ぐらのにっき

主に趣味のことを好き勝手に書き綴っています。「指輪物語」とトールキンの著作に関してはネタバレの配慮を一切していません。

Unsung Heros-その3&Rotkサントラ考察よーやく完成・・・

2005年05月08日 | 指輪物語&トールキン
さきほどRotKのサントラ考察upしました~(汗)なんか苦労した割には全然胸を張って出せない代物なんですが(汗)気分がノッてる時とそうでない時の文章が全然違うし(汗)だいたい長すぎるし、読みにくいし・・・(汗)
少しずつupしていけるような構成にしておけばこんなこともなかったんだろうと思いますが・・・今思えばそういう風にもできたんですが、もう今更遅い(笑)
ああ、しかしここ数日ずっとpcに向かい合ってたんで、疲れました~。これでようやく次のことができるんですが、しばらくは更新したくない気分・・・(笑)

で、話は変わりますが、例のUnsung Heros of the Lord of the Ringsのメリーの章読み終わりました。
映画の話になってちょっと面白いかな、と思ったのですが、やっぱりちょっと・・・な部分が。
エオウィンとの関連のことが書いてあるところで、「映画ではメリーはデルンヘルムが兜を取るまで、そしてメリーが魔王を刺すまでエオウィンであることに気がつかなかった」とか書いてあったのですよ。
あれー、映画と混同してるよ! 確かに原作ではメリーはエオウィンが兜を取るまでエオウィンだと気付きませんでしたが、エオウィンが兜を取ったのはもっと早い段階でしたよねえ。
で、さらに、「映画ではメリーはエオウィンを助けるために魔王を刺したが、原作ではセオデンへの忠誠etc.のために刺した」とか書いてあって、それはちょっと違うだろう、となってしまったのです。
著者のPorter氏はどうやら30年来の指輪ファンらしいのですが、それにしてはびっくりです。
原作のメリーの方が、むしろエオウィンのために勇気を出して魔王を刺したのですよねえ。顔を上げる勇気も出なかったのに、エオウィンのために「あのひとは死んではいけない。少なくとも助けもなく一人死んではいけない」と、勇気を振り絞って刺したのではないですか。
原作のメリーのかなり重要なシーンだと思うので、そのあたりを無視して論じられてもなあ・・・
その他に、「映画ではホビットの功績?が少なくなっている」ということで、メリーが魔王を倒した功績は誰にも称えられていない、ということを書いていて、それは「そうなんだよなー」と思いました。だいたい、メリーが刺してたのエオウィン見てたか!? という疑問もあったりして・・・(汗)
でも、「ホビットの重要性が少なくなっている」という内容にもやや疑問が。確かにメリーの功績がうやむやになっていたり、「ホビット庄の掃蕩」がなかったので英雄的な活躍がなかったりというのはありますが、映画でホビットの存在が軽くなっていたのって、もう少し違う点ではないかなあと思うのですが・・・
そして、最後に「メリーの英雄性」についてまとめてあったのですが、やっぱりどうも違和感なのでした。
この本に限らず、「指輪物語」について書かれた著作には、違和感を感じることが多いですね。ってそんなに読んでないんですが(汗)
読む人によって違うところに着目したり、違う印象があったりと、そのあたりがこの作品の大きさなのだなあとも思ったりします。
それにつけても、何か一つだけの要素を取り出して論じられると、違和感を感じてしまうのですよね。この本の「英雄性」にしても、例えばキリスト教の美徳を取り出して論じた「指輪物語の真実」などにしても。反戦や戦争批判についてもそうですね。
トールキンが、何かメッセージを篭めたつもりはない、ただ物語を書いたのだ、と言うのはやはり信じたいなあと思います。
もちろんキリスト教やその他の思想、戦争の時代を生きたことが全く作品に反映されていないはずはないでしょうが、そういったことを取り出して論じているのを読むと、何か違和感を感じてしまいます。合ってるような気もするけど、何か違うんじゃないか、と。
やはり、そういうことを意図的に篭めて書いているのではないよなあ、と実感するのです。
それでも、様々な解釈がされ得る要素が散りばめられているということは、「指輪物語」のすごさだなあと思いますけれど。
なんだか話が逸れましたが(汗)とにかくこの本も、こういう風に読み取る人もいるんだなあというスタンスでもう少し読んでみたいと思います。ピピンのことをどう捉えているかを読まなければメリーについての話も判断できないと思いますし。
コメント (7)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

