亡き人へ両手をつなぐ踊の輪 小原啄葉
地震くればおのれをつかむ蓮根堀 同
海へ出たがる初凧の糸ゆるす 同
無に徹し生くるも難し返り花 同
亡き人へ両手をつなぐ踊の輪 小原啄葉
地震くればおのれをつかむ蓮根堀 同
海へ出たがる初凧の糸ゆるす 同
無に徹し生くるも難し返り花 同
兜虫つかみどころのありにけり 成井侃
反転のあとの攻勢稲雀 同
行末は知らず雛を流しけり 同
素戔嗚尊大足稲の花 同
漂へるものにたましひ月の海 同
原石鼎の実相に迫る好著。数多くある石鼎の名句でも「頂上や殊に野菊の吹かれ居り」には特別な思いがあります。実は、二十年前に東吉野村を訪れた私は、まさに石鼎が掲句を詠んだ「鳥見霊畤伝承地」の山頂でたまたま野菊を発見しました。神武天皇が即位後はじめて天神を祀って御先祖に大孝を奉斎した所です。のちに石鼎は「金の日の吾を立たししは鳥見の神」と詠んでいます。日常を俳句に詠んでそこに神を捉える炯眼を石鼎が持っていた所以かもしれません。
また、石鼎著『言語學への出發 - 一考案としての言語に就いて』は、日本における言語学研究の先駆けであり、当時の西洋近代言語学と比肩されるべき価値があります。そこには古代文献史学のみならず医学・生理学、民俗学、あるいは地理学などパースペクティブな観点から、言語の音韻と意味との関係性が考究されています。今回、上梓された岩淵喜代子・評伝『二冊の「鹿火屋」原石鼎の憧憬』は、石鼎の俳句実作を通して、その詩的創造性の神髄に迫っており、たいへん貴重な考証を提供してくれます。まさに新しい俳句の地平を切り拓く現代俳人必読の書と思います。
木霊せり微熱を持てる夏木立 辻村麻乃
晩夏光プラスチックの中の泡 同
稲穂さはさはさは海の音となり 同
人参を地中に持ちて夕日落つ 同
早起きの竜天に上りシーツ干す 同
滲みつつ滴るまでのひかりかな 澤好摩
藤垂れて天上の風地に還す 梶原ひな子
蛍火と音なき闇の双手かな 横山康夫
裏口を濡らされてゐて心太 山田耕司
腹立てて陽だまりの陽を掴んでいる 橋本七尾子
月蝕や伊予の青石露に濡れ 黒田杏子
水鳥といへばかがやく都鳥 同
雨上がりゆらぎそめたる五山の火 清水憲一
沖遠く泳ぐ人見ゆ葛の花 岩田由美
雨音を重ねて月を祀りけり 高田正子
戦後即戦前街になつあかね 三島広志
秋蝶の複眼まつすぐに堕ちる 五十嵐秀彦
薄の穂団子の臍繰り月の塔 榎本バソン了壱
大夕焼右翼少年昏睡す 八木ブセオ忠栄
竹とんぼ胸の谷間に降りにけり サエキ子覗けんぞう
おそるおそる扉を開く秋の淵 蜷川有紀
戦時下の日記は一行からすうり 鍵和田秞子
梟のあれから帰らず月の森 浅井愼平
国つ神ふところにして山眠る 豊田都峰
トルソーの向き変りをり桐一葉 菅原鬨也
海嶺に次の人類眠る春 橋本直
降りそうな明日へ茸たち通信 田島健一
暗闇の大王烏賊と安眠す 金子兜太
長崎に夜も崩れぬ夏の雲 宇多喜代子
大根のむすめざかりを洗ひけり 宮坂静生
一もよし万もまたよし夏の星 高野ムツオ
肺に息留めよ雪が地に届く 近恵
人日のあたまの下に在るからだ 安西篤
星雲のほどかれてゆく若葉雨 石母田星人
死神に精度はあらず冬の旅 大井恒行
菊咲けり津波に裏返されたままの坂 加藤昌一郎
友だちの友だちは風桑いちご 堀之内長一
星の火の蹠に届く初湯かな 五島高資
月に眠り紫苑に朝の眠り託す 金子兜太
河童忌の新月糸で吊すなり 安西篤
山際の星鎮まれる茅の輪かな 塩野谷仁
花梔子伝えたきこと改行す 武田伸一
凌霄花あんなところに警策が 森田緑郎
打水のここより龍の背中かな 五島高資(金子兜太抄出・海程秀句)