が嫌い。
世の中、別な角度から見ると新しい物が見えるから。

私のブログに付いて少し

2007年10月20日 04時48分41秒 | Weblog
最近少しではあるが、私のブログを読んでくださる人がいるようです。
大変有り難い事で、感謝します。
しかし、私のブログの内容が「辛辣」であると言うコメントを頂くのですが、辛辣と言われる事自体は特別気にはしないのですが、「非常に残念」に思います。
私の本音としては、「この程度では物足りない」と言うレベルです。
「ぬるま湯にドップリと首まで浸かった様な今の日本」では、確かに辛辣かもしれません。
しかし、「私の意見が辛辣と言われるような国」では、「明るい未来」など期待できないのでは?。
私は、日本に生まれ、日本で育ちましたが、「物事の考え方」は日本人とは違うようです。
過去に、バングラディシュ、フィリピン、タイ、日系ブラジル2世、3世、中国などの人々から、「あなたは日本人らしくない」と言われた事が何度もあります。
これらの人々は、「意向同音」の様に「日本人は人種差別をする」「目先の事しか考えない」等と言います。
私から見ても同じ様に感じるのです。
「万一の時に備えて、近隣諸国と仲良くすればよい」と言う話を耳にしますが、その様な事が日本人に出来るのだろうか?。
私のブログが辛辣だと言われている様では、「とても無理」ではないだろうか?。
今でも、香港の日系企業で働いている中国人の友人から国際電話がかかってくる。
彼の話の中に、日本の本社から香港に赴任している日本人の話が出てくる。
彼の話では、仕事に関する話はよいのだが、それ以外の話になると「レベルが低くて困る」と言うのである。
国際的な話などは、余り話したがらないと言うのである。
彼は、バブルの頃に日本の大学で勉強しているのだが、「あの頃はこんな事はなかった」と言っている。
この事は、私自身も「痛感」している事である。
私の周囲にいる人たちは、殆どの人が「少し難しい話」になると、嫌がって話をしなくなる。
「目先の欲得」にしか考えが及ばないのである。
「目先の欲得に目が眩んでいる」と、その先の「落とし穴」に嵌まらないとも限らない。
お蔭様で私の場合は、「幾つかの落とし穴」を避けることが出来ました。
一つでも落ちていたら、今のような「平穏な暮らし」は出来なかったでしょう。
すべての人がそうだとは言いませんが、「ワーキングプア」と言われている人たちの中には、「自らの判断ミス」と言える人がいる様に思います。
私の場合だって、一歩間違えば「ワーキングプア」になっていた可能性は十二分にあったのですから。
後になって考えた時、「欲をかかず、高望みをしなかった」事が、良い結果をもたらしたように思います。
私のブログを「辛辣」と感じている様では、「平穏な暮らしは望み薄」ではないかと思うのですが。
これはチョット辛辣過ぎたかも知れませんね。

