石月正広著『月の子』は、近世における江戸山形屋吉兵衛開版『死霊解脱物語聞書』の実録と史実に基づいて書かれた特異な時代小説です。もっとも、そこに出て来る水死という異状死をモチーフにした伝承は、蛭子を流す『古事記』や入水自殺したとも伝えられる柿本人麻呂などの古い伝説へと溯ることが出来ます。傾く月あるいは欠けゆく月は、死の象徴であるとともにやがて再生する不死の象徴でもあります。もちろん、それは連続した肉体的生命の不老不死ではなく、死んで生まれ変わるという断続を経て魂がいかにして神へと昇華するかという問題と関わることになります。それは蛭子信仰や客人信仰における神が海彼から来臨する所以でもあります。また、生死や美醜といった二項対立の世界を超克する日本人の高い精神性を改めて見直す契機をそこに求めることも出来ます。そういう意味で、『月の子』には、単なる怪奇的時代小説という枠を超えて私たちの魂に訴えかける感動を禁じ得ません。現代人が忘れかけている魂の在り方を問う格好の書と思います。
近道をすればたちまち草いきれ 木暮陶句郎
昼寝して熱海の波の藻屑かな 同
この花をさびたと呼べばもの悲し 柊吾子
苗籠の雫に濡れる重さかな 芹澤若葉
冷蔵庫闇にひらきて光抱く 小川軽舟
颱風去り雑兵のごと風残る 同
自販機が硬貨呑む音西日差す 奥坂まや
大泣きのあと爽やかに鼻かめる 柳克弘
指先に開く情報夏の風邪 加藤静夫
江戸川や千葉は東に日は西に 西原天気
ロボットが電池を背負ふ夕月夜 同
せせらぎがきらきら曼珠沙華になる 笠井亞子
姉はみなルーシーである大花野 同
破れたる芭蕉を更に破る雨 星野高士
水仙の一壺に海の匂ひあり 星野椿
紅葉散る風につつまれ立ちつくす 今井千鶴子
散華めく柿の落葉は焚かずおく 今村征一
魂の遅れて戻り昼寝覚 岡田耕治
ざりがにと話せるようになりにけり 同
真ん中に寝そべっている敗戦日 同
瓢箪の高さにありし悲鳴かな 同
太刀魚の己が光を昇りけり 同
桐咲けり離合集散繰り返す 後藤昌治
手に足に蝶絡みつく名も知れずに 小笠原靖和
くちなしに少し溺れて引き返す 谷口智子
荒神のまなざし捉ふ白紫陽花 永井江美子
水中花きのふのこととなりしこと 山本左門
人間になれぬロボット銀河系 鳴戸奈菜
へうたんと沖をながめて午後になる しなだしん
ものを噛む淋しさ星の溢れをり 水野真由美
秋の蝶さらはれてゆく戻り橋 長嶺千晶
底なしの夜となりたる新酒かな 大森理恵
水底の石を見つむる秋扇 涼野海音
阿蘇五岳秋の玻璃戸に収まらず 永田満徳
ぼうふらの水より出でて空と海 榎本バソン了壱
朝顔を灯して下谷路地に入る 八木ブセオ忠栄
薔薇色の船で旅立つ月夜かな 蜷川有紀
夏の雲食らいて太るだいだらぼっち 笹公人
内陣の闇のしりぞくお風入れ 山尾玉藻
風のなき夕べ風鈴鳴り始む 杉浦典子
空に傷なき鬼百合の背丈かな 浜口高子
滴りの遙かなる音刻みけり 蘭定かず子