こんにちは。
9月9日から10日にかけて、UNO君と一緒に『JTB主催:ボランティア・バス・パック』に参加。
宮城県石巻市へ災害ボランティアに行って来ました。
9日の21:30に大宮に集合。21:40出発の予定でしたが東京、上野を経由して来るバスが大幅に遅れ、大宮を出発したのは22:15を過ぎた頃でした。
車内では添乗員からボランティア・バス・パックの説明などがあり、途中、何度か休憩を挟みながら石巻を目指しました。
片道9時間近い移動時間…この時間をどう過ごそうかと思い、本や雑誌を用意して行ったのですが全くの不要でした。
23:30には車内が完全消灯になってしまうため、携帯電話をいじることすら気まずい感じ。
と言うかこの日は朝からかなり忙しく仕事をこなしていたので車中は寝るつもりでいたんだけどね。
この写真は10日の早朝5:30頃。
矢本パーキングエリアに着いた頃です。
眠くて意識が朦朧としていました・苦笑。
バス・ツアーは“最低催行人数25人”と書いてあったので、てっきり25名で行くのと勘違いしておりました。(チラシには募集人員45名と書いてあったのにね。)
今回のツアーはかなり盛況だったらしく、ボクらが乗ったバスは2号車。
1号車は大宮を経由せず、東京と上野で客を乗せ現地に向かいました。
2号車はほぼ満車。
勿論、となりはUNO君だった訳で…180cm近い大男が2人で並んで長時間のバス移動は思った以上にしんどかったですが、のどもと過ぎればなんとやらです。
パーキングに停まっているバスやトラックにはこんなステッカーが貼られたものが目立ちました。
休憩を済ませ石巻へ突入です。
7:00を過ぎた頃、石巻のボランティアセンター(石巻市牡鹿公民館がボランティアセンターになっていました。)に到着しました。
当日、どこでボランティア活動を行うかは9時に出勤するボランティア・センターの職員(社協の職員かな?)の指示を受けて決まります。
それまでかなりの待ち時間があったので近くを探索しました。
ボランティア・センターの中に5月にデーモン小暮閣下(笑?)がここを訪問した時の写真や扉に描かれたイラストやサインがありました。
勿論、メイクはした状態でしたが・爆!(否、あれが素顔なのか・笑)
ボランティア・センター付近は殆どの瓦礫は撤去された後のようでしたが、打ち上げられた漁船はそのままになっていました。
近くにあったマンションも2階までこのような状態に…付近を見回しても人が住んでいる気配を全く感じない。たまに車が通るだけ。家の基礎らしきものはたくさん残っていたのでここはきっと街だったんだろうか。
まさにゴースト・タウンと言った印象を受けました。
9:00頃にボランティア・センターの方が来られ、この街が津波による災害を受けた時の映像を見させられました。テレビで何度もみたような映像でしたが、実際に今いる場所で起こったことかと思うととても複雑な心境になりました。
今回、ボクらの活動場所になったのは牡鹿半島のこじんまりとした浜(漁港)でした。
噂には聞いていましたが、魚が腐敗したような臭いがあたりを漂っていました。
仕事内容は見渡す範囲の瓦礫やゴミを重機で運びやすいように木材、鉄屑、家電などに分けて山積することでした。
草むらの方は蛇や蜂などが出るので行かないようにとのこと。
UNO君が気付きましたが地面には生息している野生動物のものと思われる糞が散乱していました。
瓦礫やゴミと言っても本来はここで生活を営んでいた方々の財産だった訳で。
炊飯器や電子レンジ、マジックリンに焼肉のタレ、津波が来たであろう時間で止まっている時計。そしておびただしい数の牡蠣の殻(きっと牡蠣の養殖場だったんだろう)と養殖や漁に使っていただろう網。
ここで平和で美しい生活をしていた方々の全てが津波に流されてしまったことを嫌でも痛感させられる現実がここにはありました。
ボクが精神的にキツかったのは子供達が使っていたものを発見した時でした。