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留まる事を知らない原油価格

2007年10月19日 05時04分52秒 | Weblog
連日のように原油価格が上昇している。
その為に、来月もまたガソリンの価格が引き上げられると言う。
ガソリンだけではない、これから寒くなる時期、どうしても必要になる「灯油」の価格も上昇している。
家計にとっては「大きな痛手」である。
これで又バイオエタノールの生産が増える事だろう。
現状の考え方では「仕方ない事」と言うほか無い。
ガソリンの価格が上がれば上がるほど、「バイオエタノールの生産」にとっては都合がよい。
しがし、「バイオエタノールの生産」にとっては都合がよくても、他の分野には都合が悪い事が有る。
「バイオエタノールの原料」は、家畜の飼料だけではなく、人間の食料にも成るものである。
従来は価格も低かったこれらの農産物が、「新たな需要」の発生により、価格が高騰している。
そのあおりを受けて、すでに幾つかの生活必需品の価格が上昇している。
従来は「企業努力」によって、かなりの部分が押さえられて来たのだが、最早「限界状態」に成ってしまったのである。
更なる「企業努力」を求める声が多いのだが、価格破壊が「諸刃の刃」であるのと同じ様に、「企業努力」も又「諸刃の刃」なのだ。
多くの人は「企業努力」の「表の部分」しか見ていない。
「合理化」も、無限に出来るものではない。
「合理化」もまた「諸刃の刃」なのです。
国民の多くが「景気の回復」を望み、政府は「景気の回復」を表看板にする。
それでは、どの様にしたら景気は回復するのだろうか?。
私は経済の専門家ではないが、「景気を回復させる方法」は知っている。
「知っているなら教えろ!」と言う人が多いだろうが、教えたところで「実現は不可能」に近いので無駄な事である。
政府や専門家などは、「景気の回復は可能」な様に言っているが、あくまでも「希望的観測」でしかない。
学校教育の中で、どれだけの人が「経済」について学んできただろうか?。
「学校で教えてくれなかった」と言う人も多いと思うのだが、現実は「学ぶ気がないから教えない」のではないだろうか?。
受験に役立たない学科など、誰が学ぶだろう?。
私は、殆ど「独学」で覚えたのだ。
勉強は、学校でするだけが勉強ではない、学校で学ぶのは「基礎的」なもので、「応用」は実社会でするものです。
「学校を卒業してオワリ」では無く、「死ぬまで」勉強を続けなくてはいけないのです。
「社会に出て役に立たない事を、何故勉強しなければいけないのか?」
よく言われることなのだが、実社会では「教科書通り」に行く事など「殆ど皆無」でしょう。
学校では「基礎」を学び、実社会に出てから「学校で学んだ基礎」を基に「応用」するしかないのです。
基礎が無ければ応用も出来ません。
基礎が出来ていれば、「景気回復の方法」もわかり、それが「実現不可能」に近い事も解るでしょう。
「原油価格の高騰」は続くと思ったほうがよいでしょう、そして、そのことが「ボディーブロー」のように、「日本の経済」にダメージを与えてくるでしょう。
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NHK と民放の違い

2007年10月18日 04時17分09秒 | Weblog
数年前、ある地元中学校のPTAの役員(副会長)を務めたことがある。
その折、地区懇談会や地区役員会などで感じた事がある。
その話を、転任してきた先生と話す機会があったので話した事があるのだが、私と同じ考えであった。
NHKと××新聞、民放と○○新聞の組み合わせでは、知識レベル、生活態度などに差が出るのである。
通常、逆の組み合わせは少ない。
最近では、新聞も取らない家庭が増えているようであるが、新聞を取らない家庭の児童には問題児も多いと聞く。
新聞は取っているが、「テレビ欄以外は見ない」と言う人も多い。
これでは、「日本が置かれている現状」など知る由も無い。
「国際化」など、「無縁の存在」である。
「家庭崩壊」「学級崩壊」・・・・・・・・。
様々な弊害が出てきている。
このままで行けば、近い将来「日本崩壊」なんて事だって無いとは言えない。
国際社会の中で、「日本の置かれた位置」が低下して来ている事など、「どうでもよい」と言うのだろうか?。
「経済大国」「技術大国」などと言われていたのは、何時の事であったろうか?。
「日本でしか栽培出来ない」と言われていた「コシヒカリ」でさえも、アメリカ、中国、台湾などで生産されているのだ。
日本が油断している間に、次々の追い越して行くのである。
食料の自給率39%。
先進国では考えられない数字である。
今のところは心配無いのだが、いつ何時、食料が「戦略物資」に成らないとも限らない。
食料が「戦略物資」にされたら、日本はどうしようもない。

「価格破壊」と言われるようになって久しいが、価格破壊は「両刃の刃」である事に気が付いている人は少ない。
最近、外国産のお米が入るようになって、お米の値段が下がっている。
「家庭の経済」にとっては、「嬉しい事」であるが、稲作農家にとっては「死活問題」にである。
貿易自由化で、外国産の安い米が入って来れば、日本の稲作は立ち行かなくなるであろう。
「安い外国産で十分」と言う考え方もあるだろうが、それは一面的な考えではないだろうか?。
「日本の稲作」は、「食糧の生産」以外の役割もあるのだ。
「廃業した稲作農家の生活は?」と言う問題以外にも重要な問題があるのだ。
「田畑の荒廃」である。
林業の衰退による「森林の荒廃」が、様々な問題を引き起こしている。
「田畑の荒廃」も、同じ様に問題を引き起こすであろう。
「日本と言う国全体の荒廃」につながりかねないのである。
かなり昔の事であるが、「テレビは人間を白痴化する」と言った人がいる。
ブログを書きながら、フッと思い出した。
誰が言ったか思い出せないが、「先見の明」があったようである。
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視点を変えた「NHK受信料論」

