おはようございます。
11月25日から26日にかけて再び宮城県石巻市まで災害ボランティアに行って来ました。
21時55分に大宮を出発しバスで現地へ向かいました。
今回もJTB主催のボランティア・バス・パックでしたが、委託された会社が請負ったのか…前回とは多少流れが違いました。
今回はひとり参加なので自分が写っている写真はこれのみ。
行きのサービスエリアで撮りました。
前回と同様、初めに着いたのは石巻市牡鹿公民館(現:ボランティアセンター)でした。
もう世の中の感心は薄れ、ボランティアの数も減っていると報道では聞きますが、この日は通常の倍以上の参加があったみたいでボランティアセンター付近も人であふれかえっていました。
前回は着替えする時間などは設けられていませんでしたが、今回は男女別に15分ずつバスから締め出されそれぞれ着替えを行いました。(着替えは直前のSAで行いました。)
ボランティアセンター近くのガソリンスタンド、(有)オカダ石油も営業を開始しておりました。
ちなみにJTB主催のバス・パックも1号車、2号車共に満車でした。
9月に行った際にボランティアセンター付近に打ち上げられていた漁船はもう片付けられ、交通量も増えたように思います。
しかし現地の方々の交通量が増えた印象はなく、ボランティア関係の車が多く目立ちました。
今回の作業現場は小渕浜と言う小さな漁港でした。
作業に入る前、ボランティアセンターの職員から受けた説明が衝撃的でした。
『ここ小渕浜は3月11日の大震災の際、大きな津波を受け甚大な被害を受けました。この集落は大きな津波と引き潮に何度もかき回され、多くの家屋と多くの遺体が打ち上げられました。私は直後から遺体確認の仕事を任されましたが遺体の損傷はかなり酷かったです。今日、これから皆さんには作業を行って頂きますが、もしかすると遺体の一部が発見されることがあるかも知れません。骨になったもの、または骨に肉が付着したもの、それらしきものを発見したら慌てずに私達を呼んで下さい。警察、消防、行政との確認(鑑識)作業を行ってからの収容になりますので皆さんは絶対に手を触れないで下さい。また衛生環境も非常に良くない状態ですので作業中に手などを切ってしまった場合は必ず声をかけて下さい。近くの病院まで搬送します。』
とのことだった。
被災地に来ているんだから当然なのだが、前回は『蛇や蜂に注意して下さい。』程度の緊張感だったので改めて被災地の凄惨な状態を思い知らされました。
現場は殆どがぬかるみで作業を始めて間もなく、手袋も長靴もドロドロになりました。
ただぬかるんでいるのではなく色々なものが腐敗したような箇所もあり、異臭はとてもキツかった。
あまりにドロドロなので髪の毛なのか海藻なのか、それとも何か別のものなのか考えてしまう時もあったけど、兎に角、ここを少しでも綺麗な状態にしなくてはと思考を止めて作業に没頭しました。
今回は一輪車やスコップ、鎌、鉄槌などの作業道具が豊富にあったので作業もスムースに進みました。
前回は不本意なことに…暑さに体力を奪われたのか、体調管理が悪かったのか早々にグロッギー状態になり戦意喪失してしまったボクでしたが今回は暑くなかったこともあり、休憩時間意外はほぼ休むことなく作業をすることが出来ました。
アクエリアス(2リットル)を持って行ったけれど結局、飲まないで終りました。
前回より3倍キツい現場でしたが前回の3倍は頑張れたんじゃないかと思います。
現場は元は田んぼだったみたいだが、兎に角、汚泥が全体を深く覆っていたので掘れば掘るだけ瓦礫が出て来る状態でした。
砕けた瓦やバリバリに裂けたトタン。木材の所々が黒く焦げていたのが印象的でした。
お昼ご飯は前回と同じHOTTO MOTTOのお弁当でした。
前回の写真と見比べて思ったけどおかずも全く同じでした・笑。
今回は美味しく完食しました。
そうそう。
今回はひとり参加だったんだけど、たまたまバスの席が隣りになったハギワラさんと言う人がとても良い人でね。とても若く見える35歳の男性で群馬からひとりで参加したと言っていました。
人見知りのボクを気遣ってか、早々に自己紹介をしてくれてバスの中ではお菓子まで頂いて。
