私は昭和24年生まれの団塊の世代である。で、昨今の朝ドラで話題になっている笠置シヅ子さんのことは小学生の時分から知っていた。と言っても、歌手としてではなくあくまで俳優としてである。私の知っている笠置シヅ子は、お笑いドラマの三枚目的なわき役として起用されることが多かったように記憶している。そんなわけで、漠然と彼女のことを松竹新喜劇出身の人かなぐらいに思っていた。彼女が歌手であったこと、それも一世を風靡した大スターであった、ということを私が知ったのはずっとのちのことである。彼女が歌手を引退したのは昭和31年のこと、私が小学1年生の時である。まだ日本ではそれほどテレビも一般には普及していなかったし、私が彼女が歌手の現役である時代を知らなかったのも当然のことであった。が、私は俳優としての彼女を憶えているほどにはちょくちょくとテレビに出ていた。それほどの大スターならその辺の事情についてもう少し知っていても良さそうなものだが全然知らなかった。歌手の引退以後は公私にわたって鼻歌一つ歌うことはなかったと言われている。おそらく一流歌手としての彼女の誇りがそうさせたのであろう。
歌手引退後の彼女は新たに俳優業を生業として生きていくことになるが、そのけじめとして各テレビ局や映画会社、興行会社を自ら訪れて次のように自ら申し出ている。(以下、太字部分はWikipediaより引用)
「私はこれから一人で娘を育てていかなければならないのです。これまでの『スター・笠置シヅ子』のギャラでは皆さんに使ってもらえないから、どうぞ、ギャラを下げて下さい」
自らギャラの降格を申し出る芸能人がいるだろうか? これからは歌手「笠置シズ子」ではなく俳優「笠置シヅ子」として生きていくというけじめなのだろう。潔い処世であると思う。
彼女と同時代に活躍した歌手として淡谷のり子も有名である。東洋音楽学校の声楽科を首席で卒業し「10年に一度のソプラノ」 と称されたほどの逸材である。朝ドラでは茨田りつ子 役となって、スズ子のステージを見て「とんでもなく下品ね」とだけつぶやき去っていく役どころである。淡谷はクラシック出身で笠置はジャズと芸風が全く正反対であるにもかかわらず、当時の軍国主義的な国家体制には双方ともに全く馴染まないという点で共通している所が興味深い。しかし、私はそんな淡谷の反体制的な芸風を大いに評価はするが、その一方で歌手淡谷のり子は全然評価する気にはなれないのである。
というのは、私の彼女に対する印象は「歌のへたくそなただの威張ったおばさん」でしかないからである。若い頃はどれほどうまかったのかも知れないが、私がテレビを通じて彼女の歌を聞いた限りでは、全然声が出ていなかった。声量のない歌手はもはや歌手とは言えない。声帯も筋肉である以上、歳をとれば衰える。人によって個人差はあるが、50歳を越えれば筋肉の衰えは加速する。遅くとも60歳になるまでにはプロ歌手の看板は下ろすべきだと思う。歳をとっても昔を知っているファンにとっては、昔の歌声を重ねて聴くので懐メロ歌手としては通用するが、若い世代には通用しない。現在では五木ひろしや八代亜紀のように60どころか70歳を超えても現役を続けている歌手がいるが、年配ファンにとっては「年をとってもそれなりに味がある。さすがだ。」という風に聴けるかも知れないが、若い世代から見れば意味不明なしらける話でしかない。昨今の歌謡番組が盛り上がらないのはそういうところに原因があると私は見ている。そういう点から見ても笠置シヅ子の出処進退は見事なものだと思う。正真正銘の一流の証である。