今回の件、当初私が想像していた以上に、心が深く傷ついてしまわれた羽生ファンの方々がいらっしゃるとわかってきたので、
一ファンとして、私が気づいたことや感じたことを、少しだけ書いてみたいと思います。
それが、どなたかの、何らかの助けになれば幸いだと思って、書いてみる、という程度の意味です。
また、私宛の私信を送って下さって、励まして下さった方々、本当にどうもありがとうござました! 本当に感謝します。
100人いれば100通りの考え・感じ方があるのと思うので、「ふ~ん、あなたは、そう思うのか」程度の、参考にどうぞ。
週末、ロステレコム杯が終わりました。
小塚選手の、演技を見ました。
最初に、小塚選手がリンクに登場した時、その「普通の姿」を見て、心の底から・・・本当に心の底から安心してしまった私がいました。
普通の頭、普通の顔、普通の様子、普通に登場・・・
これは本当は当たり前のことなのですが、特に頭を見て、「ああ、良かった、これが当たり前なんだよね・・・」と、思わず安堵のため息。
小塚選手の、フリーの演技を見て、とても癒されました。素敵な演技でした。
そしてやっと気が付いたのですが、私が羽生選手を見ていて一番つらったのはやはり、「頭にテーピング(バンテージ)ぐるぐる巻き」状態だったことそのものだと、わかりました。
ホントに「安全」ならば、あの「頭にテーピング」なんて、不要だったはずなのです。
あれがなければ、到底、羽生選手を滑らせることさえできない ・・・
羽生選手が、あの時そのような状態であることを、あれが何よりも重く物語っています。
そして、そんな不安を大いに抱えながら、フィギュアスケートの演技をも心の底から楽しむ、というのは、やはり同時にするのは、ほぼ不可能なのです。
あまり関心のないような、それこそ思い入れのない他の選手だったら、まだ少し可能だったのかもしれません。
でも、私にとって、羽生選手でそれをするのは、かなり苦しかった。
それどころか、最も苦しかったのです。
頭ぐるぐるテーピングの状態の羽生選手を拒否したいのでは、断じてありません。
私の心にあったのは、あの状態の姿の羽生選手であるならば、「ベッドに横になっていてもらって、そのそばで見守りたい」 対象になるのです。
それだと安心。
だけど、頭に影響が悪いと思われる、高速で回る4回転をビシバシ跳んで、怪我しているのに転倒して、数えきれないほどの回転をスピンでして・・・
ワクワクしながら、「頑張れー!」って言って見ていられる、そんなことを期待できる状態には、到底なれない。
書くのを控えていましたが、あの状態の姿をみて、私はあることを思い出してしまいました。
過去の、記憶です。
詳しくは、書きません。
でも、記憶や、その時の思いが沢山、フラッシュバックした。 そして、心臓が苦しくなりました。
多分、私と同じような、あるいは別の、過去の辛い記憶と共に苦しめられながら、演技を見る羽目になった、数えきれないほどの人がいると、思います。
それは、羽生選手の演技と共に味わうことなど、全く望んでいなかったはずです。
むしろ、真逆を期待していたはず。
(羽生選手ももちろん、望んでいなかったと思います。むしろ本来は、逆の意識だったはずですし、そんなことは意図してもいないでしょう。)
そして、その人たちが感じた、「観たくないものを見せられてしまった」という記憶や思いは、羽生ファンだからと言って、否定されるべきとは、私は思いません。
羽生ファンだからこそ、恐ろしく辛くなってしまわれた人たちがいたはずです。
一杯泣いて、いいのです。 泣いた方がいい。
私はそれでも、羽生選手の演技が好きだという長年の積み重ねと信頼があるから、演技が行われる以上、何があっても絶対に見逃したくないから、ひたすら祈りつつ、
『この人は天才だから、何があっても、必ず守られるはず!』みたいな強い思いで、なんとかしっかり、最後まで見ることが出来ました。
でも、ハラハラしながらだから、ものすごく疲れました。
でも、出来なかった人たちも沢山いたはずで、それは当たり前のことであり、それでいいのだと思います。
無理して観る必要は、全然ない。
それを、「羽生選手がせっかく頑張ったのに、観たくないとか、酷いこと言うな!」
「本人の好きにさせてあげればいいのに、」とか、何も知らない他人が何を言ってこようとも、関係ありません。
貴方の心は、あなたが守るべき。
他のスポーツの人たちで、「スポーツが危険と隣り合わせなのは当たり前だから、その程度は・・・」などと言っている人達が、完全に見落としているのは、
