ぐらのにっき

主に趣味のことを好き勝手に書き綴っています。「指輪物語」とトールキンの著作に関してはネタバレの配慮を一切していません。

メリーとピピンの微妙なバランス?

2006年09月23日 | 指輪物語&トールキン
本題に入る前に。昨日はビルボとフロドの誕生日でしたね~。
いや私なぜか今日が22日だと思っていたのです・・・(汗)
というわけで遅ればせですが(汗)ビルボ&フロドお誕生日おめでとうございました(汗)

さてここからが本題です。
このところラジオドラマを聴いていて、ラジオドラマのピピンいいなーと思うのですが、どうもラジオドラマのピピンは原作よりもしっかりしてて気が効く=メリーに近い、ということにも気がついてきました。
その分、メリーの影がやや薄くなっている気が・・・(汗)ペレンノールで魔王を倒す時にもやや不満がありますしね、ラジオドラマは。
それを思うと、まだPJ映画の方がメリーのキャラクターがピピンと分けられていたかなーと思います。まあ、メリーも子供っぽくなってしまって、キャラクターがピピンと一緒になってしまったという説もありますが・・・
映画では、メリーとピピンを兄弟のように描いていましたが、ピピンの保護者的な役割に実はメリーの方が依存していたのかも、と思わせる役割分担はなかなか良かったなあと思いました。
しかし、ピピンの成長に伴い、メリーが妙に子供っぽくなってしまったRotK後半は残念でした・・・セオデンとの関係と、セオデンとの別れに伴う成長もなかったし。ドミニク・モナハンのメリーで療病院の名台詞聴きたかったなあ。
このように、メリーの存在はピピン抜きでは考えられないところがありますね・・・ピピンはメリー抜きでも考えられるのに(爆)
メリーファンとしては悲しいですが、メリーのキャラクターは、ピピンのキャラクター如何に左右されるのですね。PJ映画のように対比させられている場合もそうだし、特に区別されていない場合は余計にピピンと被っている部分が多いと影が薄くなってしまうような(汗)
原作はどうかというと、メリーとピピンの差は映画ほどはっきりはしていませんが、トールキンの中ではしっかり区別されていたように思います。
ピピンは映画ほどお馬鹿さんではなく(汗)頭の回転も速いけれど、どこかお坊ちゃんぽい鷹揚さと憎めない図々しさを持ち合わせていますね。
メリーは目立たないところで気が利いて、記憶力も良くて、ちょっと便利なキャラになっているような気もしますが(汗)
この二人の違いがはっきりしているなあと思うのが、セオデンとデネソールに仕える二人の態度で、このあたりはセオデンとデネソール、メリーとピピンと、完全に対比して描いていますね。
この二組の対比が、映画もラジオドラマもちょっと物足りなかったですが・・・(映画はちょっとどころじゃないか(汗))これはメリーとピピンだけの問題じゃなく、セオデンとデネソールの問題もありますが。
しかし、原作でもピピンの方がなんだか目立つし、トールキンはやっぱりピピンを贔屓してたんじゃないの、とひがみっぽくなってしまいます。
ただ最近、メリーにはトールキン自身が投影されている部分があるなあと気がつきまして、そうするとやや傍観者的な役割で目立たないメリーの存在も納得できるかなあと思いました。
でも、一般的にはメリーってやっぱりピピンより目立たない存在だろうし、メリーに思い入れのない人が映画なり何なり作った場合、やっぱりピピンの方が目立つようになってしまうんだろうなあと思います。悲しいけど・・・
まあ原作があればそれでいいと言えばいいんですが(汗)いつか再映画化なり他のメディア化なりする機会があったら、もうちょっとメリーに思い入れがある人に作ってもらいたいなあなんて思ってしまうのでした。(あ、ミュージカルはメリピピの描き分けほとんどありませんので(汗)時間的に無理ですしね)
コメント
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