魚を必要としているひとに対して、
「魚を与える」のでなく「魚の獲りかたを教える」ほうが、方針としてベターなのはよくわかります。
母親のわたしも、娘に対して、そういう対処を心がけるべきなのです。
そんなことは百も承知ですが、なにごとも「言うは易く行うは難し」なのです。
頑固(頑迷?)な娘を見ていると、「魚の獲りかたを教えよう」という意欲が減退します。
効率的なやりかたを学びたがらず、非効率な自分流にしがみつく娘なのですから。
つよく言うと、すぐにへそを曲げる娘なのですから。
説得したり説明したりするのも面倒で、ついつい「魚を持ってきて与えるだけ」になってしまいます。
(そうやって35年間過ごしてきました。)
でも、こんなことではいけない。
娘のためにいつまで魚を獲り続けられるか、わたしに残された時間はそう多くありません。
そろそろ、娘自身で魚が獲れるように仕向けていかなくては。
耳の不自由なこどもをかかえて生きていく娘に、「自分のちからで何とかやっていく」すべを教えていかなくては。
どういうふうにやっていったらいいかな。
行き当たりばったりではうまくいかない。
娘とのいたずらな衝突を避けながら、このプロジェクトを綿密かつ円滑にすすめていかなくては。
...少しファイトが湧いてきました。