羽生選手が、阪神大震災の日に、ニューイヤー・オン・アイスで「ファイナル・タイム・トラベラー」という曲で演技しました。
「最新の宣伝によれば」、これは阪神大震災をテーマに作られた(ゲームの)曲だとのことになっているようです。(羽生選手本人は、そのようなことは今まで一言も言っていなかったのですが、周囲の宣伝でそうなっていきました。)
作り手の本音は、もしかしたらそうだったのかもしれません。
しかし残念ながら、前回書いたように、少なくとも羽生選手が滑っている「英語の歌詞」からは、私にはそのようなものは全く伝わってこないばかりか、
むしろ、原爆投下の悲劇と、福島の原発爆発時の恐怖と悲しみのイメージしか、私には思い浮かびません。
私の周囲の英語のネイティブスピーカー複数人に確認しても、歌詞を読むと、空想世界の話の印象か、もし現実なら不快感をもつ、あまりにもネガティブな歌、等の意見の人ばかりでした。
さて、この演技を最初にした当初、羽生選手は、次のように語っていました。
以下、「World Figure Skating」2014年9月号のインタビューより引用
「ぼくそのゲームをプレイさせてもらっているんです。だから曲が入ってくる。
なんていうのかな、次元の狭間、時間の端っこにずっと立たされて、さまよっている感じ。
自分ができることは、世界を救うことだから、この間違った世界を守り、変えたいんだ、というような内容の曲。
英語の歌詞だから日本語ほどストレートには入ってこないけど…(以下略)」
羽生選手は、この歌を「ゲームの世界の歌」として話していました。
そして、「間違った世界を… 変えたいんだ」という内容だと思って滑っているようです。
しかし、なぜかこの英語の歌詞には、そのような内容は一切入っていません。
「英語の歌詞」で どのような意味が歌われているのか、NHKの「あさイチ」のときに、下に翻訳字幕が出されましたので、それを見てご確認下さい。↓
(1時間00分40秒あたりからです)
「たとえこの世界が偽りになり 全てが一瞬で消えたとしても」で始まり、
「たとえこの世界が偽りになり あなたは消え去ったのだと悟る瞬間が 時間の深淵をさまよったとしても」
でつづき、
何やら人災のイメージがするのにも関わらず、
なぜか、「だから この偽りを守ってみせる」 と続き、その後、「静かに身をゆだねて」「そっとこの現実の世を立ち去る」と訳されています。
もとの英語は、「I silently surrender and leave this world behind 」となっています。
surrender は、降伏する、が基本ですから、「この偽りを守り(正当化し)」「黙って降伏してこの世を去る」とも訳せる英語です。
この曲は、ゲームの曲なので、その世界を描いているはず。
しかし、そのゲームをまったく知らない私が聴くと、英語の最初の2行を聞いた瞬間、直ちにイメージできてしまうものは、「広島の原爆投下」や「福島の原発爆発」でしかなく、それらが起きた背後に「偽り」が積み重ねられていたという事実を想起させられ、その後に起きた計り知れない悲劇を思い出してしまうのです。
これが実際はどんなゲームなのか、Wikipedia によれば、次のような内容のゲームだと、解説されています。
「2013年4月。東京の上空に突如現れた大穴。後に「ロストホール」と呼ばれるその穴は発生直後に東京に甚大な被害を与えた。 それから18年後の2031年4月某日、驚異的なスピードで復興を遂げた東京。 14時、刑事の神谷壮馬は妻と子を誘拐した犯人の指示に従い渋谷の街を走り回っていた。 同刻、テレビ局「テレビファイブ」ではアナウンサー伏見雛は自分の仕事の行く末で悩んでいた。 物語はここからはじまる…」
これを読んでも、私にはむしろ、破壊兵器のような人災のイメージしか浮かびません。 しかも、舞台は東京になっています。