フィギュアスケートの観戦者は、F1やラグビー、格闘技、ボクシング、などの観戦者とは、そもそもまったくといっていいほど、
応援者・観戦者の、「観に来ている目的」が違う、ということです。
そして、フィギュアスケーターの方でも、演技する目的が、その重要な点において、上の競技とは全然違うはずなのです。
フィギュアスケートは、スポーツの一つだとは言っても、やはり、芸術性や観客を無視しては成り立たない競技なのです。
特に現地観戦した羽生ファンさんの中には、お金を払ってまで観に行ったのに、観たものは( これは全然羽生選手のせいではないとしても、)
結果的には、観たくもない、予想もしなかった、凄惨な、恐ろしい光景と記憶が蘇った・・・なんてことになった可能性が高いです。
テレビは、最悪、消すことができます。
でも、現地観戦は、多分そうはいかない。
さらに、羽生選手が再び登場した時、「やめてー!」って叫ばれた方々、きっと何人もいただろうと思います。
私が現地にいたら、絶対にそうしたと思う。
でも、演技されてしまった。観なければならない。
羽生選手に届いたか、届かなかったか、わからないその声・・・ その心は、傷ついて当たり前です。
私がそれでも、羽生選手に「バカヤロー!」って言えない理由・・・
それは、演技を見ていて――――決して自分のためではなく、多くのファンの期待に応えるために、テレビの向こう側のファンのためにも、まっすぐな強い思いで、真剣に全力で演技したように見えてしまったからです。 (もちろん、本当のところは本人にしかわかりません。でも、私には確かにそう感じられました。)
でも、私も含め、多くの羽生ファンが、「楽しみにしています!」と、これまでに羽生選手に伝えてきたと思います。
そして、その思いを重く重く受け止めて滑ってくれていたように、私は感じていました。
あの状態の身体で、羽生選手が「勝てる」と考えていたようには、私には、全然見えませんでした。
「勝つためだけに」やったとも、全然思えませんし、思っていません。
明らかに、あの時、直前で出来ることを必死で頭で考え、自分を鼓舞し、演技を組み直し、出来る限りでの「ベストは尽くしていた」と思うけれども。
あの身体で、あの構成で、それでも勝てるなんて羽生選手が思うとは思えません。
ただ、自分がやりたいから、それだけの理由で、周りの迷惑や後先考えずわがままにやりとおしたとも、全然思っていません。
それは羽生選手が、かつて最も嫌がって悩んでいたことだからです。
私は、羽生選手は、勝敗を完全に超えた次元であの時、演技してくれていた・・・
みんなに少しでも伝わるように、魂を込めて演技しようとしていた・・・
少なくとも、私は強く、そう感じました。
5度の転倒は、羽生選手史上、最悪の内容です。 本来なら、落ち込みきっているでしょう。
でも、終わった時の顔は、全くそうではなかった。
それは、演技後の穏やかな顔にも、挨拶時の顔にも、表れていたように、私は思っています。
キス&クライで、羽生選手は、本来の実力からしたらボロボロの状態の演技ではあったのに、すがすがしい顔をしているようにも見えます。
そして、出てくる得点に期待など全然していなくて、ただやりきった満足感と、その姿でそこに座っていることへの恥ずかしさみたいなものを抱えながら、待っているように見えます。
でも、衝突事故も何もなかったならば、羽生選手は本当はトップじゃなければ、気が済まなかったはずです。
そして、得点。
猛烈に驚いて、「何が起きたの?!」と思わず聞く羽生選手。
コーチ、ホッとした顔で、嬉しそう。
信じられない顔で戸惑いつつ、会場の人々の歓喜の様子を見て、それからそのまま、号泣する羽生選手・・・
もちろん、誰の、何のためにそもそも演技を強行したのかは、羽生選手が本音を語ってくれない限り、わかりません。
でも、私は少なくとも、羽生選手がこちらに届けてくれようとしたことをしっかりと感じ取れ、あんなになってもそうしようとする、その姿に感動したのも事実です。
でも、そんな羽生選手の思いとは全く別に、見ていたファンが、
「思い出したくないことを思い出して」しまって、あるいは、「無理やり辛い時間を過ごさせられた」、と感じた現地ファンがいても何の不思議もありませんし、その感情は感情で、大切なものとして肯定されるべきだと、私は思います。
なぜなら、フィギュアスケートは、観る立場の人がいて初めて意味が成り立つ、そういうスポーツだからです。
そこが、本当に特殊。
だからこそ、重傷を物語り、辛い記憶や嫌なイメージしかわかない、テーピングで頭ぐるぐる巻き状態で滑った羽生選手の姿を、
