「〇〇ガチャ」という言葉を最近よく聞く。ガチャというのは、お金(硬貨)入れてレバーを回すとカプセルが出てくる、小さな自動販売機のことである。カプセルの中身はいろいろで、何が出てくるかは分からない。そういうところから、自分の意志で選択できないことがらについて、「〇〇ガチャ」と表現するらしい。つまり、親を選んで生まれてきたわけではない、そういう意味で「親ガチャ」だというのである。それを口にする本人は単なる軽口のつもりかもしれないが、自分の子に十分なことをしてやれなかったかもしれないという親にとっては、あまり耳障りの言い言葉ではないだろう。
子は親を選べない、当たり前である、なにをいまさらという気がする。親も子を選べないのだ。それ以前に、そもそもなぜこのような世界があるのかということが分からない。要するに、何もかもみんなガチャなのだ。なのに、自分の出自と他人のそれを比較することになんの意味があるだろう。鈴木君の両親は優しくて金持ちだからと言って、「鈴木君の家に生まれればよかった。」などというのはナンセンスである。もし鈴木さんの家に生まれていれば、あなたはあなたではなく鈴木君になっていた。ただそれだけのことである。
誰もが唯一無二の現実の中を生きている。それは比較されるべき性質のものではない。私は私以外のなにものでもない。天上天下唯我独尊というのはそういうことである。決して「私は偉い」と威張っているわけではない。私の実存は比較を絶しているという意味で「唯我独尊」なのである。
どのような景色も無常の世界では、二度と同じものとしてよみがえることはない。唯一無二である。