天災に、普通は「偽り」(Lie)=(うっかり間違いや過ち、ではなくて、かなり意図的なねつ造や虚偽を意味する)などは存在しないから、「偽りに包まれて一瞬で全てが(人々が)消える」などというイメージの言葉の中に、天災の悲劇をイメージすることは、「私には」できません。
むしろ、究極の悲劇の人災のイメージです。
だからこそ、後半の、「嘘を守り」「黙って降伏し、この世を去る」の部分で耐えがたい思いにさせられてしまいます。
理由は複数あるので、一つずつ説明します。
東日本大震災の起きた、あの2011年の、8月6日。
広島への原爆投下から、66回目となった8月6日の夜、NHKで、衝撃的なNHKスペシャル番組が放送されました。
タイトルは、「原爆投下 ~活かされなかった極秘情報~」。
あの日、NHKが渾身の力を込めて報道した内容は、「広島へ特殊な飛行物体が向かっているのを諜報部員から知らされて、先に政府は知っていたにもかかわらず、諜報部員の報告を無視して、広島に空襲警報も出さず、その結果、防空壕に逃げ込むチャンスも得られないまま大勢が死亡した」という、あまりにも信じがたい、しかし一部ではずっと囁かれてきた「国の裏切り」の歴史的な重い真実を、当時の諜報部員が告白した内容でした。
しかも、広島だけでなく、それは長崎でも同じだった、ということでした。
NHKのHPでは、この番組は次のように解説されています。→http://www6.nhk.or.jp/special/detail/index.html?aid=20110806
(このページ右下から、NHKオンデマンドに跳ぶことができ、そこで今も見ることが出来ます。)
上記のページ解説より
「広島・長崎あわせて20万を超える人々の命を奪った原子爆弾。これまで日本は、アメリカが原爆攻撃の準備をしていることを知らないまま、“想定外”の奇襲を受けたとしてきた。しかし実際は、原爆投下に向けた米軍の動きを事前に察知していたことが、新たな証言と資料から明らかになってきた。日本軍の諜報部隊が追跡していたのは、テニアン島を拠点に活動するある部隊。軍は、不審なコールサインで交信するこの部隊を、「ある任務を負った特殊部隊」とみて警戒していたのだ。8月6日、コールサインを傍受した軍は、特殊部隊が広島に迫っていることを察知。しかし、空襲警報さえ出されないまま、原爆は人々の頭上で炸裂した。そして9日未明、軍は再び同じコールサインを傍受、「第2の原爆」と確信した。情報は軍上層部にも伝えられたが、長崎の悲劇も防ぐことはできなかった。
番組では、広島・長崎への原爆投下を巡る日本側の動きを克明に追う。情報を掴みながら、なぜ多くの人々が無防備のまま亡くならなければならなかったのか…。原爆投下から66年、その問いに初めて迫る調査報道である」
その時の、NHKスペシャルのデイリーモーション動画はこちら → http://www.dailymotion.com/video/x2id4qc_%E6%B4%BB%E3%81%8B%E3%81%95%E3%82%8C%E3%81%AA%E3%81%8B%E3%81%A3%E3%81%9F%E6%A5%B5%E7%A7%98%E6%83%85%E5%A0%B1_lifestyle
もし空襲警報を出していたら、そして多くの人が防空壕に避難できていたならば、もっとはるかに多くの人が生き延びられたはずだったという…
だけど、警報は「出されなかった」のです。
だから、原爆投下は、広島市民にとって、完全に不意打ちとなりました。
その偽りの結果、無防備なままの命が多数、一瞬で消えました。
それを番組スタッフから聞かされた被爆者の一人の男性が、番組の中で、あまりの信じられなさに、呆然とした顔をして言葉を失っていた、その時の表情を、私は忘れることが出来ないです。
これは、創作ストーリーでもファンタジーでもない。 現実に日本の歴史で起きたことです。
今も苦しむ、多くの人がいる。
その番組後、私は激しく泣きました。
