プロ・アスリート羽生結弦 公式・広報サイト(Yuzuru Hanyu' s Official Site)花になろうよ!

フィギュアスケートのプロでプロ・アスリート、
表現者・羽生結弦の公式・広報サイト 
teamSirius広報

アイスリンク仙台への印税全額寄付&今季全プログラムに共通する羽生選手の一貫した想い

2017-03-06 | 羽生選手の素晴らしさ

 

アイスリンク仙台のHPで、羽生選手から寄付金があったことが報告されています。

こちらをどうぞ御確認下さい(アイスリンク仙台HPへ)

 

今回は、羽生選手の自叙伝(蒼い炎Ⅱ)の出版によって得られた印税全額だそうです。

つまり、羽生選手が収入として受け取れる分、全ての金額を、寄付されたということですね。 

そして、前回の自叙伝(蒼い炎)の時も、印税の全額を寄付されたということで、その金額も併せて報告されています。(この時はまだ17歳でしたね。)

 


両方の合計で、既に2500万円を超えています…! 

もちろん、この金額には、この本を買ったファン一人一人の思いも入っているとは思います。

しかし、羽生選手は、本来自分が受け取れるはずの収入分を全て寄付されたわけですので…

なかなか出来ることではありません。

 

現在出ている羽生選手の本で、自叙伝と呼べるのは、この2冊だけで、羽生選手のことを知りたければ、この2冊が私は絶対におススメです。(あとはその時々のインタビューです。)

羽生選手本人の意志が入り、羽生選手の言葉で構成されており、羽生選手本人が確認をとっていて、その時折々のご本人の本音と真実が、(カットされているものはあったとしても、)きちんと正確に伝えられているであろうものは、上の2冊だと思うからです。

そのどちらも、羽生選手は「印税の全額を寄付」している、というのだから、凄いですね。

 

いつか引退する日が来たら、その時には、競技生活を振り返って、著者「羽生結弦」で、ぜひともご本人の分析で、本を出してもらえれば、と思います。(笑) 

( ところで、便乗本で儲けたライターの方々は、羽生選手の力で儲けたその莫大なお金は、どうされているのでしょうね?)

 

  

羽生選手は、ソチ五輪の時の「金メダル報奨金300万円」も、全然迷わず、全額被災地に寄付されていましたよね。

羽生選手の年齢が、まだ22歳で、まだ大学生であることを想うと、凄い貢献度です。

 

そして何より、金額以上に凄いと私が思うのは、その一貫した強い思いと行動力でしょうか…。

 

 

「各自、不承不承(ふしょうぶしょう=いやいやながら仕方なく)ではなく、強制されてでもなく、こうしようと心に決めたとおりにしなさい。

喜んで与える人を神は愛して下さるからです。

神は、あなたがたがいつもすべての点ですべてのものに十分で、あらゆる善い業に満ちあふれるように、あらゆる恵みをあなたがたに満ち溢れさせることがおできになります。」

(コリントの信徒への手紙第二 9章7、8節 新約聖書 新共同訳より)


「だから、人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい。」

(イエス=キリストの言葉  マタイによる福音書 7章12節 新約聖書:新共同訳より)


「あなたの富のあるところに、あなたの心もあるのだ。」

(イエス=キリストの言葉 マタイによる福音書 6章21節 新約聖書:新共同訳より)

 

「だれも、二人の主人に仕えることはできない。

一方を憎んで他方を愛するか、一方に親しんで他方を軽んじるか、どちらかである。

あなた方は、神と富とに仕えることはできない。」

(イエス=キリストの言葉 マタイによる福音書 6章24節  新約聖書 新共同訳より)

 

 

そういった羽生選手の思いは、羽生選手の今シーズンのプログラム(ショート&フリー)にも、強く表れていると思うのです。

 

アイスジュエルズVol.5 という雑誌の中で、羽生選手は、(昨年のNHK杯の後の時点でとったインタビューの内容だそうですが、) フリーのプログラムについて、このように答えています。

「今回使用している久石さんの『Asian Dream Song』は曲がメインではなく、歌がメインの曲です。いってみれば伴奏なので、あまり主張する曲ではありません。オーサーコーチとシェイリンさん(振付師)には、僕の考えを話したのですが、今回のこのプログラムは僕が主人公ではありません。 (中略) 

今回のこのプログラムで意図しているのは、久石さんの曲が前面に出過ぎずアリーナ全体を包み込むような曲なので、自分の中では、その空間の一部として僕が存在するくらいの位置づけでやりたいのです。」

 

「僕が主人公ではない」 「歌がメインの曲で、いってみれば伴奏」 「アリーナ全体を包み込むような曲」だとの言葉からわかるのは、羽生選手は、この曲を使うことで 自分が主人公になりたいのではなく、