SEE特典映像その10:編集

2005年05月07日 | 指輪物語&トールキン
今日もちょっとだけSEE特典映像観ました。一体いつ見終わるのやら(笑)
見ていて、PJの映像センスというのはやっぱりすごいんだなあと、素直に思いました。スメアゴルの回想シーンを冒頭に持ってきたのはやっぱり非凡だなあと思いますし。ミミズは「狙ってるな~」と思ったけど・・・
サルマンの場面が入りきらなかったというのもわからなくはないんですよね。でも、原作に思い入れあったら、なんとかして残そうとして残しただろうなあ。そのあたり、PJのスタンスが感じられたりもしますが。
ちょっと驚いたのは、シェロブの洞窟から出た後のフロドとゴラムの格闘の時の映像、足りないということで後から作り直してたんですね。CGで良かったね、という感じ(汗)それでもアンディ・サーキスがちゃんと下演技?してたのですねえ。
でも、それであの程度かよ!というのはちょっとある・・・(汗)
「家へ帰れ」の場面にしてもそうですが、時間を置いて考えれば、きっともっと原作に近づく発送が出てきたのではないでしょうか・・・
しかし、実際のゴラムのCGよりもアンディ・サーキスの表情の方が全然良かった・・・アニメーターさんもう少し頑張って欲しかったよ・・・(汗)

という訳で今日の日記は短めで。頑張ってサントラ考察書きます~。あとはRotKから登場したテーマを残すのみなんですが、明日までに完成できるでしょうか?!
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ナルニア国ものがたり」のこと(ちょっぴり原作ネタバレです)

2005年05月06日 | 映画
どのカテゴリーに書いたらいいか迷ったのですが、一応映画の映像を観た、という話なので映画カテゴリーに。
という訳で?今朝の「めざましテレビ」でナルニアの世界初出し映像というのを見ました。
私はそんなにナルニアファンではないし、原作も各巻1回しか読んでいないんですが、それでもあの映像には「ん?」と違和感・・・なんか派手すぎではないですか?
あれって戦争中に疎開している話だし・・・なんか衣装ダンスなんかももっと古びたイメージだったんですが・・・
瀬田貞二さんの古めかしい訳のせいもあるかもしれませんが、どうもあのきらびやかな映像に違和感を感じてなりませんでした。やっぱディズニーかなーって・・・
ちらちらと他の方のブログとか覗いてみたら、原作を知ってる方はだいたい同じような印象だったみたいで、ちょっとほっとしましたが。
実を言うと、「ナルニア」はそんなに好きでもないんです(汗)
残念ながら子供の頃に「ナルニア」に出会えなかったので、純粋な気持ちで読むことができなかったんですよね~。最初は面白く読んでいたのですが、途中で「アスラン=イエス・キリスト」というのがあまりにも露骨に出て来てしまってうーん、と(汗)
考えてみれば「ライオンと魔女」で既にそういう描き方はしてたのですが、(アスランの死と再生)あれは比喩というか、暗喩程度かなーと思っていたので、まさにそのままだったのには「・・・」だったんですよ(汗)
「最後の戦い」のラストにも「・・・・・・」でしたし(汗)スーザン好きなんで、「スーザンだけ除け者か!?(怒)」というのもありましたし。
トールキンが「ナルニア」のことを批判していたというのは分かるなあと思ってしまいます。トールキンも敬虔なクリスチャンで、「指輪物語」にも実はキリスト教的な精神はかなり反映されていますが、それはトールキンにとってはごく自然なことで、キリスト教を布教する?のが目的ではなかったのですよね。
ルイスの「キリスト教のことを物語を通して子供に教える」というスタンスが明らかな「ナルニア」は、確かにスマートではないですよね~(汗)私もどうもそのあたりが苦手なんですよね。
あ、でも好きな部分も沢山ありますので、念のため。リーピチープなんか好きですよ~。「ライオンと魔女」ではプリンごときで魔女にたぶらかされてしまう?エドマンドとか。
意地悪だったユースチスが次の巻では主人公になっちゃうあたりも新鮮でしたね。
ディズニーが映画化すると知って、「ええ~」という気持ちと同時に、キリスト教くさい部分は緩和されるかもなあ、という気持ちもありました。
でも、やっぱりもちょっと原作の雰囲気を活かしてあった方がいいかなあ・・・
まあ、予告だけで判断するのはまだ早いですよね。LotRも、FotRの予告を見た時点では「・・・なんかかなり原作と違うような???」と思いましたが、フタをあけてみたら意外に原作に忠実でしたから。(ま、FotRは、ですけど・・・(汗))
だいたい予告を見て予告どおりの印象の映画ってほとんどないですよね?(汗)予告が良かったら本編は良くなかったり、逆に予告が良くなかったのに意外に本編が良かったりとか。
予告の印象そのまんまだったのって最近では「ネバーランド」くらいかな・・・。あれもあまりに期待通りである意味びっくりしました(笑)
そうそう、ペペンシー兄弟の上二人が結構大きくてびっくりしました。あれじゃあ2作目以降作るにしても、子役はその都度変わってしまうのでは?(汗)
ああ、でもスーザンが弓を構えるのとか見るとやっぱりちょっとワクワクしますねえ。(だから好きなんですよ、スーザンが(笑))
結局のところ楽しみ、というか気になることは確かです。思い入れはさほどない(汗)分、イライラすることもなく落ち着いて待っていられるかなあと。
さて、どんな映画になってるでしょうねえ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