あまりにも悲しくてショックなことが続いた2011年に、止めを刺されたような気持ちで。
自分でも驚くほど、苦しみ抜いて、泣きました。 その後しばらく、起き上がれなくなったほどでした。
かつて直接お話しした被爆者の方々の、その壮絶な人生を思い出してしまったからです。
広島や長崎でこれを見た被爆者の方々は、いったいどんな思いで、この番組の事実を見つめたのかーーー想像しただけでも、胸が引き裂かれるようでした。
この「偽り」は、実は(被爆者の中でも)知っている方々もそれなりにいたと思うのですが、番組で言っている通り、なんと戦後66年も公にされませんでした。
なぜ、2011年になって、これがNHKで報道されたのか。
同じような構造の、そして同じ「核の力による爆発」による悲劇を生む、巨大な「偽り」と「誤魔化し」が、想像を絶するレベルで進行していた2011年だったからこそ、あの番組スタッフは、決死の思いで作ったのではないかと私は思っています。
NHKは毎年、8月6日の夜のNHKスペシャルでは、非常に力の入った、衝撃的なドキュメンタリーを報道してきました。
東日本大震災の起こる2年前の、2009年の8月6日には、
「核は大地に刻まれていた ~死の灰 消えぬ恐怖~」と題して、残留放射線被ばくと、体内に放射性物質を取り込んだ場合に起こる「内部被ばく」が、核保有国により「人体に影響はない」などとされてきながらも、実際には、爆裂による直接被爆に匹敵するということを突き止めた、という内容を報道していました。
そして、核拡散を続ける世界に警告を発していたのです。
まさか、その2年後に、自分たちの国・「日本」で原子力発電所の連続爆発による大量の放射性物質のまき散らしが起こるとは、想像もできなかったことでしょう。
そして、日本が、この時の報道と「正反対の」報道ばかりするようになるとは、誰が想像できたでしょうか。
→ NHKの該当HP http://www6.nhk.or.jp/special/detail/index.html?aid=20090806
また、東日本大震災の起こるちょうど1年前の、2010年の8月6日には、
NHKは「封印された原爆報告書」という、これまた衝撃的な、人体実験・調査としての側面があったことを告発するような番組を放送していたのです。
NHKの該当HP http://www6.nhk.or.jp/special/detail/index.html?aid=20100806
以下、上のページより引用
「アメリカ国立公文書館のGHQ機密資料の中に、181冊、1万ページに及ぶ原爆被害の調査報告書が眠っている。子供たちが学校のどこで、どのように亡くなったのか詳しく調べたもの。200人を超す被爆者を解剖し、放射線による影響を分析したもの…。いずれも原爆被害の実態を生々しく伝える内容だ。報告書をまとめたのは、総勢1300人に上る日本の調査団。国を代表する医師や科学者らが参加した。調査は、終戦直後から2年にわたって行われたが、その結果はすべて、原爆の“効果”を知りたがっていたアメリカへと渡されていたのだ。
なぜ貴重な資料が、被爆者のために活かされることなく、長年、封印されていたのか? 被爆から65年、NHKでは初めて181冊の報告書すべてを入手。調査にあたった関係者などへの取材から、その背後にある日米の知られざる思惑が浮かび上がってきた。
番組では報告書に埋もれていた原爆被害の実相に迫るとともに、戦後、日本がどのように被爆の現実と向き合ってきたのか検証する。」
この「封印された原爆報告書」のデイリーモーション動画は、こちら→ http://www.dailymotion.com/video/xkca1f_%E5%B0%81%E5%8D%B0%E3%81%95%E3%82%8C%E3%81%9F%E5%8E%9F%E7%88%86%E5%A0%B1%E5%91%8A%E6%9B%B8_news