2007年10月17日 03時24分29秒 | Weblog
今回は、少しばかり視点を変えて考えてみたい。
私の場合は、半年分を銀行の自動振り替えで払っている。
一ヶ月に直すと1,300円位か?。
これを、「高いと思うか、安いと思うか」は、その人の「価値観」によって変わってくる。
さて、私の場合は「安い」と思っている。
1300円では、本が何冊帰るであろう?。
本によっては、買う事も出来ない。
本に限らず、1300円で一体何が出来るのか?。
「私がNHKの番組から得る情報によってもたらされる利益」は、その数倍、いや、それ以上かもしれない。
一方の民放の場合はどうであろうか?。
受信料は関係なく見ることは出来るのであるが、得られるものは、「その場限り」のものが多い。
すべてが悪いというつもりは「毛頭無い」。
しかし、視聴している時間から考えると、非常に効率が悪いのである。
悪い言い方をするならば、「時間の無駄」と言う事になる。
ここでお断りをしておきたい。
昔から民放が嫌いであったわけではない。
過去においては、結構見ていた時期も有ったのだが、年とともに見る時間が減り、現在では「ゼロ」と言ってよい状態に成ってしまった。
けして年を取ったからだけではない。
何年か前のことであるが、フジテレビの日枝会長がこう言っていた。
「NHKは再放送が多いが、フジテレビは再放送はしない」と。
この発言に私は言いたい、「再放送はしない」ではなく、「再放送出来ない」のではないかと。
再放送する値打ちのある番組があったとしても、「民放と言うシステム」では、再放送は困難なのである。
スポンサーが、再放送にどれだけのお金を払うであろう?。
新しい番組を作って、新しいスポンサーを探す方が楽ではないだろうか?。
そのほうが儲かるはずである。
余程良い番組でなければ、再放送は難しいのである。
その点、NHKは再放送しやすい上に、「再放送に値する」番組も多い。
私など、録画して繰り返し見る事もよく有り、その度に認識を新たにする事もよく有る。
「有形無形の利益」を考えれば、別の考えも出てくるのでは?。
「経済効率」が、比べ物に成らないのだ。
「無形の利益」(子供の躾、教育など)は、意識しなければ気が付きません。
「タダほど高いものは無い」と言うように、「民放はタダで見られる」と言っていては、知らないうちに大事なものを失ってしまいかねません。
「安もの買いの銭失い」とも言います。
一ヶ月1300円余りの受信料が「高いか安いか」、もう一度考えてみては?。


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受信料支払い拒否について

2007年10月15日 20時53分50秒 | Weblog
巷では、NHKの受信料について色々言われている。
ここで、「私の知る範囲」と言う「前提条件」を付けて書いて見たい。
当然の事として支払う人。
払いたくは無いのだが、仕方なしに支払う人。
特別何も意識せずに支払う人。
そして、「支払いを拒否する人」。
それぞれ、様々である。
ここで問題にしたいのは、「支払いを拒否する人」たちである。
私の知る範囲で十数人居る。
あれこれと、様々な理由を付けているのだが、その後ろには「余計な金は出したくない」と言う「本心が」見え隠れする。
「見ていないから払わない」と言うのであれば、多少は納得できるのだが、現実は違う。
BS放送を見ていながら、「地上波放送の分」だけ払っている人もいる。
私の近所では、BS放送を見ていながら、受信料を払っていない人が多い。
多くは、BSアンテナを「外から見えないところ」に設置しているのだ。
堂々とBSアンテナを設置しながら、「悪質な方法」で支払いを逃れている人さえいる。
「悪質な方法」を、ここに書くわけには行かない。
真似をする人が増えては困るからだ。
悪知恵の働く人は何処にでも居るようである。
余談にはなるのだが、給食費と健康保険税の滞納についても書いて見たい。
これらの滞納についても、「本当に生活が苦しくて」滞納せざるを得ない人もいるのだが、それ以外の人が増えてきている。
NHKの受信料と同じ様な理由で滞納しているのである。
「車のローンが払えなくなる」「携帯にお金がかかる」・・・・・。
こんな事が理由になるのであろうか?。
隣の町では、給食費の滞納が多いので予算が足らず、「おかずを一品減らしているらしい」と言う噂が流れている。
「正直者はバカを見る」と言う時代になってしまったようである。
一部では、「目明き千人メクラ千人」ではなく、「目明き百人メクラ千人」だと言う。
「目明きを相手にしては商売にならない」と言う企業もあると聞く。
「敵を知り己を知らば百戦危うからず」と言うが、外国の事はもとより、肝心の日本の事さえろくに知らない人が増えたいる。
「国際化社会」などと言われているのに、こんな事でよいのだろうか?。

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NHKの受信料はどう有るべきか?