むしろ羽生選手の演技を観て、「主人公になってほしい」のは、むしろ「観客一人一人」なのだと言いたいのではないか? と私は読んでいて感じました。

 

「歌がメイン」とされる、この歌の歌詞は、以前もご紹介しましたけど、こんな歌詞ですから。

(「旅立ちの時~Asian Dream Song」(1998年長野パラリンピックテーマソング)

 (サビの部分を太字にしてあります)

 

1: 君の瞳に花開く 夢を奏でる心  

風に吹かれるこの道さえも  星明かりに照され 今ただ一人歩こう  

胸を震わせるときめきを  空と大地に歌おう

悲しみも笑顔も温もりも  熱い思いに揺れて 今抱き締めて歩こう

旅立ちの勇気を地平線の光と 分かち合うこの時  微笑みながら振り向かずに

夢を掴む者達よ 君だけの花を咲かせよう


 2: 争いの日々を乗り越えて 青空に歌うとき

かけがえのない生命の果てに  名もない花を咲かそう  今ここに生きる者よ

旅立ちの勇気を虹色の彼方に  語りかけるこの時  微笑みながら振り向かずに

夢を掴む者達よ 君だけの花を咲かせよう

夢を掴む者達よ 君だけの花を咲かせよう

 

 上のコメントは、昨年11月末のNHK杯の時のものなのですが、アイスジュエルズvol.4 の時、

今シーズンのフリーについて、

「自分の中でテーマは明確に決まっている」「最初に考えていたテーマに合った曲を探したので、何を表現したいのかということは明確」「テーマは絞ったけど、それはタイトルとしてだけです」とも答えています。

「心から笑顔を出せる曲」で、「自分をさらけ出して滑れるプログラムだなって。」とも答えています。

「テーマはタイトル」と語っているので、テーマは「Hope&Legacy」なんでしょう、きっと。

 

そして、つい先月の4大陸選手権の時、羽生選手は、ISUのインタビューで、今度はこう言っていたんですよね。(※おそらく日本語で語られたと思われるインタビューを、ISUで翻訳したと思われる英語をまた私が日本語に戻した言葉だということをご了承下さい。)

 

「フリーの曲は日本人の作曲家によって作られたものなのですが、音楽の背景を深く説明すると、これは実は1998年の長野パラリンピックのオープニングの曲なのです。 僕の母は、長野五輪と長野パラリンピックを見ていて、僕の姉にスケートをさせたいと思い、姉をスケート教室に連れて行きました。 それを考えると、長野五輪と長野パラリンピックは僕のスケート人生のスタート地点なのです。だから、この曲を使いたいと思いました。」

「この曲は日本人作曲家によるものなので、昨年のプログラム「SEIMEI」で学び得たようなものを、継続して活かせるかな、と思ったのです。」

最近、僕は「人間の生命倫理」に凄くハマっています。

これまでの人生で、僕は「生命」についてすごく沢山考えてきましたし、フリーの「ホープ&レガシー」を演じる時にも僕は「生命」について考えています。だから、「人間の生命倫理」について学ぶことは、スケートの助けにもなっているんです。」

 

フリーを演じる時に、「生命」について想いを馳せながら滑っていることを明かしています。

遺伝子工学が発達した現代社会は、色んな生命倫理問題が生じています。

このテーマ曲はもともと、長野パラリンピックのテーマ曲なのです。

 

(生命について想いながら滑っているのは、昨シーズンの「SEIMEI」の時から同じですね。)

 

羽生選手の今回のフリー衣装を見ていると、明らかに地球カラーだろうと思うのですが、キラキラと星のように散りばめられている輝きも沢山あり、上の方は白ですので、壮大な天体のイメージもあります。

 

上の全部を総合していくと、羽生選手は、「人として、あるいは、文化や国、地域、障害の有無や個性の多様性をも超えて、人間一人一人としての命の尊さ」に想いを馳せ、「それを大切に想う心」「キミだけの花を咲かせよう」という応援のメッセージが込められているように私は思います。

試合は勝敗が決するものであり、国の代表として出るのが普通なので、羽生選手は、日本代表であることに誇りと強い責任感をもち、それを強く意識しているとは思いますが、

演技そのものは、決して、何かから何か、誰かから誰かへ、地域や文化への「優越感」などではないと、私は確信しています。

 

もしそのような「高慢」に通じるものが混じったなら、それは他国の人へ自然と伝わりますし、そのような演技だったら、決して高く評価されなくなるばかりか、神の怒りの鉄拳が下るだけになるでしょう。


「傲慢(ごうまん)、驕り(おごり)、悪の道、暴言を吐く口を、わたしは憎む。」

(※ わたし=天地創造主である神のこと)

(箴言 8章13節  旧約聖書  新共同訳より)



