日本語が輪郭を見せるのは万葉集の歌謡である。漢字を用いて日本語を書き表す工夫は漢字渡来後にどのように工夫をされてきたかを万葉集は見せる。漢字を用いて真名書きをしたのは、漢文で表された部分と、日本語で表された部分であり、それは万葉仮名として用いられたを併せ持つ。それは歴史書にも見られたのであるが、漢文に加えて、漢字がその歌謡の部分にまた、上代仮名として用いられた。その漢字表記を日本語にしようとする工夫の形態は歌謡が口承として伝えられた間は保たれていたのであろう。日本語が次の時代にはわからなくなって読み解くことが行われようとした。いわば前時代の表記様式が読めなくなったということであろう。万葉集編纂の時期から200年余を経過する。実はこの期間には国風暗黒時代とする文学の活動期があって、それは一方で漢風賛美の時代でもあるので、漢詩を訓み、日本語を漢語と対照し続けることになる。
万葉集 8世紀後半か
新撰万葉集 9世紀末
古今和歌集 10世紀初め
和漢朗詠集 11世紀初め
751年 初期の漢詩集 懐風藻
814年 凌雲集
818年 文華秀麗集
827年 経国集 と三つの勅撰集
>『新撰万葉集』(しんせんまんようしゅう)は、私撰の歌集。2巻1冊または2冊。菅原道真撰と伝える。ただし下巻は別人の撰という。
上巻には寛平5年(893年)9月25日、下巻には延喜13年(913年)8月21日の序がある。寛平御時后宮歌合、是貞親王家の歌合中の歌その他242首を真名で書き、左傍に七言絶句を配する。
上巻は四季、恋、下巻は四季、恋、女郎花(女郎花は載せない本がある)。万葉集から古今和歌集までの間の唯一の撰集。
世界大百科事典 第2版の解説
かんけぶんそう【菅家文草】
菅原道真の漢詩文集。12巻。900年(昌泰3)成立。前半6巻は詩468首を年次順に,後半6巻は散文161編をジャンル別に集める。道真は政府高官であった得意時代,〈月夜に桜花を翫(もてあそ)ぶ〉(385),〈殿前の薔薇を感(ほ)む〉(418)など艶冶巧緻の作を多く詠む(作品番号は《日本古典文学大系》所収のものによる)。なかんずく,〈春娃(しゆんわ)気力無し〉(148),〈催粧〉(365)の詩と序は,宮廷専属歌舞団の舞姫の官能的な姿態を描いて,王朝妖艶美の頂点に立つもの。
世界大百科事典 第2版の解説
かんけこうしゅう【菅家後集】
菅原道真の漢詩集。1巻。903年(延喜3)成立。大宰府流謫(るたく)時代の作品46編を集める。《菅家後草(こうそう)》とも呼ぶ。中国の模倣を脱し,日本の詩人が日本人の絶望体験を,血を吐くような怨念で表現した牢獄からの遺言詩集で,そのすべてが珠玉,絶唱である。〈門を出でず〉〈開元の詔書を読む〉など悲憤慷慨する諸作は真率の詩心を吐露したもの。また〈北窓三友詩を詠む〉〈叙意一百韻〉は配所の生活を描写しながら,どん底で呻吟する人間の魂の告白。
>『和漢朗詠集』(わかんろうえいしゅう)は、藤原公任撰の歌集である。寛仁2年(1018年)頃成立した。『倭漢朗詠集』、あるいは巻末の内題から『倭漢抄』とも呼ばれる。
万葉集 8世紀後半か
新撰万葉集 9世紀末
古今和歌集 10世紀初め
和漢朗詠集 11世紀初め
751年 初期の漢詩集 懐風藻
814年 凌雲集
818年 文華秀麗集
827年 経国集 と三つの勅撰集
>『新撰万葉集』(しんせんまんようしゅう)は、私撰の歌集。2巻1冊または2冊。菅原道真撰と伝える。ただし下巻は別人の撰という。
上巻には寛平5年(893年)9月25日、下巻には延喜13年(913年)8月21日の序がある。寛平御時后宮歌合、是貞親王家の歌合中の歌その他242首を真名で書き、左傍に七言絶句を配する。
上巻は四季、恋、下巻は四季、恋、女郎花(女郎花は載せない本がある)。万葉集から古今和歌集までの間の唯一の撰集。
世界大百科事典 第2版の解説
かんけぶんそう【菅家文草】
菅原道真の漢詩文集。12巻。900年(昌泰3)成立。前半6巻は詩468首を年次順に,後半6巻は散文161編をジャンル別に集める。道真は政府高官であった得意時代,〈月夜に桜花を翫(もてあそ)ぶ〉(385),〈殿前の薔薇を感(ほ)む〉(418)など艶冶巧緻の作を多く詠む(作品番号は《日本古典文学大系》所収のものによる)。なかんずく,〈春娃(しゆんわ)気力無し〉(148),〈催粧〉(365)の詩と序は,宮廷専属歌舞団の舞姫の官能的な姿態を描いて,王朝妖艶美の頂点に立つもの。
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かんけこうしゅう【菅家後集】
菅原道真の漢詩集。1巻。903年(延喜3)成立。大宰府流謫(るたく)時代の作品46編を集める。《菅家後草(こうそう)》とも呼ぶ。中国の模倣を脱し,日本の詩人が日本人の絶望体験を,血を吐くような怨念で表現した牢獄からの遺言詩集で,そのすべてが珠玉,絶唱である。〈門を出でず〉〈開元の詔書を読む〉など悲憤慷慨する諸作は真率の詩心を吐露したもの。また〈北窓三友詩を詠む〉〈叙意一百韻〉は配所の生活を描写しながら,どん底で呻吟する人間の魂の告白。
>『和漢朗詠集』(わかんろうえいしゅう)は、藤原公任撰の歌集である。寛仁2年(1018年)頃成立した。『倭漢朗詠集』、あるいは巻末の内題から『倭漢抄』とも呼ばれる。