羽生選手が、 NHKの番組で現在の「被災地への思い」を語り、今後の抱負を語ったインタビュー動画が出ています。
こちら → http://www.dailymotion.com/video/x3mke7p_%E3%81%A6%E3%82%8C%E3%81%BE%E3%81%95-160115_sport
「僕の中では、皆さんと同じ地震を経験した一人の人間として、この震災というものに携わっていきたいと思っていますし、…」(以下カット)
「自分の演技を観た時の、その気持ちというものを、皆さんの中に、少しでも、自分が生きている証じゃないけれども、そういうものを残せて… 残せるような演技が出来たらいいなと思いました。」
「羽生結弦という存在として、一人の人間として、その被災地の…被災地…というか、なんというかな、本当に、まあ、あの地震を経験したからこそ、多分僕たちはずっと考え続けなければいけないものだと思うので、一番被害の大きな地域の近くにいた人間だからこそ、出来る演技があると思います。 その演技をして、また、それが皆さんの心に残ればな、という風に思います。」
「まだまだ進化すべきところ…まだ、まだまだ、本当に尊敬する先輩、または後輩を含め、様々なスケーターが沢山いらっしゃるので、僕も一生懸命、これからも進化していきたいと思っています。」
また、朝日ビッグスポーツ賞を受賞したことから、野球の(日本ハム)大谷翔平投手とお話しし、190センチ以上ある彼の横で、「自分はこんなに小さかったんだ」(笑)とコメントしています。
確かに羽生選手がとても小さく見えますね。(笑)
一方で、体操の内村選手とも並び、羽生選手から質問攻めにしたそうですが、(笑)
こちらは、内村選手と並んだ羽生選手が、逆に大きく見えます。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160116-00000003-spnannex-base
体操選手は小さいほうが有利とか、逆に体操をずっとやっていると背が伸びないなどとも言われますが、
色んな種目に適した体格や特徴というのがあるのだなというのが、よくわかる、
活躍中のアスリートのたちの集まった授賞式でした。
自分に備わっているどんな特徴も、決して卑下することなく、むしろそれを活かせる分野で活躍できると、きっと多くの人は幸せになれるのでしょうね!
こちらは、ニューイヤー・オン・アイス についてのニュース動画。
以下、羽生選手のコメントです。
「自分の演技を観て、皆さんが、何かを思い出すきっかけになったり、またはその、何かを始めるきっかけになったり、そういうものになれたらいいなと思いました。」
「4回転ループを決められたことですし、しっかりこの日を忘れないようにして、様々な思いを胸に、頑張っていけたらなと思っています。」
「みんなに追いつかれない程度に、どんどん進化していって、自分を信じたうえで、認めたうえで、何が足りないのか、何を超えていかなくてはいけないのか、そういうことを常に見つめていきたいなと思います。」
「精神面であったり、体力面であったり、技術面だったり、全てにおいて進化しなければ、それは進化とは言えないと思うので、ああ、また一皮むけたな、二皮むけたな、と思えるようなスケートができればと思います。」
・・・楽しみにしていたいと思います!(笑)
こちらは、その舞台裏の動画ですが、4分前後のところで、4回転ループのひたすら繰り返し再生がされていて、しかも角度の違う映像を繰り返し流してくれています。 「ループ」って、どんなの?!というのを確認したい方には、おススメです。
次の動画でも、羽生選手が、4回転ループを最後に決めましたけど、コメントで次のように語ってくれています。
http://www.dailymotion.com/video/x3nitlm_20160121-2016%E5%B9%B4%E3%81%AE%E9%8D%B5%E3%81%AF_sport
「(4回転)ループに関しては、まだまだプログラムに入れられる程度の確率ではないと思うので、
もうとにかくこれから、さらに練習していくのみだな、と思います。」
・・・ ファンは、静かに待っていたいと思います!(笑) (←静かに見えない)
さて、この曲の元のゲーム、タイムトラベラーというゲームが、本当は一体どういう内容なのか、ちょっと考えてみたいです。
Wikipediaによれば、次のようになっています。
「2013年4月。東京の上空に突如現れた大穴。後に「ロストホール」と呼ばれるその穴は発生直後に東京に甚大な被害を与えた。
それから18年後の2031年4月某日、驚異的なスピードで復興を遂げた東京。
14時、刑事の神谷壮馬は妻と子を誘拐した犯人の指示に従い渋谷の街を走り回っていた。
同刻、テレビ局「テレビファイブ」ではアナウンサー伏見雛は自分の仕事の行く末で悩んでいた。 物語はここからはじまる…」
うーん…
震災? 阪神・淡路?