「観たくない」 「観られない」 人たちが沢山でても、当たり前だし、「私には辛すぎて無理でした!」「やめてほしかった!」とどこかで訴えても、それでいいのだと思います。
誰かに気持ちを話して、聞いてもらって、その苦しさを解消して下さい。
私は、このことに気が付いてから、気が付いたという、ただそれだけで、ものすごく心が楽になりました。
私は、数回前の記事で書いたように、できるなら、羽生選手の出場を「全力で止めたかった」のです。
頭にテーピングバンテージぐるぐる巻きの羽生選手の姿からは、リアルな死がイメージされてしまう。
それは耐えがたい。
それだけでなく、辛い記憶や未来が連想されるから、非常に怖い! 応援もできない!という人が大勢いても、当たり前です。
せめて、見た目での「頭のぐるぐるテーピング」さえなかったら、全然違っていたんだな、と私は思いました。
でも、あの時、あれは絶対に「必要」だったわけです。 あの時、羽生選手の命を守るためには、なくてはならないものだったから・・・
それが事実。
それが、辛いのです。
羽生ファンには、とてつもなく。
あれを見ても何の危険も感じずに、テーピングを「演出」として見ていられた人や、
あれを見ても、何の辛い記憶も呼び起こされずに楽しめた人たちは、ラッキーだったと思います。 辛い記憶も過去もなくて。
感動したという事実は、羽生選手が送ろうとしたものをしっかりと受け止められたことだと思うので、私はそれはそれで良いと思う。
事実、あれを見て感動した人が、フィギュアスケートに興味がないような人たちの中にも沢山出たというのは、
やはり魂からの演技が、羽生選手からしてみれば、予定外の人たちへと伝わった、という、別の事実が存在することを意味します。
でも、そうではなかった、一部のファン、または一部の観客の気持ちは、完全において行かれてしまっただけでなく、傷つけられてしまったのです。
そして、今回のことは、羽生選手の身体の安全問題だけでなく、そこがさらに、決定的に問題なのです。
羽生選手は、「心から楽しんでもらおう」とか、「生きていく勇気をもらったのでそれを届けたい」とか、自分の演技を通して、いつも何らかの幸せなメッセージを積極的に発しようとしているスケーターだと、私は強く感じています。
だから、こんな結果が、一部でも起こるとは、想像もしていなかったのではないかと思っています。
今回も、大会後に、みんなに喜んでもらえていると思って、「あきらめなくて良かった」と、松岡修造さんに心から笑顔で、嬉しそうに言っています。
あれほど、自分の身体を犠牲にしたというのに、喜んでいる。
それは、それがみんなのためだったと信じているから・・・そういう顔に、私には見えました。
でも、実は違った・・・違うんだよ、羽生選手!逆に辛くなった人がいるの! と心の中で叫んでいた私には、
だからこそ、その羽生選手のあの笑顔が、見ていてとても辛かったのです。
これが整理出来たら、すごく楽になりました。
だから、書きました。
今は私は、あの演技を直視することができます。
羽生選手が、本気で魂を込めているのが、観ていてわかります。
そして、そういう「魂を込めてくれる」羽生選手の演技が、私は本当に好きなのです。
でも、頭ぐるぐるテーピングは、いらない。(笑)
そういう状態では、二度とやらないでほしい。
あれがなかったら・・・羽生選手が健康だったら、本当に最高でした。
でも、羽生ファンだからと言って、みんなが無理してあの姿を直視する必要は、全然ないです。
観る側の、自由。
少しでも、まだ苦しんでいるかもしれない、どこかの誰かの、参考になることを願って・・・
このブログのタイトルは、「花になろうよ!」です。(笑)
羽生選手が、「花になれ」をはじめとして、今までの演技に込めてくれてきた思いを私なりに感じて、受けとめて、つけたつもりです。(笑)
皆様の心に、少しでも明るい花が咲きますように。
羽生選手が願っているのも、間違いなくそれだろうと、私は信じています。
「あなたは今、笑えてますか?
どんな息をしてますか?」
―――こんな言葉で始まる歌と曲に合わせて、今年何度、羽生選手はその演技を届けてくれようとしていたでしょうか。
度重なるその無理がたたったうえでの、怪我、そして今回の事故だと思います。
羽生選手が、今回のことを通して、さらなる優しさと強さを身に着けた、最高に輝かしい「花」=フィギュアスケーター、として、さらに強く大きく成長してくれることを信じています。
その大輪の花の姿を、いつか見せてくれますように・・・!!
怪我の回復を、心よりお祈りしています。
さて、私も頑張るぞ!(笑)