朝はパンも半分、分けてくれたっけ。
昼ご飯もハギワラさんと一緒に食べたんだけどさ。
初対面でも同じ志しで参加しているから妙な一体感があってね。
それはハギワラさんだけではなくて他の参加者も皆同じ。
普段だったらすれ違い様に挨拶なんかしないだろうに現場では皆本当によく挨拶をする。
また自分勝手な振る舞いをする人もおらず、譲り合い、協力し合える人間関係がある。
ハギワラさんは言っていた。『これだけの人が復興のために頑張っているなんて日本も捨てたもんじゃないですね。絶対に復興させたいですね。』と。
大宮駅で分かれるまでハギワラさんとは色々と話しはしたが、敢えて連絡先の交換はしませんでした。
別れ際に『一緒に作業出来て嬉しかった。また来年のバス・パックで会いましょう!』と硬い握手を交わした。
臭い表現かもしれないけどこれも“絆”なんだなぁと嬉しく思いました。
午後は一段と寒さを増したが14時には作業終了しました。
午前に1回と午後に1回。警察の立ち入りが入りました。
どうやら現場から遺体の一部が見つかったようでした。
ボランティアセンターの方が『警察の方!ここです!ここです!』と大きな声で警察を呼ぶと現場の雰囲気は一変する。
けれど、野次馬根性で集まる人間は皆無で黙々と作業に戻って行く。
ここで生活をしていた人。ここで亡くなった人。
その人たちの生活が元に戻ることはないけれど、そんな人たちのことを思う気持ちがあって皆がここに集まっているんだと思うと本当に作業に参加出来て良かったと思いました。
牡鹿公民館の入り口に置かれた置物達。
後ろには昔、行われた捕鯨祭などの写真が展示されていました。
人々の希望に溢れた笑顔の写真を見ると…何だかとても心が和みました。
バスからちょっと離れていたので写真は取れなかったけれど、牡鹿公民館のはす向かいには“おしかのれん街”と言う仮説店舗のような商店街がオープンしていました。
ネットで調べたら地元の店舗を失った商人たちが立ち上げたものだとか。
11月18日にオープンしたようです。
今年はもう参加出来ないと思いますが、来年以降も可能な限りは災害ボランティアに参加したいと思います。
ひとりの力は微力だけれど、重機などでは分別出来ないものは“微力”の積み重ねで片付けるしかないんだからね。
小渕浜近くにある十八成浜(くぐなりはま)から見た太陽。
何とも上手く言えませんが希望を持って少しずつ頑張って行けば絶対に復興出来るんじゃないかと思います。
悔しいけど海が超綺麗で輝いて見えました。
行きも帰りも安達太良SAでお土産を買いました。
風評被害が思う以上に深刻な福島…ハワイアンズのことも含めて心配です。
ちなみに…前回のバス・パックではJTBが作った赤いリストバンド(200円)の販売がありましたが今回はなかった。
ボクは赤いリストバンドを失くしてしまったのでもう一つ買おうかと思っていたんだけど・苦笑。
その代わり、バス内では藤崎百貨店?と言う店の通販を承っていたけど、安達太良SAでお土産やがたくさんあるのに敢えて通販で買う輩もいないだろうと思ったのはボクだけじゃない筈だ。
家族には福島の郷土料理“いか人参”(525円)を買いました。
他にも色々とあったけどね。敢えて福島のお土産を選びました。
それと…今月一杯で会社を辞めてしまう一番尊敬していた上司(元ホーム長でボクをここまで育ててくれた恩人。ボクより2つ若い女性です。)へのお土産として…東北人魂“絆”Tシャツを買いました・笑。
彼女はボクが災害ボランティアへ行くことをとても応援してくれていたし、これからも彼女との絆を大切にして行きたいからね。(会社は変わっても同じ業界ですからね。)
今日は朝から全身が痛い…と言うか昨日の時点で全身が痛かったのでそれだけ頑張ったということだろうか。
長い日記になりましたが最後まで読んで頂きありがとうございます。
災害ボランティアに少しでも興味を持たれた方。
是非、一度、災害ボランティアに参加してみることをお薦めします。
ボクらが生きている今、この地球、この日本で起きたことを肌で感じ、復興のために汗をかくことは決して無駄な経験にならないと思います。
絆を大切に生きて行きましょう!
ケセラセラ☆