RotKサントラ考察もうちょっと・・・(汗)

2005年05月06日 | 指輪物語&トールキン
この連休中にRotKのサントラ考察をupするのを目標にしていましたが・・・今度の日曜まででもなんとか連休中ということになるでしょうか(汗)それもちょっと怪しいんですが・・・
場面ごと考察は終わったんですが、テーマごと考察を自分で侮ってました・・・(汗)なんというか、FotRで出てきたテーマがことごとく再登場してるんですよ~。いや、こんなに出てるとは思わなかった、と自分でまとめながらびっくりしてました。
実はTTTでは意外とFotRで出てきたテーマがそんなには出てこなくて(って結構たくさん出て来てはいるんですが、RotKと比べると、ということで)、やっぱり各作品ごとに違う音楽を作るものなのかな、なんて思ってました。特に、「ホビット庄のテーマ」と「旅の仲間のテーマ」の影が大分薄くなっていたので。
RotKになって、「旅の仲間のテーマ」も「ホビット庄のテーマ」もやはりFotRほどの印象の強さはなくなっているのですが、なんだかんだと要所は押さえていますし、(そういう意味ではRotKのメインテーマの「ゴンドールのテーマ」がちょっとかわいそう?ですね。というか「ローハンのテーマ」がカッコ良すぎなのか?)何よりも、FotR以来の登場、というテーマ(モチーフ)がとても多いんですよ。
その筆頭は「ゴンドールのテーマ」ですね。
もうFotRのエルロンドの会議で密かに登場していたことは周知の事実ですが(笑)予告で初めて聴いた時にはもうびっくり! でしたね~。(気がついたの次の日になってからでしたけど(笑))
その次にびっくりしたのはCDでは「白の木」冒頭にに出てくる、FotRでロリアンでボロミアがミナス・ティリスのことを語る場面で流れたメロディですね。ショアは「銀のトランペットのテーマ」と呼んでいるようですが(そのまんまですね(汗))私は「ミナス・ティリスのテーマ」と呼んでいます。
これは、FotRの時、もしかしてミナス・ティリスを表すテーマかな、なんて思っていたのですが、まさかまた出てくるなんて~! という感じでしたね。ボロミアのこと忘れられてないよ!って。
あとびっくりしたのは、冒頭のフロド、サム、ゴラムが歩き出す場面で、FotRでフロドとサムが二人で旅を始めた時と同じメロディが流れたことですね! この曲は、ロリアンの水鏡の場面でも流れていて、その使い方がとても好きだったので、また登場してもう感動でしたね~。
それから、「蛾のテーマ」(笑)。オルサンクに囚われの身のガンダルフのところに蛾が飛んで来る場面で流れた曲で、あれっきりなのかと思ったらTTTではエントの行進で大活躍してこれもびっくりだったのですが、まさかRotKでも出るとは。
それも、ロヒアリムの場面で出てきたのはまだTTTからの流れでわかるのですが、まさかあの蛾がまた出てくるとはね~(笑)むしろ笑ってしまいました(笑)
ボロミアが死ぬ場面で流れた曲が、セオデンとエオウィンの場面やフロドが赤表紙本を書く場面で流れていたりとかもびっくりしましたね。これは気がつくのにちょっと時間がかかったりしたのですが。
気がつかなかったと言えば、ガンダルフがモリアで堕ちた後に流れた曲が、フロドとサムが指輪を棄てた後に逃げる場面や、灰色港の別れの場面で流れているのに気がついたのもつい最近だったりして(汗)
この他にも、TTTには出てこなかったナズグルのテーマが再登場したりとか、色々と懐かしい曲が流れてましたね~。
もちろんTTTに出てきた曲の再登場もあって、音楽でも三作目で総集編、という感じがありましたね、RotKは。
そんな中、全く新しいメロディで作られた「黒門開く」のフロド・サムルート、そして灰色港も良かったのですが。最後には今まで全く出てこなかったメロディで終わるのもまた良かったかなあと。
とまあ、こんなことを言いたいがために長々と書いているのですが・・・こんな風に纏められるなら、あんまり意味がないような気も・・・(汗)
まあ、後で「どのテーマがどの場面に出てきたか」とか「どのテーマがどのくらい使われたか」とか調べるのには自分でも便利だったりするんですが。
ま、自分のために頑張ろう、というところでしょうか(笑)なんとか日曜までにUPできるように頑張ります。あとテーマ考察が半分くらい・・・かな(汗)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