舞台は渋谷だそうだし、上空に現れた「大穴」が東京に甚大な被害を与えた、となっています。
読むかぎり、とてもじゃないけど、震災のような「天災」には見えないです。
むしろ、「人災」の類しか、私にはイメージできません。 歌詞から聞いても、私には「人災」のイメージです。
このゲームは、発売されたのが、東日本大震災の1年後の「2012年」だけど、このゲームの舞台の「大災害」の日時の設定は2013年になっていて、
しかも、場所はなぜか東京です。
別に、ゲームの歌ならゲームの世界の歌として、そのように伝えられていれば、特に問題はありません。
その後は好き嫌いの問題で、「私は好きじゃない」となったら、それでおしまいなだけです。
でもなぜか、この曲が阪神大震災をテーマに歌っている~ などという宣伝がついて回るようになりました。
実は、羽生選手はそんなことは一度も言ったことがなかったのに。
事実、2014年の9月に発行された、「World Figure Skating」という雑誌の中で、羽生選手は、このプログラムと曲について、次のように語っていました。
「ぼくそのゲームをプレイさせてもらっているんです。だから曲が入ってくる。
なんていうのかな、次元の狭間、時間の端っこにずっと立たされて、さまよっている感じ。
自分ができることは、世界を救うことだから、この間違った世界を守り、変えたいんだ、というような内容の曲。
英語の歌詞だから日本語ほどストレートには入ってこないけど…(以下略)」
完全に、ゲームの歌として解説されています。 空想世界の話として。
闘うんでしょうね、何かと。
でも、どこにも、大震災のイメージはない。
人が死んだイメージはわかるけど、そもそも天災がきっかけだというイメージが、この英語歌詞にはないです。
阪神大震災になくて、東日本大震災にあったものーーーー
それは、今も多くの人を苦しめ、おそらく日本を今後ずっと苦しめる可能性さえ持つ、「福島の原子力発電所の連続爆発事故」です。
そしてこの英語の歌詞は、私にはむしろこの人災のイメージそのものです。
あと、戦時中の原爆投下や、テロのイメージ。
舞台が東京だというのも、不気味です。 …ゲームの設定ならわかりますが。
上の「ゲームのあらすじ紹介」を見れば、私の「歌詞から受ける」イメージは、基本的に間違っていないだろうと思います。
このゲームの「コンテンツ」も、上のHPでは、「犯罪」になっています。
情報によれば、最初は、アドベンチャーゲームということになっていたようですし、
羽生選手自身は、今まで一度も、阪神大震災の~なんて言うことを語ったことは、なかったと思います。
ゲームをやっているのなら、それはよく解っていたのだろうから、当たり前なんでしょう。
これがなぜか、阪神大震災の「追悼」みたいに扱われて羽生ファンの間に広げられることは、私の感覚では、ちょっと…
阪神大震災が、人工的に引き起こされたものだという、陰謀説に立っているというのなら、少しは理解できますが。
宣伝の仕方が、完全に「震災を利用」「ごり押し」と言われてしまっても、仕方がないのではないかと、今では率直にそう思います。
実際、作り手がイメージしていたとしても、それが曲の歌詞から聞き手に伝わってこなければ、何の意味もありません。
阪神大震災を思い、励ます意味や、何かの思いを込めて演技すること自体は、なんの問題もないでしょう。
阪神大震災を経験された方々は、東日本大震災の時、率先して人を助けようと意識して動いた人が多かったように、私の印象には残っています。
震災の日に思いを寄せてコメントするのも、いいと思います。
ただ、羽生選手はあの時、まだ生まれたての赤ちゃんで、何の責任も関係もなかったということは、確かなわけですが。
別に、他の曲であっても、阪神大震災のことを思いながら滑るのは、羽生選手なら可能だろうと思います。
羽生選手が本気で心を込めたなら、どんな演技だって凄くなるよ、と、私は言いたい。
この曲の歌詞を読む限り、ただの空想世界の話でしかないか、もし現実世界だとするのなら、一部の、非常に重い歴史的事実を背負う人たちにとって、かなり残酷な話になっていきます。
だから、私はちょっと怒っています。
そして、私が当初から強く疑問に思っていたのは、次の点です。
「この間違った世界を守り、変えたいんだ」という内容なのだ、と、羽生選手は最初の頃、雑誌で語っていました。
しかし、英語の歌詞に、そのような「変えたい」という言葉やニュアンスは、全く見当たりません。
少なくとも、羽生選手の演技で使っている英語の歌詞の範囲では。
羽生選手が、「英語の歌詞だから日本語ほどストレートには入ってこないけど…」と語ってくれていた感性は、実は正しいと思います。
当初、この英語の歌詞は、サラさんが羽生選手のために英訳した、などと宣伝されていたと記憶しています。
…羽生選手のために,この英語の歌詞へと変わったというのなら、私にはむしろ完全に理解不能です。
羽生選手の語っていたイメージとは、かなり違うから。
これも、宣伝のための後付けだったのでしょうか?