この番組の約7か月後に、福島の原子力発電所は、連続で爆発しました。
きっかけは大震災と津波だったとはいえ、それは、今まで散々報道されてきたみたいに、原発事故については、偽り・ねつ造、誤魔化し等が積み重ねられた挙句の、大きな人災だったと言えるでしょう。
「ファイナル・タイムトラベラー」という歌の後半で、なぜだかその「偽りを守る」という風に結んでしまうあの英語の歌詞は、今もその「偽り」の果ての悲劇の後遺症に苦しむ人たちの「生の証言」を思うと、非常にやりきれない気持ちになります。
また、この「偽りを守る」という言葉を聞くと、ソチ五輪シーズンで、高橋選手のショートプログラムに降りかかった、「偽作曲者騒動」を私は想起してしまいます。
あのダメージは、選手にも、そのファンにも計り知れないものだったと思うので…。
2015年の世界選手権後、このような歌詞を含む羽生選手のこの演技の動画について、載せるかどうすべきかかなり悩んだり、問題点を指摘したりすべきかどうかを悩んだものの、もうこれ以上演技することはないだろうから、載せずにスルーして終わらせようと思っていました。
8月という月は日本にとっては特別な月で、広島と長崎に原爆投下された8月6日と8月9日があり、終戦記念日としての15日もあります。
昨年の8月、戦後70年だったせいもあり、多くの戦争関連番組が報道されていました。
それらを見ながら、戦争を終結させた契機となり、その後ずっと、時に悶絶するほど苦しみながらも、使命だと信じてその悲劇を訴え続けてきた広島の被爆者の方々と、それを支える広島市民のことを思い、非常に厳粛な気持ちになりました。
羽生選手はその同じ月に、福島の人たちのことを思いながら、「24時間テレビ」で渾身の演技をしてくれました。
そんな8月、その「福島のための」演技のわずか1週間後に、NHKのあさイチで、この曲が紹介されました。
なぜ今。なぜこのタイミング。
なぜよりにもよって、復興に尽力しようとしていて、リスクを承知で福島まで行った羽生選手とセットにされるのが、この歌なんでしょうか。
NHKのあさイチは、羽生選手が沢山の質問に答えてくれていて、司会・進行のお二人とのやりとりもよく、普段のことや本音を語ってくれていて、とても良い番組だったと思うのですが、同じ番組内で、この曲が堂々と紹介されてしまったことだけは、私から見ると、「よりにもよって、最悪のタイミングで最悪の形で…」 という気分になってしまいました。
何も問題を感じない方々がもしいるならば、それはおそらく、体験や知識の違いからくるものでしょう。
私がこの歌詞を聴いてから、ずっと思い出して、どうしても頭から離れなかった、もう一つの事実があります。
私は、過去に数回、広島の平和記念資料館(原爆資料館)に行ったことがあります。
そのうちの1回で、その出来事は起きました。
既に色々と知っていたので、展示されているものを見ても、想像していたほどにはショックは受けずに済んでいた私でしたが、トイレから出ていこうとしたその時、突然、凄まじいまでの叫び声とともに、狂ったように絶叫して泣きわめく一人の女性が入ってきて、トイレの洗面所のタイルの床に倒れこんだかと思うと、悶絶しながら床に体を打ち付けるようにして転げまわったのです。
あまりにも驚いた私は、何かその人の身体に異変が起きたのか、あるいは何かの発作だと思い、救急車を呼ばなくてはと思って、急いで館内にいたスタッフを見つけて呼びました。(たぶん清掃員だったと思いますが)
その女性の様子は、私の生きてきた中でも、あれ以上に激しくて壮絶な絶叫泣きと悶絶は、見たことも聞いたこともないというほどに凄いものでした。トイレのタイルの上だというのに、構わずに突っ伏して床を叩いたり転げたりしながら、暴れるようにして叫び泣き続けていて、その耳をつんざくような声を聞いているだけでも、こちらの感覚が狂うかと思うほどの激しさでした。