SEE特典映像その9:ロケ地とCG

2005年05月05日 | 指輪物語&トールキン
今更なんですが(汗)久々にRotK SEEを見ました。ロケ地の話とWETAの話です。
映画観るまでに1回しか原作を読んでいなかった私ですが、建造物や衣装には明確なイメージがなかったのですぐに映画に馴染んでしまいましたが、風景や自然には違和感を感じていました。
本を読みながら視覚的なイメージはあまり持たない方なんですが(汗)トールキンの自然の描写にはとても惹かれるものがあります。
トールキンの描く自然は荒々しいながらとても美しくて、情景描写だけ読んでいてもうっとりしてしまうところが多々あります。これは馬の描写にも思うのですが、間違いなくトールキン自身の体験(まあロリアンなどはかなり想像の世界ですが)を下敷きに、愛情を持って描かれている風景だなあと感じます。
瀬田貞二さんの訳のせいもあるのかと思ったこともありますが、ちょこっと原書を読んだ限りでは、邦訳を読むのと同等、いやそれ以上に自然の美しさを感じましたから、やはりトールキンの描写力なんだなあ、と思ったものです。
なので、LotR映画に出てくる中つ国の光景は、なんだかとても「ニュージーランド」と感じられる部分もあって(って行ったことないんですけどね(汗))、ずっと違和感は感じていました。
と言っても、そんなにすごく不満があるわけではないし、どこだったらあれ以上の美しい自然があるのかと言われてもわかりませんので、あれはあれでいいと思いますけど。
でもやっぱりあの映画の風景を「中つ国」とは思えなくて、それもあってそんなにニュージーランドに行きたいという気持ちにもならないようです、どうやら。まあ、ホビット村はさすがにちょっと行ってみたいですけど。
むしろ、昨年春にイギリスに行った時、野原に一面にちらばる小さな草花を観ながら、ベアギルが言っていたロスサールナッハの春を思い浮かべたりしていました。やっぱりあれはイングランドの風景なんだろうなあ、と思うわけです。
・・・なんか特典映像の話からかなり逸れてますが(汗)
それからWETAの特典映像ですが、死者の道の髑髏雪崩の撮影の話を見た時も思いましたが、見ている方は苦笑してしまうような場面を一生懸命作ってたんだなあと・・・(汗)
言われて見れば確かに、ペレンノール野の映像はすごいと思います。CGと実写の境目が全然わからないし、じゅうもとってもリアルで。そういう点に注目すると、やはりすごい作品なんだなあと思います。
でも、やっぱり映画のペレンノール野の戦いは好きになれないなあ。原作でも最も好きな場面のひとつなので、あれだけ原作とかけ離れたものになってしまったということは、やっぱり納得できないです・・・じゅうの映像はすごく好きですけどね。
そして、ゴラムの最期について、こんなところでPJの思わぬコメントを聞いてしまいました(汗)「ゴラムは指輪に裏切られて悲しんでいた」のだそうですね・・・
原作ではゴクリが最期には指輪と一緒になれて、幸せなまま死んでいったのだと思うことが救いだったので、やっぱりあの映画のゴラムの最期は好きではないですね。映画しか知らなければ、それなりに良いかもしれないけれど・・・
まあ、色々文句があるのは全て脚本とか監督の責任で(汗)見ていてCGだという違和感をほとんど意識しない映像を作ったWETAの仕事には素直に拍手したいです。映像に説得力がなかったら、物語に集中もできませんからね。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Unsung Heros-その2:映画のメリーとピピン

