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もうすぐ終戦の日-6(戦況③・昭和18年)

2011-08-14 10:30:29 | 太平洋戦争史

♪刃も凍る北海の  御楯立ちて二千余士  精鋭こぞるアッツ島
       山崎大佐指揮をとる  山崎大佐指揮をとる~
            
              (アッツ島決戦勇士)

戦局はこの年から「撤退」・「玉砕」へと加速することになろうとは・・・

【戦 況】

1/2  「ニューギニア・ブナの日本軍玉砕」
東部ニューギニアでは、連合軍の猛攻で日本陸海軍は撤退をくりかえし、戦局は敗色が濃くなった。

・2/1  「日本軍、ガタルカナル島から撤退」
太平洋南西部のガダルカナル島からの撤退を開始。7日、撤退完了(11000名・死者25000名)

・4/18 「連合艦隊指令長官海軍大将・山本五十六がソロモン群島で戦死」
ソロモン上空で乗機を撃墜され戦死(享年59歳)。海軍兵学校を卒業以来、39年間の海軍生活を送り、真珠湾奇襲攻撃の成功で国民的英雄とされた。
その後、米軍がソロモン諸島に次々と上陸し、日本軍に対する反攻作戦を展開してゆく。

・5/9  「アメリカ潜水艦、北海道幌別を砲撃」  
・5/12 「アメリカ軍、アッツ島に上陸」
冒頭の歌(アッツ島決戦勇士)の如し、5月12日、力尽き玉砕している。

・6/30 「アメリカ軍、レンドバ島(ソロモン群島中部)に上陸」
・7/29 「日本軍、キスカ島から撤退」
・9/4  「アメリカ軍、ラエ・サラモア(ニューギニア)に上陸」
・10/2 「コロンバンガラ島(ソロモン群島)の日本軍撤退」
・11/1 「アメリカ軍、ブーゲンビル島(ソロモン群島)に上陸」  
・11/21「アメリカ軍、マキン・タラワ両島(ギルバート諸島)に上陸」 11/25に日本守備玉砕軍

・11/22 「米・英・中によるカイロ会談」
ルーズヴェルト、チャーチル、蒋介石による日本の戦後処理についての討議。日本の無条件降伏、日本が獲得した太平洋の島の放棄、中国東北地方と台湾の中国への返還、朝鮮の独立などを規定している。そして、11/27~12/1に「カイロ宣言」として発表。


「戦時下の国内の様子」

 ・学校教育は、そろばん、読み書きは勿論のこと、国民学校の校庭では、模型飛行機による木製の操縦かんを操作、そして飛行機の絵を瞬間的に見て当てる訓練まで行っている。

 ・陸軍航空整備学校では、学童による空の体験入隊が行われ、所沢の陸軍航空整備学校に一日入校も行われている。

 ・動員学徒による兵器増産戦力増強のために、軍需生産工場で工作機械を操作しながら戦車を製造し、造船所でもボルトをしめて船体の組み立て作業を、そして飛行機工場では、プロペラ取り付け作業が行なわれている。

 ・国民生活は、国民精神総動員本部が東京市内に置かれ、「ぜいたくは敵だ」という立看板を配置し、装飾品や生活用品や文房具など販売制限された。

 ・「学徒出陣」のこと 太平洋戦争の激化に伴い、学生の徴集延期制度が撤廃され、1943年10月21日、神宮外苑競技場で、見送りの家族など6万5千人を動員して出陣学徒壮行式が挙行されている。

昭和18年はこうして戦っている。

つづく



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