2007年10月15日 03時56分00秒 | Weblog
NHKは、基本的には、あくまでも「公共放送」である。
公共放送である以上、「支払いの義務」はあると思う。
前回書いたように、民放の場合は、「間接的な形で否応無く」見る事の出来ない人からも徴収しているのである。
この事が「問題にならない」こと自体が不思議である。
悪い言い方をするならば、「搾取」と同じである。
搾取されている事に気が付かずに、「民放は受信料を取らない」などと言う人が居る。
物事を上辺だけで判断して、本質を知ろうとしない人が多くて困る。

先週放送されていた「兵士たちの戦争」と言う番組を、知り合いに見るように薦めたのだが、チョット見ただけで「見る気がしない」と言っていた。
非常に残念な話である。
私は、このような番組こそ「ゴールデンアワー」に放送するべきだと思っている。
とは言っても、実際に放送したならば、「ブーイングの嵐」となるのは、「火を見るより明らか」である。
非常に難しい問題である。
「良薬は口に苦く、忠言は耳に逆う」と言う様に、このような番組は「出来れば見たくない」と言うのが人情かもしれない。
近年、良薬は苦くなくなって来ている。
オブラートで包む、糖衣錠にする、カプセルに入れる、等と、飲みやすくなっているのだ。
薬の場合は、舌にある味覚神経を刺激しない様に「別なもの」で包んでも、身体の中で薬の働きに支障はおきない。
しかし、忠言は「何かで包む」等と言う事は不可能である。
薬と違って、オブラートで包む事も、糖衣錠にする事も、カプセルに詰め込む事も出来ない。
「目と耳が拒絶反応」を起こすのである。
皆が聞いてくれるように話したのでは、殆ど効果は期待できない。
この「拒絶反応を抑える薬」が開発されたならば、ノーベル賞は間違いないであろう。
部門は、「化学賞」ではなく「平和賞」が相応しいと思う。
戦争や紛争を起こしている人達に飲ませれば、たちまち平和になる事請け合いである。
その人たちが、「素直に飲んでくれる」と言う事が前提条件での話ではあるのだが。

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前米副大統領ゴア氏がノーベル平和賞を受賞

2007年10月14日 05時04分35秒 | Weblog
「人為的に起こる地球温暖化の認知を高めた」事が評価されての受賞だという。
この程度の事でノーベル賞がもらえるとは、「ノーベル賞の質が落ちた?」なんて事が無ければよいのだが。
「認知を高めた」と言うのだが、認知は高まっている事は確かだが、「実効性」となると「いささか疑問」に感じる。
温暖化を防ぐ為に、CO2の排出削減が求められている。
排出削減の為に、様々な手法が考えられている。
そればかりか、削減出来ない企業は、「他所から排出権を買う」と言う事も出来るという。
この程度の事で温暖化が止まるのであろうか?、「いささか疑問」といわざるを得ない。
今、排出権を含めて「環境ビジネス」が盛んになっている。
色々と「効果を強調した能書き」が並べてあるのだが、どう見ても「自分に都合が良い内容」にしか見えない。
一次的に見れば正しい話でも、二次的、三次的、・・・・・・と見た時に正しいとは限らない。
最早、経済発展など望んではいけない時代になっているのだ。
「100年後の未来社会」が、様々に想像されているが、これは、あくまでも「サイエンスフィクションの世界」と思ったほうが良い。
地球の資源は、「それを実現するだけの余力」は残っていないだろう。
すでに、一部の資源(原油だけではない)は、「枯渇」が心配されてきている。
枯渇が心配される資源は、需給のバランスが崩れて「大幅な値上がり」が起きている。
「価格の上昇」は、次々と他の物(資源だけに限らない)でも起きるであろう。
環境ビジネスが、「必ずしも環境に優しい」とは思えない。
環境ビジネスが新たな問題を引き起こし、「環境ビジネスが環境を悪化させる」と言う事にならなければ良いのだが。
宇宙船地球号は、「大幅な定員オーバー」になっているのである。
何事においても、「定員をオーバーした状態」では、事故が起きない方が不思議である。
それでは、事故を未然に防ぐ方法は無いのだろうか?。
「理論的には有る」のだが、「実現性はゼロ」と言っていいだろう。
私のような「一個人」が言う分には問題は無いのだが、「社会的な影響力のある人」が口にするのは難しい。
仮の話し、口にしたところで、「猛烈な反発」に遭うのが関の山である。
まして、強引に政策を進めれば、「暴動」が起きるであろう。
ゴア氏も、その事は「十分に承知」しているであろう。
「口にしたくても口に出来ない」と言うのが実情では?。