2005年05月04日 | 指輪物語&トールキン
まだキングコンプリートのDVD見てません(汗)SEEの特典映像先に観るべきかなあとか思いつつ、そっちも見てないのですが(汗)
で、原作もちょっと読んだのですが、たいして進んでないので(まだアンドゥイン下ってます(汗))、久々にUnsung Heros-のことを。こちらも全然読み進んでなくて、まだメリーの章の途中なのですが(汗)
原作のメリーについて書かれていた部分についてはあまり感じるところがなく、妙に「Hero=英雄性(?)」という枠にはめようとしているのが気に入らなかったのですが、映画について書かれているところの方が面白く読めるような気がしています。
まずは映画のメリーの「英雄性」を取り出すというか、映画のメリーが原作同様「物知りヒーロー(汗)」な部分を取り出して解説していましたが、映画のメリーのりこうぶり(瀬田訳風(笑))を繰り返し語られるのはとても嬉かったりする私(笑)
どうも、原作ではメリーの博識なところは意図的にそういうキャラクターに描いているというよりは、都合の良い解説者的な要素を感じてしまうのですが(映画もそういうところはありますけどもちろん)、映画のメリーは、ふざけたコミカルなキャラクターにしつつ、むしろ意図的にメリーのしっかりした部分を描いていると思えるのですよね。
そして、そういうメリーのキャラクターの変化はピピンとの関係が変わっていることによると、「Unsung Heros-」でも著者のLynette Porter氏も指摘していて、このあたりが面白かったです。
原作ではメリーとピピンの運命は平行して描かれていて、セオデンやデネソール、エオウィンやファラミアなどと共に見事な対比を見せており、このためにメリーとピピンは対等な友情関係として描かれている、とPorter氏は指摘しています。
更に、映画のメリーは、ピピンの面倒を見ることにむしろ依存しているというようなことも指摘していて、このあたりも私も感じていたことだったので、うんうん、と思いながら読んでいました。
SEEの追加シーンでピピンの方がメリーよりも背が高くなったことについても真面目に書いてあってちょっと笑えました(笑)いやでも、あの場面のメリーの「ピピンが自分より優位に立つのが気に入らない」というあたりは実は映画のメリーとピピンの関係を描く上で結構重要ですよね。単純にかわいくて好きというのもあるけど(笑)
しかしPorter氏は「メリーもエント水を飲んで背が高くなった」と解釈しているようですが、映画ではあれはどうなんでしょうねえ? 単に「元にもどった」だけとも思えますが。
そんなメリーにとってのピピンとの別れについては、ドミニク・モナハンのコメントも引いて、「半身を引き裂かれるようなものだった」とも書いています。そう、あの場面はむしろメリーの方が淋しそうなのが印象的ですよね・・・
そして、ペレンノール野でのピピンとの再会で、ピピンがメリーの「面倒を見る」立場に逆転したことと共に、メリーもまたピピンに頼れるようになった、ということが書いてあったのには、ああそうか、とちょっと目からウロコでした。
「やっと見つけてくれたね」「僕を置いて行くの?」というメリーの台詞には、それまでになかったようないじらしさを感じます。
とまあこのあたりまで読みました。エオウィンとのことは多分次の章に書いてありそうです。
こうして読んでいて、どうも私はやはり映画のメリーが好きなのかな、と思いました。もちろん原作のメリーも好きなんですが、映画のメリーがきっかけだったことは間違いないですし。
映画のメリーとピピンについては、ピピンに重点が置かれているのはあるとしても、オリジナルの解釈で随分と面白いキャラクターにしたなあ、とも思います。
でも原作でも多少はそういうところはあるようなのですが。「ユリイカ」増刊号に出ていたマリオン・ジマー・ブラッドレー氏はそのあたりも指摘していたのですけどね。
とにかくこの章は面白く読めたのですが、考えてみたら、この章のピピンとの関係に関しては「英雄性」についてはほとんど書かれていないんですよね。確かに「英雄性」とは無関係なことですもんね・・・
タイトルにある「Hero」と関係ないことを書いている部分が面白かったりするところに、この本の主題の設定に疑問を感じてしまったりもするのでした。なんか無理に「Hero」にこじつけてないか?と・・・
どうも、こういう本を出版するにあたって、何か「売り」が必要で、無理に「無名のヒーロー」という主題を設定してこじつけて書いたのでは、と邪推してしまうのですが・・・(汗)
そして、どうもこの著者のPorter氏はむしろ映画から着想を得てこういう本を書こうとしたのではないかなあとか・・・
このあたりのことは序章とか読めば書いてあるのかもしれないけど(汗)どうも文章の内容よりもそういう余計な背景が気になってしまったりするのでした・・・(汗)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

