外灘26号地はサッスーン洋行が所有する土地でしたが、19世紀終わりに麻薬の商業取引が禁止されて経営が傾き、揚子保険に売り渡しました。

建物は1917年に起工し1920年に完成しましたが、第一次世界大戦後の混乱もあり、1928年から本社事務所として使用されたようです。
占地面積639m2、7階建てで建築面積は4,374m2。

太平洋戦争中は日本軍に接収されていましたが、戦後また復活しました。

新中国成立後は保険会社数社が入居しており、「保険大楼」と呼ばれていました。
最近まで農業銀行外灘支店が使用していましたが、2007年に撮影した写真には写っている上部の金文字も今は取り外され、営業を取りやめているようです。

2004年上海発行の本にも「左に傾いている」との指摘がありましたが、そのためなのでしょうか。
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建物は1917年に起工し1920年に完成しましたが、第一次世界大戦後の混乱もあり、1928年から本社事務所として使用されたようです。
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太平洋戦争中は日本軍に接収されていましたが、戦後また復活しました。

新中国成立後は保険会社数社が入居しており、「保険大楼」と呼ばれていました。
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