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民放は、何故受信料を徴収しないのか?

2007年10月13日 04時57分38秒 | Weblog
NHKは受信料によって運営されている。
それに対して民放は、「受信料ナシ」で運営されている。
「慈善事業」をしているとも思えない。
何故その様な事が可能なのであろうか?。
答えは簡単である。
民放各社には、ナント「金の成る木」があるのだ。
「そんなバカな!」と思われるであろう。
しかし「本当の話」である。
ここで言う「金の成る木」は、世間一般で言うところの「金の成る木」ではない。
CMに出てくる企業、つまりスポンサー企業の事である。
さて、このスポンサー企業と言う「金の成る木」は、どの様にして金を成らせるのであろうか?。
この「金の成る木」、放って置いたでは「金は成らない」。
「特殊な肥料」が必要なのである。
それでは、その「特殊な肥料」とはどんな物であろうか?。
その特殊な肥料の原材料は、「一般消費者の財布の中」にあるのだ。
わざわざ嫌味な書き方をしたが、要するに、日頃何気なく買っている商品の値段には、企業が放送局に支払う「スポンサー料」が含まれているのである。
通常は「広告宣伝費」として扱われている。
税金にたとえれば、「直接税と間接税」の関係と同じ様なものである。
しかし、税金やNHKの受信料とは「著しく違う」部分がある。
NHKの場合、「放送を受信」出来なければ、「支払いの義務」は発生しない。
その為、日本全土で受信出来るように、設備を整備している。
しかし、民放はどうであろうか。
地方では、「見たくても見る事が出来ない」地域が沢山ある。
にも拘らず、「その分商品の値段を下げた」などと言う話は聞いた事が無い。
これは「詐欺的行為?」ではないだろうか?。
このようにして集められた金額は、「NHKの受信料」よりも「遥かに高額」に成るはずである。
何しろ、視聴率を上げなければ、「大事なスポンサー」にソッポを向かれてしまうから、「高額な出演料」で有名タレントをかき集めているのだから。
「NHKとでは一桁違うのでは?」と言う話さえ聞く。
にも拘らず、「殆ど誰も」問題にし様とはしない。
中には、「本当に無料」だと思っている人もいるのだ。
ナンとも不思議な話である。
「NHKも民営化に」などと言う馬鹿げた事を言う人がいるが、NHKが民営化したらどうなると思っているのだろう?。
主だったスポンサーは、「全国放送」のNHKに移るであろう。
タダでさえ、スポンサー集めに苦労している民放は、経営が成り立たなくなってしまうのでは?。
そして、NHKの番組も「質(内容)の低下」を招くであろう。
郵政や国鉄の民営化とは、条件が違うのである。
「なんでも民営化すれば良い」、と言うものではない。