TTT観ましたが・・・

2005年05月03日 | 指輪物語&トールキン
5/1にはBSでTTT SEE一応観たのですが・・・やっぱ長いですよね~(汗)結局じっと座って見ていられず(汗)PCで作業をしつつ(サントラ考察を・・・(汗))PC越しに画面を見てました。で、好きな場面になったらテレビの前に移動するという(汗)
あの長い作品、一般の視聴者の人たちはどう観たのかなあ、なんて余計な心配をしてしまいました(汗)
どうもフロド・サムルートは流し観しがちで(汗)メリピピの追加シーンとかだけいそいそとテレビの前に行きました(笑)
あとエオメルの数少ない出番(汗)とか、黄金館でのエオウィンのシーンとかも。やっぱりグリマはいいですよねえ。RotK SEE観た後だと、オルサンクでの涙もやっぱり後悔の涙だな、と思えました。
エオウィンもいいですよね。もうシチューの場面も全てOKになってしまった(笑)TTTの時点では、アラゴルンとの三角関係を強調されてしまいそうで、RotKが心配でなりませんでしたが、ミランダ・オットーがなかなか良いエオウィンにしてくれました。
ただ、魔王を倒すところと、ファラミアとの追加シーンはいただけないんですが(あ、じゅう倒すあたりもね・・・)、これはミランダのせいじゃなくて脚本のせいですからねえ・・・(汗)いや、エオウィンは良い方に転んだと思っておりますが。
あ、アラゴルンたちがメリピピを追いかける場面はテレビ前で一生懸命?見てました。あそこはいいですよね。「旅の仲間のテーマ」もいいし。
予告であのあたりの場面を見ていてドキドキワクワクしていた頃が懐かしいです・・・いやでも本当に、TTT前半は好きなのですよ。エドラス着いたあたりからおかしくなっちゃったけど・・・
それから、やっぱりエオメルとファラミアはカッコイイよなあと。出てくると思わず目が行ってしまいますね~。映画TTTのファラミア結構好きですし。
ディスク1終了のところでインターバルが入るのはFotRの時と同じでしたが、あの微妙な時間は(汗)「テープ取替えタイム」でしょうか。単に放送側のディスク取替えタイムだったりして(汗)エンドロールの最後に流れるローハンのテーマが流れていたのがカッコ良かったような。
そしてエンドロールか終わった後に吹き替えキャストも含めて日本語のテロップが静止画像とともに流れましたが、最初はキャスト二人ずつ、画像に合わせて名前も出て来ていたのですが、エオメル&ファラミアのところでいきなりエオメル&ガンダルフの画像に(汗)しかもエオメルにピント合ってないし~(汗)こんなんだったらファラミア一人の方がいい画像あったのでは・・・(汗)
アルウェン&エルロンドもアルウェン一人の画像だったし(二人一緒の場面あったのに・・・)ガラドリエル&ハルディアの場面ではなぜかハルディアだけ・・・(汗)ガラドリエル様の立場は!?(いや、ハルディアは画像がないと誰だかわからないかもと思われたのかも?)
そして、ボロミアとデネソールはその他大勢扱いに! ハルディアが名前出てたのに・・・解せません(汗)
とまあそんなこんなでしたが、なかなか集中して観られはしませんが、テレビでLotRが流れるというのはなかなか嬉しいことではありますね。
それにしても、なぜかFotRがむしょうに観たくなってしまいました・・・シネプレックス上映まであとちょっと我慢すればいいだけなんですけど(汗)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