羽生選手の演技は、そうではないからこそ、高く評価されているのです。
 
高く評価されたのは、「評価してくれる側」が、「敬意」をもって見てくれた証拠でもあります。
高慢な状態にある人は、相手に「敬意を払う」ことは出来ません。
 

 

ISUインタビューで、羽生選手が最後に語った言葉は、これでした。

「フィギュアスケートは今、日本でとても人気ですけれども、一朝一夕でこうなったわけではありません。近年では、男子シングルも女子シングルもレベルがどんどん上がってきました。

世界中の人々が、国際的な視野でこのスポーツを見ることが出来、世界のどの地域かに関係なく、この競技の発展をわくわくと楽しめるといいなと、僕は願っています。」


日本でフィギュアスケートが人気だと言っても、日本にも長いフィギュアスケートの歴史があり、多くの先輩選手たちがいて、その一人一人の活躍の延長線上に今の自分がいて、「決して自分だけの力で今の日本人気があるのではない」と、ここでハッキリ言っているのだと、私は感じました。

「国際的な視野でスポーツを見ることが出来、世界のどの地域かに関係なく」とわざわざ言って、そう願っているのは、決して「アジア優越思想」などではないし、もちろん、「日本人優越思想」などでもないでしょう。

「何人だからダメ」とか、「どこの国が特別優れている」などという、優越思想でもないと私は思います。

 

一般的に、優越感というのは、劣等感の裏返しです。

本当にフラットに、平等に対等に人を見ていたら、そんな感情や発想は出てこないのです。

 

羽生選手の勝利や活躍を根拠に、そこに「見ている自分」のアイデンティティー(自己存在価値)を置いてしまう人は、羽生選手のちょっとした勝敗に一喜一憂しすぎて、我を見失います。

 

そうではなくて、

演技を見て下さっている一人一人が、「自分が主人公」の価値ある人生を送ってほしい、君だけの花を咲かせてほしい、そのように命を輝かせてほしい、と強く願っている羽生選手の気持ちが、今シーズンのプログラムからは、ショートからもフリーからも、さらには、エキシビションからも、読み取れるように、私は思っています。

 

それが復興の力でもあり、立ち上がる力でもあり、その人の成長でもある。

羽生選手から、見ている人たちへの贈り物としての、励ましであり勇気づけであり、応援の心だと思うのです。

 

私はかつて羽生選手を見た時、「フィギュアスケート大国ではなかった日本から、こんな天才が出てくるなんて!」と感動しましたけど、それは、白人優越のスポーツだったからとか、西洋文化優位だから、などの理由では決してなくて、単純に、

「プルシェンコ選手のような『スケートの桁外れの天才』というのは、1年中凍っている地域がある国から出てくるのが当然で自然だ」と普通に思い込んでいたから、です。

「1年中凍っている地域がどこにもない、日本のような熱中症大国で、スケートの世界トップを張る天才が出てくる可能性は、普通に考えれば極めて低い」と思っていたからです。

ロシアやカナダと比べたら、日本は、普段からスケートをできる総人口が、全く違いますので。

日本は、その辺に自然と分厚い氷がある、誰でも簡単にスケートが出来る国、ではなかったのです。

 

高橋大輔さんのファンの中で、日本にフィギュアスケートの人気を広めたのは高橋さんが最初だと思っているような人は多いし、浅田真央選手のファンは、日本がフィギュアスケート大人気になったのは、絶対に浅田選手のおかげ以外の何ものでもない、などと思っていたりします。

荒川さんのファンは、「荒川さんこそが日本の最初の金メダリスト」だと思っているだろうし、本田さんのファンは、本田さんこそが日本男子を世界で闘える対等レベルにしたと思っているし、

伊藤みどりさんのファンは、フィギュアスケートの世界で、「日本」を世界トップレベルにしたのは、間違いなく伊藤みどりさんが最初だ!と断言する人が多いことでしょう。

フィギュアスケートの世界で日本人選手がトップ争いに絡んで大きく話題になったのは、伊藤みどりさんの時代、つまり既に30年近く前のことです。

 

実際、上に書いた選手たち以外も含めた大勢の歴代の選手たち、そういった一人一人のご活躍がなければ、羽生選手がスケートを始める環境も、続ける環境そのものも、あるいは、ここまでレベルを引き上げる要因となる環境も日本にはなかったかもしれない、というのは、本当だと思います。

少なくとも、荒川さんの金メダルがなければ、仙台のスケート環境は整わなかったのだから、羽生選手がさらにうんと苦労したか、続けられなくなった可能性というのは、高かったわけです。

 

羽生選手は、上の発言で、そのことを言っているのだと私は思いました。

それが、羽生選手が引き継いだ「ホープ」でもあり、「レガシー」でもあるのです。

 

