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文章の符号

2018-03-31 | 日本語文章
ブログの文章は句読を打つだけである。現代日本語の文章は基本に句点で文を示し読点で休止符号とする。文法機能があって、句読は重要視され、区切り符号として用いる。休止は、その長くなる文を息継ぎしやすくするためのものである。鍵括弧が開き「 閉じ 」として用いる。二重カギは鍵の中の鍵括弧符号である。このブログでは、鍵括弧をほとんど用いない。日本語の文章は句読点だけで表すことができるので、引用符号は会話文体にも、用いることがなくてもよいと考えてのことである。しかし、これは意見もあることなので、句読と鍵は必要であるとする。註釈にする山括弧、パーレンについては、便利であるが多用すると、文章のリズムを崩すので、見られる用法では黙読用のものとなっていることが多い。鍵と山の括弧を用いない文章の癖をお断りすることなく書き綴ってきたので、そのことの説明があってしかるべきである。文書作成機、ワープロ機能の便利さを最大限利用することは文章をどう考えるかを具体化する。引用も、パソコン通信の>を用いているから、段落冒頭のスペース明けをどうするかなどの方法にも触れておかなければならない。 . . . 本文を読む

文の認定 俳句表現に

2018-03-27 | 日本語文章
文の認定について、師が述べるところを引用する。現代俳句表現考(二) 俳句の文法Ⅰ 3 文の構造 19530409 記載である。俳句の文法を評論するなかで、俳句という限られた中で用いるコトバのキマリを述べている。文の認定について、なんらかの意味で完結した(まとまった)思想を、作者(話し手)が表現しているもの、としている。作者、話し手には圏点が付されている。具体例に句を用例として、完結した思想の読み取りを言う。句は、ソーダ水 言訳ばかりきかされぬ 楸邨(角川句集) を、ひとつ例にしている。この例は、二文からなると述べて、独立語一語文と、確認判断の語句をもってなる一文である、その文において話し手が統一した内容を示している、統一した思想の2個の文によって句を構成しているとみている。 . . . 本文を読む

文章解析 表現と構文

2018-03-04 | 日本語文章
日本語の文を骨組み構文と拡大構文に分析して2大別をした分類基準がある。会話文を基にデータとして話しことばの文型としたものである。日本語の文は構造を開いたものと解釈するなら、文の構造を閉じたものとするのは、主語が述語を支配しているものであるから、英語文などを文法解釈して規定する。そうすると、それまでに、主語を係り受けで文末までを及ぼすとした支配の構造は、実は、主語をもたない文の構造から、文を支配するための開き方が解釈できないという、日本語の構造になった。そこで日本語文をとじたものに規定して捉えようとすると、文章の構造に文法分析をすることになり、会話文単位を文構造に、つまるところは文章と談話の関係において理解すると、そこには意味の関係構成が拡大構文として現れてくる。 . . . 本文を読む

文章の単位体

2018-03-03 | 日本語文章
文章単位体に段落を設定する。形式段落である。それを一方で、文段ととらえる。文段は章句となる。章句は章節と、大単位、小単位の関係となるか、意味単位のまとまりを形式に見るか、という関係になる。語、文、文章の文法単位体に、文節と語、連文節と句の関係のように、文章単位体には、章句、章節と文章の関係がみられる。文章単位を言語の現象、言語作品、会話文に求めて、散文体、韻文体を見れば、短詩型に代表する日本文芸はさまざま、文学ジャンルを持つし、物語文、日記文といった叙述形式には、章節、評論など、その文体を見ることができる。なお、議論によって、1語文を文章とすることは考えない。それは語であり、文であるとする解釈で、文単位のとらえ方を言うに過ぎない。文章とは時空の軸に人、ことがかかわる言葉の連続である。 . . . 本文を読む

文章法単位体

2018-02-28 | 日本語文章
文法単位体を唱えたのは、それには形態レベルであるモーフという、形態素を文法にしてとらえると、形態となる、その単位を作ったのは恩師である。形態から統語へとその単位体のレベルは関係構成を作り上げる。どのレベルが核となるか、その上位単位は文章、下位単位には語という、文法である。統語をシンタクスとして、そのレベルには文から文章となる意味の議論があって、文の統語における意味のとらえ方には、日本語文法ではおのずと、より上位の単位に展開する、それにはモダリティーの議論を見ればわかることである。叙法がムードとなると、日本語文法の単位体のように開かれた単位となれば、それは文におさまらないモダリティ論議である。話し手の意図をみれば、それは文章単位となることも必至である。日本語教育文法の助動詞の説明に話法が図解されていたが、その枠組みはコトの類型となったように、助辞の働きに見る、あるいは統一叙述の視点で、それを文の単位にだけ見ることは、文章の視点がなければできないことである。文法単位体に、文章法単位体を考えるゆえんである。 . . . 本文を読む

主語、主題、言語主体

2018-02-23 | 日本語文章
日本語文と国語文章をそれぞれ、主語と主題に、述語の対応を見て単位とする。主語を必須要素とする西洋文法に対して、日本語文は主語を単位文において、必ずしも表すことがないことであるので、主語をその余の文に求めることがある。主題は一文に、その主題を示す語がまた、主語を兼ねる場合がある。 . . . 本文を読む

文法、文章法

2018-02-21 | 日本語文章
文と文章と、そのあいだにあって、文、章句、文章となるところ、章句は文集合の段落、文段かと見る。文法と文章法を、あらためて、語、句、節、文となることと、文、章句、文章となることとを考え合わせる。 . . . 本文を読む

章句

2018-02-20 | 日本語文章
章句を章段とした日本語である。文章の切れ目にある、そのまとまりを段落とすることが行われた。本来、章句は中国の経典解釈の学問であったから、句の文字に重きがあった。それは句読である。句読を文章に解釈して、その句を基に章に分けるのであるから、章句は句読法なのである。文に文節があり、文章に章句がある。ここに、章句小儒の語があり、章句の徒という。章句之徒 zhāng jù zhī tú. 解释: 指不能通达大义而拘泥于辨析章句的儒生。 出处: 见“章句小儒”。 . . . 本文を読む

文節、句

2018-02-19 | 日本語文章
節について、主語を文要素とするかどうか、その立場で議論をする。文における主節、従属節の分析になる。それはまた翻訳文法の概念であるから、接続詞の類によって、文を表す主語をどのように認めるかというふうに、等位、従属などの捉えかたになる。日本語ではその分類をすることはないから、接続の関係には、国語で接続助詞、接続詞、さらには接続語の単位をもって析出することができる。しかし、この国語の考え方は節と句の境界を持たないものとなる。句に同様にして、従属句、接続の句の働きを語と語との連合で認める。先の節が主語を要素とする立場であるから、句はその前提において、節に主語がない場合に、句の単位となるというものである。これは議論としてわかりよいことであるから、その点で、句と節の違いを述べることは可能である。そこでまた、文の要素には主語があるとする視点に、国語は必須要素であるかどうかの議論があって、必ずしもそうではないことから、節が文であり、句がまた文の単位であるかどうか、その境界を持たないことになる。 . . . 本文を読む