日本語文法議論23827
日本語構文論がその議論を展開できなかった、しなかったのは、文の単位を設定できなかった、それをあえてしなかったところで、対照文法で捉えるなら、単文にとどまっている、いまも明らかにしないようである。問題点は単文の規定に文成分をわかってしまった、わかりきったこととして、彼我における複文に対応するものを規定しなかった、で . . . 本文を読む
日本語文法議論23825
文法の議論ではつねづね考え方にあると言ってきていたことがあって、文法観とそれによる見方を立場にする議論は文法の考え方を知るうえで大切なことである。しかし、その議論が一般にはわかりにくいということになるといかに優れた文法論であっても応用して人々が身に付けるための考え方にはなりにくい。逆もまた同様で、一般にわかりよければわ . . . 本文を読む
日本語文法議論23824
主語とするか、主題とするか、subjectの翻訳にも、同じなのか違うのかと、主題がまた題目となって、題目述語構造の文と唱えられて、さらに題述構造といわれる、題述文のようないいかたもあり、主語述語による文の構造について、対比される。主題また題目と述語というようになっている。文の構造に文法的に現れるのは三上学説に拠れば、ーは . . . 本文を読む
漢字は言葉の意味を区別して語を認識させる。訓読みについてはもとより日本語である。それに対応する漢字の語彙は日本語にとってどれだけ有効であったか。
ことば について、こと と、コトバ と、ことのは というふうに、その意味内容の区別を知ることができるのは、コトバは言葉と表し、こと には、言 事を充てて、そのことをとりだす、また、ことのは という用語 . . . 本文を読む
日本語は漢文訓読によって語法を学んできた。文章とは何かを知ってきた。中国語の文章である。漢文は中国文であるが、漢字に読み加える点を日本語文字にを工夫し読み下した、つまり日本語に翻訳した。語法は語と語との関係を日本語の意味にあきらかにした。そしてその符号を仮名文字としてつくり出す創意は、日本語という、ことばを漢字材料から紡ぎ出す発明になる。
言葉は . . . 本文を読む
はじめに言葉ありき、創世は神の言葉ロゴスからはじまった、新約聖書「ヨハネによる福音書」第1章から。
ロゴスを言葉と訳しても、真実、真理、論理、理性、概念、調和・統一のある法則などを示すという解釈もできるそうである。
その言葉だから、始めに神の言葉ありという思い込んできたのだが、その言葉の大切さだとなれば理解もできように。
宗教書、思想 . . . 本文を読む
発想を類語で見ると、思いつくこと、ひらめく考えというニュアンスである。日本人の発想、日本人と発想ということに思いを致すのは難しい。大げさに言って、自然信仰に育む、仏教などの外来思想に影響する、日本人の霊性にもとづくものとか、哲学の思想を近代になって考え出す民族だから、その発想とはどういうものか。日本語教育で学習者から日本語の発想を知りたいという難題 . . . 本文を読む
書物を整理していたら、次の本があった。書名はとうに忘れているが中にある写真刷りの絵を思い出してパラリと開いてそうだったと思い出す。絵の分析をする解説が詳しいので興味深かったがあらためてテクスト分析のところを読み直した。まざまざおもいだすことである。同じ著者に日本語レッスンのあることがわかり、発想するためのではなくて身に付けるためのと書名がひねってあ . . . 本文を読む
日本語文法議論23813
理論というよりは理屈だと思ったから、reason、 theory のいずれか、当初には国語文法はだめであると言い続けるこじつけのようにも思っていたので、なぜかというと、こう
見えて一方の側しか見えてこない論理の立て方であった。それをいわなければならないようで、なんだったんだろう。
時系列に見れば、現代語法序説ーイン . . . 本文を読む
日本語文法議論23812
文学に親しんだというと趣味と研究と合わせたような本の読み方で古典作品に興味があってスタートしてからの学生時代のゼミナールで文学語法に重心を置いたからその後に古典、国語国文学から日本語学日本語教育に至る興味と実益の広がりをもつことになり日本文化そのものに及んでいる。あくまで文献実証と言葉の領域にとどまる。
時枝仮説の演繹 . . . 本文を読む