娘と同じ小学4年生の女の子の名前が書かれたコンパスのケース。4年○組とクラスは空白になっていたから新学期に備えて買ってもらっていたものなのかな。
また、リコーダー(音楽の授業で使っていたのかな)やリュックサック、小さな靴などを見つけると…本当に切ない気持ちで心が張り裂けそうでした。
ボランティア活動時間は4時間程度とのことだったので『何でそんなに短いの?もっとガッツリやれば良いのに?』なんて思って参加したボクでしたが…初っ端、はり切ってやり過ぎたのかもしれないけれど1時間も経たないうちにグロッギー状態に…。
午前中は日差しも強く熱かったせいもあるが、頭はぼんやりするし歩くのもしんどかったし。
『こんなに作業がキツイとは思わなかった…。』
『あと数時間、作業するの無理、無理…。』
『兎に角、冷たい飲み物を浴びるほど飲みたい…。』
みんなが頑張って作業をしている間にこんなことを考えて朦朧としているなんて…。
もうちょっと頑張れるかと思っていたのに本当に自分自身が情けなかったなぁ。
午後は何とか復活出来て良かったけど。
UNO君も言っていましたが、4時間程度が丁度良い作業時間なんじゃないかと思います。
これ以上、長いとまず体力が持たないと思います。素人にはね。
でも安心を。参加者の半分近くは女性だったし、年齢も年配の方から学生まで様々。
自分に出来る範囲のことを無理せずにゆっくりやればそれで十分なんだと思います。
12時から昼休憩に入りました。
JTBからお弁当(HottoMotto)と冷たいお茶が配られました。
兎に角、お茶が美味しかったし有り難かった。
お弁当はいらないからお茶がもう1本欲しかったくらい冷たい飲みものは貴重に感じた。
これから災害ボランティアに行ってみようかな?と思っている方がいるなら、絶対に冷たい飲みものは多めに持って行って下さい。被災地では冷たい飲みものを入手する術がないし、日陰すら探すことが難しいから。
“欲しいのもがすぐに手に入る”ということが極めて恵まれていて、当たり前ではないことを痛感したというか、今更ですが学びました。
今回の経験で本当に色々なことを感じ学びました。
ひとりひとりの力は微力であっても、ひとりひとりが助け合って、協力し合って行かなければ復興は出来ないと思う。
バスで石巻市内を見回しましたが復興したと言う印象は微塵も感じませんでした。
瓦礫や土砂が片付けられ更地は目立つものの、所々に点在するおびただしい量の瓦礫の山。
数え切れないほどの車が山積された場所もありました。
また巨大なタンクが横倒しになったまま放置されている場所もありました。
どこも人が生活している(出来る)空気は感じられませんでした。
今は輪番停電も実施されていないし、ボクの生活には全く不自由がありません。
けれど、日本人として考えなければいけないこと、やらなければいけないことがあるはずだ。
大きなことをやりたいが、それは残念ながら無理。人ひとりは本当に微力だから。
微力だからとあきらめるのではなく、だからこそやるべきだと思うのです。
今回は恥ずかしながら自分の微力を痛感する旅になってしまたけれど、それも貴重な収穫だったと思いたいです。
昨晩は殆ど眠れずに色々考えました。
(帰りのバスでひたすら惰眠をむさぼっていたので眠れなかっただけだけどね・苦笑。)
11月に再度、被災地へお手伝いに行って来ます。(11月4日か11月11日のどちらかで。)
興味がある人は御連絡を。一緒に行きましょう。
JTBのグリーンシューズ・プロジェクトのリスト・バンドを買いました。(200円)
収益の一部は被災地のソーラーシステム普及の支援に使われるそうです。
妻と子供たちには南部せんべいをお土産に買いました。
いかせんべいは超絶品なのでお薦めです。
今日で東日本大震災から6ヶ月。
また9.11から10年が経ちます。
全てのものに感謝して生きて行きたいと思います。
AMEN