原作読書:ガラドリエルのこと

2005年05月01日 | 指輪物語&トールキン
結局コンプリートDVDもSEE特典映像もFotRも観られませんでした(汗)何やってるんだか3連休・・・(汗)サントラ考察はちょっと進みましたが。
仕方ないので?また原作の話です。
ロリアンを出発して、まさにガラドリエルが見送りながら歌う途中まで行きました。(せめて歌終わるまで読んどけ(汗))
水鏡の場面を読んでいて、サムは結構今後の重要な事件を見ているのに、フロドはサウロンの目を観る前は自分には直接関係ない映像ばっかり見てたんだなあ、とびっくりしました(笑)ペレンノール野に着く海賊船とか、フロドが知っててもどうにもならないような(汗)最後に出て行った船は、西へ行く船だったかもしれませんが。
しかし、今回5回目になるのですが、まだまだガラドリエルというキャラクターが掴めないでいます。いや、むしろ回を重ねるごとに自分の理解を超えた深い存在なのだということに気がつくようになったとでも言いましょうか。
初読時にはむしろ単純に読めたんですよね。サムに「そんなこってしょう」と言ったり、ギムリに髪の毛を与えたりした、優しい奥方のイメージしか残らなくて。
PJ映画を観た時には、怖いガラドリエルにびっくりしたものでした。指輪に誘惑されそうになった場面の記憶が全然なかったもので・・・
その後原作を読み返して、ガラドリエルの暗い部分を引き出したんだなあ、なんて感心していたものですが、3部作全て観終わった今思うと、「わかりやすくしすぎでは・・・」なんて思ったりもします(汗)
でも、紙一重で安っぽくならなかったのは、ケイト・ブランシェットの演技力かなあとも思います。
それでも、「シリマリル」や「終わらざりし物語」を読んだ後に抱くガラドリエルのイメージは、むしろサムやギムリに優しい奥方の姿よりは、映画のちょっと怖い(?)ガラドリエルの方が近いようにも思います。
特に「終わらざりし物語」の「ガラドリエルとケレボルンの物語」を読むと、思いがけず人間的なガラドリエルの姿が「指輪」本編のガラドリエルとあまり重ならなくて戸惑ってしまいます。むしろ映画のガラドリエルの方が繋がりやすいかな・・・
いや、ケイト・ブランシェットが演じる第一紀のガラドリエルとか、見てみたいなーなんて思ってしまうのですが(笑)
自分の王国が欲しいと願って苦難の末に中つ国にたどり着き、ノルドールの呪いを受けた一人として、メリアンに問われても決してその秘密は語ろうとせず、兄たちが滅び、シンゴルの王国が滅び、ベレリアンドが沈み、そういったことをつぶさに見て来たガラドリエルが、フロドと出会った時にはどのような心境で何を考えていたのか。どうもサムやギムリに見せた優しくてお茶目でさえある姿は「ネコ被ってたんじゃないの?」と思ってしまうのですが・・・(汗)
それでも、そんなことを考えていたからか、「試練に勝った」というガラドリエルに、今までになく感情移入できるようにも思いました。
そう言えば、歌のなかに「わらわをどんな船が乗せてくれるのだろうか」という言葉がありますが、ガラドリエルは一つの指輪の誘惑を退けたことで初めて西に行く権利が回復した、ということもトールキンは考えていたそうで、そんなこともちょっと考えてしまいました。
エルフの3つの指輪の力についても、今回今までになくわかったような気がしました。ネンヤの力でロリアンは保たれていたのだということ、その力がなくなってしまうことで、エルフたちはその地に留まる望みを失うということ。
それまでのロリアンの描写が美しかっただけに、エルフの指輪の力がなくなるということの大きさを、今回初めて理解できたような気がしました。
指輪の力を失ってさびれてしまったロリアンはどれだけ淋しい地になったことか。そして、そこにアルウェンが一人最期を迎えるのだ、ということも考えてしまいます。
それにしても、奥方の贈り物を、映画では全然有効に使ってなかったことが解せないです・・・(汗)まあボロミアやメリピピのベルトは何の役にもたたなかったとしても(汗)
そしてこの後のレゴラスとギムリの会話が好きなんですけど、それはまた別の機会に・・・(笑)
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする