どうなるか。脳の命令がなくなる、と言ったような話になった。認知と、ものボケの境地である。活動、行動の範囲で安全に動こうとする余分な労力を省くようになるのである。どうしたものか、どう言ったものかと、あれこれと脳内の命令系統を探っていたら、アドバイスがあった。暇とする時間のために、冥界からの言語発信の準備である。言語であって、言語でない、音声であって音ではない、コミュニケーションのツールであってその具体的な信号はどうあらわれるか。難しい課題となった。言語の専門家にしてスピリチュアルの新境地を求める理想の姿は、ここで現世を探しても見えないわけで、涅槃という境地がステップとなった。生きて死ぬ、悟って肉体を滅しても魂はそこにある、涅槃寂静である。四方印にあって、諸行無常、一切皆苦、諸法無我、涅槃寂静になると、行為、営為、自然、法爾そして絶対の静けさに、煩悩はない。
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>世界大百科事典内の涅槃寂静の言及
【仏教】より
…
[基本的教理]
釈迦が悟り,人に説いたところの法(真理=教え)とは何か。仏教の教理の基本は,しばしば〈諸行無常(しよぎようむじよう)〉〈一切皆苦(いつさいかいく)〉〈諸法無我(しよほうむが)〉〈涅槃寂静(ねはんじやくじよう)〉の四句に要約される(これを一般に四法印と呼ぶ。ときには〈一切皆苦〉を除いて三法印という)。
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>世界大百科事典内の涅槃寂静の言及
【仏教】より
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[基本的教理]
釈迦が悟り,人に説いたところの法(真理=教え)とは何か。仏教の教理の基本は,しばしば〈諸行無常(しよぎようむじよう)〉〈一切皆苦(いつさいかいく)〉〈諸法無我(しよほうむが)〉〈涅槃寂静(ねはんじやくじよう)〉の四句に要約される(これを一般に四法印と呼ぶ。ときには〈一切皆苦〉を除いて三法印という)。