その女性の後ろに、後から走り駆け寄ってきた、ご友人かご家族様かわからない別の女性が、半分暴れているかに見える彼女の背中にすがるようにくっついて、その身体を両手でとり抑えました。そして、唇をかんで下を向いたまま、感情と声を押し殺し、でもその閉じられた目からは、涙をボロボロこぼしながら、彼女の背中を必死でさすり続けていました。
駆けつけてくれたスタッフの方が、近づいて声をかけようと彼女を覗き込み、ハッとして、声をかけるのをやめ、私の横に戻ってきました。そして私に、(あれは間違いなく、被爆者の方ですからーーー救急車の必要はないと思うので大丈夫ですから、そっとしておいてあげて下さい…)と囁いてきました。
「被爆者?どうしてわかるんですか?」と驚いて聞いた私に、見てわかる、とその方は答えました。
よく見ると、その女性の身体には普通ではないところがあって、私もハッとしました。
そのスタッフは、「ここでは、こういうことは、時々あるのです。」と、半分目に涙を浮かべながら説明してくれました。
「こういうこと」とは、激しく狂ったように泣き叫び、転げまわるほど悶絶して、苦しみながら嘆き悲しむ状態のことです。
広島という土地には、被爆者の方もそのご親族も沢山いるので、ここに来て展示物を見て何かを思い出したり、亡くなられたご家族様の何かが展示してあったりした場合などに、色々なものが引き金になって、こうなることがあるとのことでした。 ものすごいショックでした。
念のために言いますと、私がこれを体験したのは、戦後50年以上が経過した頃でした。(今は70年経過)
戦後50年以上もの年月が経ってもまだ、これほどまでに、人を狂わせるほどの悲しみと泣き叫びを引き起こす、原爆という 恐ろしい存在。
その後に強いられた、辛い人生。
抑止力なくしては、いつか人類を滅ぼしかねないほどの危険をもつ、核の力。
一目見ただけで、被爆者とわかるほどの異変を身体にもたらすことができる、破壊的な凶器。
彼女の様子は、平和記念資料館の、どんなものを見た時よりも、私に「原爆投下」の残した恐ろしく悲しい真実を伝えたように思え、私の記憶に、激しい胸の痛みとともに、鮮明に残りました。
この曲の英語の歌詞を聞いていると、私はその時の泣き叫び声をリアルに思い出してしまいます。
そして、曲の印象との、激しいギャップに苦しみます。
その悲劇を伝え続けるため、後世に悲劇を繰り返させないために、広島という土地に住む人々と被爆者たちは、長い年月、その痛みだらけの人生を全てかけて闘い訴え続けてきたのです。
決してその悲劇を生んだ「偽り」に、黙って屈服しないために。
そして、再び悲劇が繰り返されないために。
さらに、もう一つ。
福島の原子力発電連続爆発事故では、日本の多くの人がまだ知らないかもしれないけれども、決して忘れてはいけない、悲しいまでの死に方を強要された方々がいました。
取り残されて、餓死させられた人々 です。
彼らは、もし、嘘やごまかしの果ての「原発事故」がなかったらーーーそれさえなかったら、このような形で命を落とすことはなかった人たちです。
こちらの、福島についての、2012年のNHKニュース記事をご覧ください。
できれば、全ての方に読んでいただきたいです。
→ http://www3.nhk.or.jp/news/genpatsu-fukushima/20120305/
この記事の、最後の部分だけ、以下に引用します。
『 自宅やその周辺に取り残されて食事や水を取れないまま餓死した疑いが強い5人のうち、原発からおよそ6キロ離れた自宅のこたつの中で遺体で見つかった女性の親族の男性は、「おそらく周りで何が起きているのかも分からないまま、1人で何日間も耐え忍んでいたかと思うと、どんなに心細かったか、ことばになりません。今でも、なぜ家族が死ななくてはならなかったのか考えると、月日がたつにつれて原発事故さえなかったらという思いを強くしています。残された遺族としては、せめて家族の死をむだにしないでほしいと願っています」と話しています。』
