ぶらっと 水戸

水戸の見て歩き

水戸の煙草

2018-04-19 20:39:50 | 水戸

 煙草の時代は去りつつあるようですが、水戸はかつて、水府煙草として全国的に有名な地だったそうです。

 

 徳川頼房時代(1609-1661)の始め頃に水戸藩につたえられた煙草は、すぐに商品化され、光圀・綱條(つなえだ 3代藩主)の頃には特産になっていたそうです。光圀が幕府の儒者・林羅山に煙草を贈り、それに感謝する「従三位の光圀が赤土(現・金砂郷町赤土)の煙草を贈ってくれた-謝して余りある」といった羅山の文があるそうです。写真は頼房の名前が刻まれている東照宮灯籠です。

 

 江戸後半期にはむしろ作付けを制限するくらいになっていたようです。この間、薩摩の国分葉(明治になって水府葉)が伝わり、広く植えられたそうです。江戸への出荷が増え、葉を刻む業者や、流通組織も整備され、藩も加わる会所がつくられたりしたそうです。ただ、煙草を栽培する農民の生活は、たいしてよくなることはなかったようです。写真は煙草町といわれた塩町あたり(本町・吉久保酒造東側)です。

 

トッパンプロスプリント水戸工場(城東1-6)
 ここは、以前、日本専売公社水戸工場だったそうです。明治31年に、煙草は専売法が施行され、翌年この地は水戸専売支局として発足したそうです。明治40年には水府煙草が御料煙草になったそうで、その縁による行幸もあり、構内には記念碑があります。平成16年にトッパンプロスプリント水戸工場になったそうです。

 

裡五町目(旧町名)
 現在の本町3町目にあった本五町目南裏の、裡(うら)五町目(東西に通る)は、煙草町(多葉粉町)といわれ、江戸時代に、煙草の専売権が認められた(藩と大商人が組んでつくった会所という独占的な流通組織があったようです。)時もあり、他町が煙草を商うときには役銭を煙草町に出す習わしだったそうです。隣接する南北に通る塩町(旧町名)も煙草町といわれたそうです。

 

井幸茶舗(本町2-1-26)
 寛政元年(1789)創業の店だそうです。井筒屋という屋号で、煙草の製造を行っていて、明治31年の煙草専売化に伴い茶舗になったそうです。水戸藩では和紙とともに、煙草は重要な特産物で、主に江戸へ出荷されていたので、商業地であった本町には、刻み業者や仲買などの煙草に関するたくさんの店があったようです。

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