私達が日常で使っている言葉には仏教語が多いということは知っていたけれど、「世界」という言葉も仏教語だったということは全然知らなかった。もともと中国にもこの言葉は無かったらしく、インドから中国にもたらされた時につくられた翻訳語だったらしい。「世」が時間、「界」が空間の意味だという。言われてみれば、世は「世代」、「世紀」とか時間に関する熟語が多い。そして、「境界」、「電界」、「文学界」、‥、と、こちらの方は領域に関する熟語が多い。
よく似た意味の言葉として「宇宙」があるが、こちらの方は「宇」が空間で、「宙」が時間だということらしい。どちらも、あらゆるものを含む概念であるが、少しニュアンスが違う。
「必ずしも人の存在を含まない『宇宙』に対して、『世界』は人をはじめとする生物の業によって生滅するものであり、人間を不可分の存在として含む。」 (「近世仏教論」p.329)
天文学で扱うのは宇宙で、人文学で扱うのは世界ということになる。
ところで、近世までの日本の庶民には「世界」はお経に出てくる文言程度の認識しかなかったのではないだろうか、時代劇で「世界」という言葉が出てくるのは江戸末期のものぐらいしか思い浮かばない。「世界」は出てこないが、代わりに「三国一の〇〇」というフレーズはよく出てくる。三国とは、インド、中国、日本のことである。昔の日本では、この三国が「世界」だったのだろう。