上海の住所番号表示は英国租界とフランス租界の境界だった東西の「延安路」と南北の外灘が基準となっています。
従って、南北に走る道路のほとんどは、延安路から北と南で名称が変わります。(詳しくはまた別の機会にご紹介します。)西から来る延安東路が外灘とぶつかるT字交差点から北は中山東一路、南は中山東二路となります。
中山東一路1号の住居表示を持つマクベイン・ビルは1916年にマクベイン商会が建設しましたが、当時外灘で一番大きな建物で別名「外灘第一楼」とも呼ばれていました。
1917年に英国の亜細亜石油会社が買収し、亜細亜大楼と改名されました。
9階建てで建築面積は1万m2以上。 延安東路と中山東一路の角にあり、延安高架路の外灘口が撤去され全貌が見渡せるようになりました。
亜細亜石油は1950年に華東石油会社に移管されましたが、その後住民が次々に変わりました。外壁の改修が終わりましたが、現在はまだ空き家のようです。

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従って、南北に走る道路のほとんどは、延安路から北と南で名称が変わります。(詳しくはまた別の機会にご紹介します。)西から来る延安東路が外灘とぶつかるT字交差点から北は中山東一路、南は中山東二路となります。
中山東一路1号の住居表示を持つマクベイン・ビルは1916年にマクベイン商会が建設しましたが、当時外灘で一番大きな建物で別名「外灘第一楼」とも呼ばれていました。
1917年に英国の亜細亜石油会社が買収し、亜細亜大楼と改名されました。
9階建てで建築面積は1万m2以上。 延安東路と中山東一路の角にあり、延安高架路の外灘口が撤去され全貌が見渡せるようになりました。
亜細亜石油は1950年に華東石油会社に移管されましたが、その後住民が次々に変わりました。外壁の改修が終わりましたが、現在はまだ空き家のようです。

建築当事の亜細亜大楼<黄浦江人文熱線>
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