1.マンションの壁を岩山にしてしまいました。上海式「遊び心」でしょうか。
2.右端に見えるのがそのマンションですが、お正月早々「長寿路」とは何とも縁起の良い名前ですね。

この辺り、蘇州河以南は1899年に共同租界の拡張で租界内に取り込まれました。
蘇州河の水運を利用した工業地帯となり、日本資本の紡績工場が集まり多くの工場労働者が生まれ、共産党が発展する揺りかごともなりました。
3.常徳路を北にすぐ長寿新村という小地区がありました。

4.その由来について。。。

「解放前(新中国建国前)、この辺りは<薬水横丁>と呼ばれる上海最大の<貧民窟>で4000戸以上のバラックが密集していました。
解放後、上海はこの地区の環境改善に取組み一定の成果をあげましたが、1985年からこの地区の再開発に取り掛かりました。
10年後40棟の高層マンションが林立し26万m2の住宅を完成させ、緑地も増え環境良好な住宅地が誕生しました。」とさ。
5.日当たりもよく、素晴らしい住宅ですね。

上海戸籍の住民は1500万人だそうですが、その内、どれほどの人がマンションも手に入れ、車も買い、海外旅行もでき生活が豊かになったのか知りませんが、次に欲しいのはやはり健康です。
貧困を克服した長寿路ではいったいどんな生活が送れるのでしょうか。
撮影:CANON EOS5DIII + EF24-105mmF4 IS
2.右端に見えるのがそのマンションですが、お正月早々「長寿路」とは何とも縁起の良い名前ですね。

この辺り、蘇州河以南は1899年に共同租界の拡張で租界内に取り込まれました。
蘇州河の水運を利用した工業地帯となり、日本資本の紡績工場が集まり多くの工場労働者が生まれ、共産党が発展する揺りかごともなりました。
3.常徳路を北にすぐ長寿新村という小地区がありました。

4.その由来について。。。

「解放前(新中国建国前)、この辺りは<薬水横丁>と呼ばれる上海最大の<貧民窟>で4000戸以上のバラックが密集していました。
解放後、上海はこの地区の環境改善に取組み一定の成果をあげましたが、1985年からこの地区の再開発に取り掛かりました。
10年後40棟の高層マンションが林立し26万m2の住宅を完成させ、緑地も増え環境良好な住宅地が誕生しました。」とさ。
5.日当たりもよく、素晴らしい住宅ですね。

上海戸籍の住民は1500万人だそうですが、その内、どれほどの人がマンションも手に入れ、車も買い、海外旅行もでき生活が豊かになったのか知りませんが、次に欲しいのはやはり健康です。
貧困を克服した長寿路ではいったいどんな生活が送れるのでしょうか。
撮影:CANON EOS5DIII + EF24-105mmF4 IS