ここでは「少なくとも5人が」となっていますが、実際にはもっと大勢いただろうと推定されています。
また、こちらは逆に有名になっている話ですけど、福島県大熊町の双葉病院で、取り残された、寝たきりのお年寄りが、50人亡くなった事実。
NHKスペシャル 「救えなかった命 ~双葉病院 50人の死~」 という番組の、動画 → http://www.dailymotion.com/video/xvpkw9_%E6%95%91%E3%81%88%E3%81%AA%E3%81%8B%E3%81%A3%E3%81%9F%E5%91%BD-%E5%8F%8C%E8%91%89%E7%97%85%E9%99%A2-%EF%BC%95%EF%BC%90%E4%BA%BA%E3%81%AE%E6%AD%BB_news
彼らもまた、偽りの積み重ねの果ての「原発事故」がなかったら、このような形で命を落とすことはなく、まだ生きることができた、と考えられる人々です。
これらを事実を知った後、この「ファイナル・タイムトラベラー」の英語の歌詞をもう一度見て下さい。
defend this lie は、「この嘘を守る」「この偽りを正当化する」と訳せます。
そして、silently surrender and leave this world behind 「静かに黙って降伏して、この世を去っていく」、という言葉につながっていくのです。
・・・私がこの歌詞を最初に聞いた時の、この衝撃と悲しみと怒りが、ご理解いただけるでしょうか。
羽生選手は、もちろん、私のそんな「原爆の悲劇」「原発事故」「人が一瞬で消えていく出来事」のイメージなどとは全然違ったイメージで滑っているであろうことは、観ていればわかります。
そして、かつての雑誌インタビューによれば、羽生選手の認識は、この英語の歌詞とはむしろ全く逆の結論に至っているようで、最初のインタビューでそれらを「変えたいんだ」だというイメージで滑っているようなことを言っています。
それは私にはホッとする点です。
でも、羽生選手の気持ちがどうであれ、歌われていて、私たちの耳に入ってくる英語の歌詞は、上記のとおりで、変わりはない。
「偽り」は人の人生を破壊し、時には世界までもを破壊していきます。
NHKは、1986年に起きたチェルノブイリ原発事故の後、何年もかけて、そのスペシャル番組で、チェルノブイリのその後の「表には出てこない、隠されてきた重大な真実」を追い続けた、真摯な報道を続けてきたはずです。
それらの番組をしっかりと見ていて、色々なことを覚えている人は、日本には沢山います。
私の友人たちがそうだったし、私もそう。
でも、2011年に自国で起きた大事故の後に流し始めたマスコミの報道は、それらと比べてどうだったでしょうか。
これら過去の放送のすべてを、侮辱して笑うような内容になってはいなかったでしょうか。
この偽りは、未来に何をもたらすのでしょうか。
今まで沈黙してきた広島の被爆者の方々も、苦しみながらも、伝えようと努力されています。
今まで、どんな理由で沈黙してきたのか、それが以下のところに書いてあります。
http://toyokeizai.net/articles/-/66161
以下、上の記事の一部引用です。
「 広島の生存者は、ある者はそのあまりにも悲惨な体験から、またある者は自分や自分の子孫に対する差別をおそれ、しばしば、自分たちの子どもにさえ、自分たちの経験を語ることを自制してきた。
爆心地からわずか1.2キロ(0.8マイル)のところで爆発にあった85歳の加藤マキコさんは、そういった生存者の一人。彼女は、自分の子どもや孫に自分がどのような目にあったかをけっして語ることなく、人生を過ごしてきた。しかし、加藤さんは最近、考えを変えたという。
