こんばんは。
8月も今日で終わり。
今年もあと3分の1しかありません。
節目なのでボクと師匠のことを書きます。
ボクは昨年の4月に一度死にました。
そしてその8月頃より一念発起してまた山の天辺を目指そうと思い自己啓発のために勉強しました。
その時に目標とする人物を見つけました。
(決して宗教ではありません)
そして今年の3月までに4つの資格を取得。
そして5月にその「目標とする人物」の門を叩いたところ修行をさせてもらえることになりました。
(仕事と書くと語弊があるので修行と書きます。)
その方(師匠と呼びます)は「ある業界」のパイオニア的存在で本を6冊も執筆しています。
テレビに出演されることもあり、実際7月にはT◯Sの番組にボクも一緒に出る予定でした。
最初は良かったのです。
師匠はとても博学だしボクの話にも興味を持ってくれた。
しかし途中から様相が変わりました。
全く無言になったり、いきなりボクを罵倒したり。
ボクはとにかく師匠から学びたかったので相当な我慢をして来ましたがやはり限界が来てしまいました。
師匠はクレイジーな人間だと思う。
けれど偉人でもあると思う。
ボク自身「自分で道を切り開く」と言いながらも師匠の後を付いて行こうとしていただけ。
完全に甘かった訳だ。
人間は得た知識をどう使えば良いのか。
武器として使うのか。
それとも薬のように使うのか。
ボクは11年間「長」として働いて来た。
それがボクにとってのプライドだった。
でも一度死んでみてそんなものは何の価値もないことに気が付いた。
それは辛いことだったが今思えば幸せなことだった。
『老子』を読んで「どのように振る舞い生きて行くか」を最近よく考えている。
そんなことを考えるきっかけを作ってくれたのは師匠だった。
そして昨日、40日振りに師匠からメールが来た。
また修行しないかと。
言葉に従うのは簡単。
でも自分自身で考えて「言葉」を選択していかなければ意味も価値もないのではないか。
最後まで読んでくれてありがとうございます。
これからも色々な人の言葉に触れて少しでも強く優しい人になれるように生きたいと思います。
ケセラセラ☆