一昨日(7/19)からテレビドラマの「半沢直樹」が始まった。7年前の前回シリーズの最終回には42%という高視聴率をたたき出した人気番組である。このドラマに人気があるのは、多くの人々が組織の中で閉塞感を感じている、そういう現実があるからだろう。熱血サラリーマンである半沢が強大な敵に立ち向かい、その知恵と勇気で悪を白日の下にさらしだす。そこに人々はカタルシスを感じるのであろう。私自身銀行の子会社に就職し銀行内部で働いた経験もあるが、ドラマの内容はそれほど現実離れしたものとは感じなかった。多少の誇張はあるが、人事による人間の序列化と支配の様相というものはそのままである。
ドラマを見ていると誰もが半沢の側に立つのであるが、現実はそうではない。人はいとも簡単に組織の秩序に組み敷かれ、力のある方になびいてしまうのである。森友学園をめぐる財務省の公文書改ざん事件に関連して、財務省職員であった赤木俊夫さんが自殺した。役人でありながら公文書改ざんという犯罪に加担してしまったことを苦にしてである。赤木さんの奥さんが真相を知りたいと裁判を起こした。大方の経緯は誰の目にも歴然としているのに真相は一向に明らかにならない。財務省の方からは黒塗りの文書が出てくるだけだ。この件に携わった人間は少なくなかったはずなのに、誰一人声を上げるものが出てこない。人一人が死んでいるにもかかわらずである‥‥。ここで真相をぶちまければ、歴史に名を遺すチャンスだというような発想を持つ人間はいないらしい。
組織の中では赤木さんのような人は異端である。周囲の人からは融通の利かない変わり者に見える。ただの「面倒くさい人間」に見えてしまうのである。組織の中で順調に出世して老後をゆったりと過ごしたい人々にとっては、赤木さんのような人は迷惑以外のなにものでもなかっただろう。
しかし、ドラマを見る時には誰もが半沢直樹の側から見る。たまには自分を大和田常務やその手下だと思ってみてみることをお勧めする。