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オカヤドカリ  2度目の冬支度 5

2007年10月11日 03時55分06秒 | Weblog
やっと冬用の容器に移動。
ナンとしてでも10日中には終わらせ様と頑張った。
3ヶ月余り、8匹全部の安否を確認する事が出来なかったが、8匹全部無事であった。
ここのところ、日中の気温が21度くらいで、夜間は19度くらい。
その影響で、殆ど動きが無かった@たちも、環境が変わったせいかよく動いている。
環境が変わって落ち着かないのであろう、「ただ闇雲に動いている」と言う感じである。
1日か2日すれば落ち着いてくるであろう。
冬用の容器は、保温の必要があるため、夏のように「開放型」にすることは難しい。
どうしても湿度が高くなりやすい。
湿度が高くなれば当然の結果、「結露と言う厄介な問題」が発生する。
その結果、「結露をいかに少なくするか」が「重要な問題」になる。
何度も書いている事ではあるが、「結露」は、カビや細菌の増殖を招き、衛生状態を悪くする。
「オカヤドカリは乾燥に弱い」と言う「迷信?」は、「信じない方が良い」と私は思います。
これは、私が1年近くに渡って「湿度を自然任せ」にして飼育したにもかかわらず、「何の問題も起きていない」と言う結果によるものです。
何しろ、今年の酷暑だった夏、日中の気温が35度前後、夜間でも32度近くある日が3週間余り、、湿度は60%あれば良い方、40%を割った日が3日も有ったと言うのに、@たちは「干乾びる事も無く」元気だったのですから。
「偶然運が良かった」と言う人もいると思いますが、それは違うと思います。
湿度が下がったからといって、霧吹きで霧を吹くのは止めた方が良いと思います。
徒に結露を増やすだけです。
結露が増えれば、当然の結果として、カビや細菌の温床となり、「砂が臭う」と言う悪循環になるのです。
今回は3ヶ月余り、前回は7ヶ月余り、砂の交換をしていませんが、「砂が臭う」と言う事は全く有りません。
「砂が臭う」と言う事は、「衛生状態が悪い」と言わざるを得ません。
湿度を気にして衛生状態を無視するか、湿度は無視して衛生状態を取るか、これは「個人の自由」です。
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平和な時代

2007年10月09日 04時07分13秒 | Weblog
深夜の時間帯に、NHKで「兵士たちの戦争」と言う番組を放送している。
確かな記憶は無いのだが、以前にも放送されていたように思う。
このような番組は、何度でも繰り返し放送して欲しいものだ。
しかし、深夜と言う時間帯と、NHKと言うことで、どれだけの人が見ているのであろうか?。
日頃、NHKの問題が槍玉に上がる事が多いのだが、民放はその陰に隠れて余り問題にならない。
「受信料を取る」と言う事が前提になっているのではないだろうか?。
「民放はタダで見られる」って、本当かね?。
この問題は改めて書く事にする。
話を本題に戻すが。
余りにも平和な時代が続いたため、平和の有り難さを忘れてしまっている。
「NHKの番組はつまらない」と言う人がよくいる。
しかし、昔から「良薬は口に苦く、忠言は耳に逆う」と言うではないか。
「本当に良い番組」とは、どの様な番組であろう?。
「目先のオモシロさだけを求める番組」。
平和な時代を象徴するようなものである。
「沖縄の集団自決に軍は関与していない」等と言う馬鹿げた話が出て来るのも、平和な時代だからではないだろうか?。
「日本軍の愚かさ」が言われるが、軍だけの問題ではない。
「日本人の愚かさ」と言うべきではないだろうか?。
私は純粋な日本人であるが、日本と言う国を好きにはなれない。
「島国根性」ばかりで、国際化が叫ばれながら、世界の事を知らない人が余りにも多過ぎる。
「平和ボケ」の影響であろうか?、学力レベルが下がったせいであろうか?、今年もノーベル賞とは無縁のようである。
「日本もたいしたものだ」と言っていた人は、どう思っているのであろうか?。
目先の利益だけを追求して、基礎研究を疎かにする。
これが現在の日本の姿ではないだろうか?。
幾らもがいてみても、「世界における日本の地位」は低下して行くであろう。
毎回悲観的なことばかり書いているが、「備えあれば憂いなし」と言うではないか。
「悪い予測をして悪い結果が出る」のと、「良い予測をして悪い結果が出る」のとでは、どちらが良いだろう?。
私が、個人的に悪い予測をする分にはそれ程問題にはならない。
しかし、国家レベルでその様な事を言ったら大変な事になる。
政治の場でその様な事を言えば、即刻「政治生命」を失うであろう。
「解っているのだが、口が裂けても言えない」と言うのが本音であろう。
有権者に見放されないように、「希望的楽観論」を並べなければいけないのだ。
あくまでも「希望的」、だと言う事に気が付いて欲しい。



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