「だけど、言わなければいけないことだと、最近思い始めました。自分が高齢者になり、長く生きていられるわけではないからです」
米国の爆撃機は1945年8月6日、広島に原子力兵器を投下し、その年の終わりまでに市内に住む35万人のうち、約14万人を殺した。市には、まだ、平均年齢が80歳に近くなる6万人あまりの生存者がいる。」
羽生選手は、世界選手権の時も、非常に丁寧に心を込めて滑って下さったのは見ていればわかりましたし、今回のニューイヤー・オン・アイスでは、さらに明確な強い意志で滑っているように見え、技術レベルも非常に上がっており、歌詞に完全に勝ってしまっているようにさえ見える演技になっていて、そういう意味では、ものすごく演技は良くなっていました。
歌詞が違ったら、本当に素晴らしかったと思います。
しかし、でも、「だからこそ」、歌詞から感じられるそのズレに、やはり非常に苦しみます。
私の記憶の中に生きている方々が、強く訴え続けるからです。
「ファイナル・タイム・トラベラー」という曲が、どういう意図で作られているのかを調べた時、
また、このゲームが、「守るべき人のため」という観点から書いたようなことを語っているのを、どこかで見ました。
(リンクしようとしたら、既にデータが消去されていました。)
羽生選手の発言とも合致するので、「誰かを守ろうとして~」という、そういうゲームなのでしょう。
それなら、羽生選手が表現しようとしてることが、よくわかります。
羽生選手は、「表現したいことを、しっかりと頭に入れて滑ることが出来たと思います」と初日のインタビューで語ってくれていました。
しかし、「Lie」という言葉が、「Wrong」(間違い)とは全く違って、意図的な悪意あるねつ造の意味であり、時に悪魔とほぼ同義の意味さえもつほど強い言葉であることを考えると、この歌詞は、
「偽りの父たる『悪魔』のもたらす偽りの世界への、完全降伏の歌」、そして、そこへと誘う(いざなう)歌にさえ、読めてしまうのです。
英訳したサラさんは、ホラーが好きだったり、滅びの美学に惹かれる、とインタビューで答えていたことがあるので、そういう価値観が出てしまったのではないでしょうか。
せめて、最初の通り、「ゲームの世界の歌」として解説されるべきだったと思います。
私と同じようなイメージを抱いてしまい、強い不快感を感じる方々は、必ず一定数いらっしゃると思っています。
それどころか、身内にそういう犠牲者がいる人を中心に、きっと、悲しみや怒りのどん底に落とされる人たちも、必ずいるでしょう。
ここに書いたことを伝えるのに、どのように書き、表現したら良いのか、かなり悩みました。
書くべきかどうかも、含めて。
「伝え方」の難しさ…
私は、羽生選手のやろうとしていることを、無駄にしたいとは思っていないです。
誰かを傷つけたいわけでもない。
上の動画の動画主様が、羽生選手の、想いの込められた映像を使って、また、アンドレ・ギャニオンさん作曲・演奏の「本当に優しさに満ちた音色」と合わせて、
とても素敵な、優しい、美しい動画にしてくださっていたのを見て、なんだかとてもホッとしました。
心から感謝します。
動画主様が付け加えて下さった「花びら」や「光」「キラキラ」などが、すごい演出効果を発揮しているので、
羽生選手から見たら、「美化」されているように、見えるかもしれない。
でも、羽生選手が、それぞれの演技で伝えたいことのポイントや思いが凝縮されている編集動画のような気がしたので、ここに載せてみます。
唯一の被爆国であり、原子力発電所爆発による放射能汚染の「加害国」と同時に「被害国」にもなった日本。
そんな日本に出来ること、与えられている使命とは、一体何なのでしょうか。
日本だけは、絶対に、これらを招いた「偽り」を美化しても正当化してもいけないし、隠し続けてもいけないと、私はずっと思っています。
私がここで書いたことの真意が、少しでも正確に伝わり、
どこかの誰かを守ることにつながっていくことを、本気で祈りつつ…