伊藤みどりさんの時代から、和のプログラムへの挑戦、というのはずっとあって、みどりさんはもちろん、過去、外国の選手たちも、大勢が果敢に挑んできました。

以前私はほんの一部を紹介しましたが、あえて載せなかったものも沢山あります。全部載せようと思ったら、驚くほど沢山あると思います。

その過程で、色々な失敗につながる理由が沢山見えてきて、それらの積み重ねをを吟味しながら、それらの教訓を大いに活かして、羽生選手の昨シーズンの「SEIMEI」というプログラムは出来あがっていますし、それらの参考があってこその、プログラムの完成度でもあり、大成功でもあるのです。

他でもない、振り付けは、外国人のシェイリーンさんなのですし、羽生選手本人も、「和に傾きすぎるのは良くない」「外国人の視点を入れるため」「そこから日本的な良さを引き出してもらうため」という狙いをもって、あえてそうしたのだと最初から発言していました。

 

実際、あのプログラムや衣装を、「もっと和の良さを出せ」「全然和じゃない」「面白味がない」などと苦情や苦言を言っていた日本人のファンというのも、それなりに大勢いました。

そういった意見の大半は、フィギュアスケートをあまり知らないからこそ、何が出来て何は不可能かという境界線がわかっていなくて、「他の分野でやればよい理想像」を押し付けているに過ぎないことが多かった印象でした。

 

日本固有のものだけが正統で絶対に譲れないものだなどと決めつけてしまうと、それは別のものへの偏見につながり、

例えば、日本人のすし職人が試行錯誤の上に作り上げて、大成功させた、「カリフォルニアロール」の良さや凄さ、斬新さを知ることも気付くこともなく、それをただ呆れて見下すことしか出来なくなってしまいます。

たとえそれが、その土地に合わせて材料を吟味し、人々の好みに合わせつつ、なおかつ日本食の良さや食感を活かされた状態で、究極の融合を目指して出来上がった、新しい素晴らしい作品だったとしても、食べてみることなく、良さを知ることなく、終わる可能性が高くなります。

 

「高慢には軽蔑が伴い 謙遜には知恵が伴う 」

(箴言 11章2節   旧約聖書  新共同訳より )

 

また、どこの国だろうと、何人だろうと、どんな人種だろうと、年齢にも関係なく、人は100人いれば、100通りの感性があり、好みがあり、みな違うのは世界共通であり、当たり前です。

誰一人、同じ人間はこの世に決して存在しないように、人間という存在は一人一人が、遺伝子に書き込まれ、組み込まれたハイレベルな仕組みによって出来ているのです。

生物学を学べば、生命の誕生が、そして人間一人一人の特徴、その個性というのが、まさに奇跡のような確率の連続の上で成り立っていることに気が付きます。

 

羽生選手は、それまでフィギュアスケートに興味のなかった、国籍を超えた人たちを大勢惹きつけたかもしれないけど、与えられていた特別な才能はもちろんですが、何より、一貫して示してきた、羽生選手の心にも大きな理由があるように私は思っています。

 

日本赤十字社の献血CMで、羽生選手はこんなコメントをしていました。

 


今年のテーマは、「僕たちの一歩は、だれかの一生。」です。 

僕が一生懸命頑張ることで、見た人に感動を与えられたり、

もしかしたら勇気を与えられたり、元気が無い人を励ますことが出来るかもしれない。


僕はそういう思いを持って日々苦しいトレーニングに励んでいます。 

自分が動けば、きっと周りの人や空気も変わると信じています。


 Q2. 今年のメッセージは「とどけ、いのちへ。」ですが、残りわずかとなった今年、羽生選手自身は誰に何を届けたいですか? 

僕自身、みなさんの応援に支えられています。いつも応援してくれているみなさんには、僕の演技で勇気を届けたいと思っています。



羽生選手が一貫して「届けたい」と願っている、勇気」(ゆうき)。

 

今シーズンのプログラムで表現されているもの、それをどう見るのか、受け取るのかは、ショートもフリーも実はどうやら、観る側である、

「You」(=あなた) 「Key」(=カギ) になっているのでは…?!

 


ファンの一人一人が、「価値」ある人生を送れて、羽生選手の「価値」ある「勝ち」にもつながっていきますように…!(笑)

心よりお祈りしています!



「どんな国の人でも、神を畏れて正しいことを行う人は、神に受け入れられるのです。」

(使徒言行録 10章35節  新約聖書 新共同訳より )


 

「神に従う人の結ぶ実は命の木となる。

知恵ある人は多くの魂をとらえる。」

(箴言 11章30節  旧約聖書  新共同訳より )




 

蒼い炎II-飛翔編-
羽生 結弦
扶桑社


 

蒼い炎
羽生 結弦
扶桑社





最新の画像もっと見る