最初から、ゲームの世界観で作られただけだよ、というのなら、まだわかりますが。
私は日本語の歌詞を全ては知らないけど、羽生選手の上の言葉を読む限り、それを信じるならば、この歌詞の英語と日本語は、どうも違うようで、しかも、ただ違うのではなく、最終的なところが、正反対なのではないかという印象さえあります。
それも、私から見ると、「一番肝心なところが」です。
もしこの歌詞が、最後に、羽生選手が言っているみたいに、「これを変えたいんだ」で結ばれていたら、印象はまたかなり変わったでしょう。(でも、そうなったら、阪神大震災のイメージはますます遠くなります。)
でも、英語の歌詞は、「この偽りを守る」ところで終わっていて、「間違った世界を… 変えたいんだ」なんていう正義感な内容は、どこにも入っていません。
しかも、「この嘘を守り」「黙って降伏し、この世を去る」とまで歌われていて、偽りへの完全降伏の歌詞となっています。
「偽りの世界」「一瞬で消えた命」 のイメージで始まり、「その嘘を守り」「黙って降伏し、この世を去る」と続いていき、それを美しく歌う歌。
残念ながら私には、もうこの部分だけでも、歌詞からは、強い違和感しか感じません。 日本人として。
そういう人間もいるということ。
私と同じ感覚の人たちは、一定数いるだろうと思っています。
その理由を、別のページで詳しく書きたいと思います。
演技自体は、悪くなかったです。 昨年より、断然良かった。
一つ一つの技も正確だし、非常に力強くなったし、
私が問題視している「歌詞」に、完全に「勝った」ようにも見えました。
恐らく、羽生選手自身はその「英語の歌詞通り」のイメージでは滑っていないように「私には」見えます。 (わかりませんけど。)
だけど、やはり「歌詞」が私にはアウトです。
どこがどうアウトなのか、なぜアウトなのか、その詳しい理由を、次回書きます。
やはり、演技というのは、曲と演技とだけで、印象が決まるものだと思うから。
そこでだけ、表現されていき、そこでだけ判断され、評価されていくものだと思うから、です。
振付師の方には、選曲に、時には本当に注意していただきたいなと思っています。
「偽り」「嘘」と訳される(Lie)は重くて強い言葉で、英語では時に「悪魔」とほぼ同義の意味をもつ、と、私は書きました。
defend this lie は、「偽りを守る」ですけど、普通は、「嘘の正当化」を意味することが多いようです。
その「偽り」のせいで、作品イメージごとダメージをこうむったケースも過去にありましたよね。
高橋大輔選手の、ソチ五輪シーズンのショートプログラムの、悲劇の二の舞みたいなことに、もう誰もならないように…。
どんなに良い演技も、偽りの前では、この曲の日本語の冒頭の歌詞通り、「すべてが、偽りに包まれ、消えて」しまうことがあるからです。
今週の月曜日は、アメリカでは、マルティン・ルーサー・キング Day (祝日)でした。
最後に、彼の言葉を、ちょっとだけご紹介。