現在、ジョニー・デップ主演の映画「トランセンデンス」が上映されている。
<< コンピューター科学者のウィル・キャスターとその妻エヴリンは世界初の人工頭脳を研究していた。しかし、ウィルは反テクノロジーを唱える過激派テロ組織によって暗殺されてしまう。エヴリンは夫を救うべく、ウィルの意識を人工頭脳にアップロードする。 >>
現在のコンピューターは、人間の論理的思考はすべてプログラミングすることができる。したがって、どんな難しい数学理論の証明もコンピューターは理解することはできる。ゲーデルの不完全性理論もプログラミングすることはできるのである。
しかし、現時点のコンピューターは高等数学理論の証明を組み込むことはできても、自分でそのような証明を考えようというモチベーションを持つことはない。コンピューターを人工頭脳といえるまでに高めるには、感情や衝動という機能も組み込まなくてはならないだろうが、それらの仕組みはまだほとんど解明されていない。あくまでコンピューターは「計算機」であり、「知能」と呼ばれるには程遠い存在である。
と、いうような身もふたもないことを言いたいわけではない。ウィルの意識をアップロードされた人工頭脳はウィルその人だろうかということを問題にしたいのである。
妻エヴリンから見れば、そのコンピューターは紛れもなく夫のウィルである。共にしてきた夫婦生活をを共有しているからである。彼女から見れば「彼」を夫ではないと疑う理由はないはずだ。また、コンピューターのウィル自身が「自分はウィルである」という自意識を持っているはずだ。人間であった時から記憶を通じて意識は連続しているからである。
だが、ここでウィルが死なないで生き残ったと仮定したらどうだろうか? その場合は当然、エヴリンは生身のウィルをウィル本人とみなすだろう。コンピューターのウィルはあくまでコピーでしかない。コンピューターのウィルは当惑するだろう。明らかに自分自身は「自分がウィルである」という実感を持ちながら、自分の変わり果てた姿と生身のウィルを見て、自分がコピーであるという可能性を認めざるを得ないからである。
ここでもう一つひねって、このコンピューターを見かけ上も全く人間と変わらないアンドロイドだと仮定してみたらどうだろう。エヴリンだけでなくもう誰も本当のウィルだかわからなくなってしまう。当の生身のウィルさえ混乱するのではないだろうか。第三者が人を識別するのは、その人の肉体と経験しかないのである。
このように問題を設定すると、無門関第35則「倩女離魂」と同じであることがわかる。本来の「自分」というものを肉体や経験から独立したものであるとするならば、どれが本当のウィルであるとは言いにくくなる。魂の特定をする超越的立場には誰にも立ちえないからである。
哲学者の永井均さんの言葉を借りて言うならば、「その時、自分である者が自分なのである。」ということだけは言えると思う。
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