「長期的にはウィルスは弱毒化する。」と言われているが、この「長期的」がどの程度のものかが問題である。「感染者が皆死んでしまえばウィルス自体も生き残れない」というような、進化論的な話であるならば、人間の何世代にもわたる超長期であると考えた方が良い。つまり、「長期的にウィルスは弱毒化する」のは、私もあなたも死んだ後の話である。
現実的には、ウィルスは弱毒化する可能性も強毒化する可能性もある。遺伝子の変異は無作為だからである。一般的に言って、現在生きている生物(ここではウィルスも生物とする)の遺伝子は「生存している」という意味で相当洗練されていると見るべきである。今「生きている」ということは、既に淘汰のフィルターを通り抜けてきたということだからである。
だから一般に、変異すなわち遺伝子のコピーミスのほとんどは生存に有利には働かない。人間ならばたいていそれは「遺伝子異常」と言われる事態となる。ウィルスについても同様で、生存にかかわる遺伝子の変異であれば、そのウィルスはたいてい生き残れないのである。ただ、ウィルスは個体数が桁違いに多い。だから遺伝子の変異自体がまれなことだとしても、それは巨大な数となる。変異自体は無作為でそれが強毒化するものもあれば弱毒化するものもあり、感染力が強いものも弱い者もある。ただ、感染力の弱い者は生き残れないのだから、結局感染力の強いウィルスだけが生き残る。それを人間の側から見れば、ウィルスがどんどん感染力が強くなってくるように見えるわけである。このように個体数が膨大であるウィルスは容易かつ極めて短期間に「進化」を遂げるのである。
結果的には、人間の免疫力をくぐり抜けるようなウィルスであれば、強毒だろうが弱毒だろうが生き残るのである。したり顔で、「ウィルスは生き残るために弱毒化する。」などというべきではない。個々のウィルスは生き残ろうと考えているわけではない。「進化」は結果として起こるものであって、決して目的論的に考えるべきではない。
「キリンの長い首は高い木の葉っぱを食べることが出来るように進化した。」というのは間違いで、「長い首のキリンは高い木の葉っぱを食べることが出来るので生き残った。」というべきである。科学教育という観点から見て、進化論に対する態度というものは極めて重要なことだと思う。その辺のことが学校ではきっちり教えられていないような気がする。最近テレビで、コメンテイターが専門家に対して「長期的にはウィルスは弱毒化すると言われていますが、最近そのような傾向が出てきているような気がしますが、どうでしょう?」と訊ねているのを聞いて、ちょっと驚いたのである。
とにかくウィルスは感染力さえ強ければ感染する。今生きている自分自身の問題としてとらえるならば、それが弱毒であることもあれば強毒であることもある、と考えるべきである。
横浜 象の鼻パーク (本文とは関係ありません。)