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幼少期から顕著だった羽生選手の才能と当時の面白い様子、ミニ演技「草競馬」と長野五輪・金メダリストのクーリックさんの和の演技

2017-09-21 | 羽生選手の素晴らしさ

 

 

日刊スポーツに、羽生選手の幼少期からの様子を特集した記事 が載っています。

「羽生ヒストリー」だそう。

 

ちょっと面白かったので、ご紹介。 こちらをクリック    

以下、抜粋です。

「地元で指導に当たっていた山田真実元コーチ(43)が「ちょっと待って!」と言う間もなく、そのまま氷の上へ。

走って数歩で、頭から豪快に転んだ。フィギュアスケートを始める子どもには、氷への恐怖感を持たせないため、

最初は四つんばいでリンクに入れ、ゆっくり立ち上がらせる。それでも、転べば「怖い」という感覚が生まれるのが普通だ。

山田コーチは「結弦には、それが最初からなかった」と振り返る。

羽生は頭から転んだ後もすぐに立ち上がり、何もなかったように、約10分間、よちよち走り続けた。


 

…さすが羽生選手、最初から怖いもの知らずで、怖いとか痛いとかいう様子を見せなかったようです。

私が初めてスケートをやった時と、あまりにも対照的過ぎて、笑えます。(笑)

「氷に最初から恐怖感がなかった」というのは、やはり今でも自分で「氷上の生き物」を自称するだけのことはありますね。

 

 記事の続きです。

「先に4歳上の姉が競技を始め、母に連れられリンクに来ていたのが、きっかけだった。黙って見ていられず、リンク脇で走り回っていた。

植木鉢を倒したり、他の子にちょっかいを出したり…。最初は、試しで遊びのように滑っていたが、すぐに非凡な才能を見せる。

ある日、1回転アクセル(1回転半)のやり方を教わると、その場ですぐに回ってみせた。

技術を即座に理解し、再現できる頭と体が既に備わっていた。」


何かの分野で世界のトップにまでなるような人というのは、やはり生まれながらに神様から与えられている「才能」が、

他の人たちとは全く違う、というのは、やはり当然かと思いますし、

そこに不断の努力が加わったら、それはさらに凄くなるに決まっていますね…!


どんな分野でも、こういった、生まれつきの「特別な才能」というのは、隠そうにも隠し切れないほどのものがあったりしますね。 

特に羽生選手の場合は、そうだったでしょうね。

1回転アクセルを、教わってすぐに回ってみせた、というのが、

アクセル大好きで大得意な羽生選手の今と、この頃から何も変わらないんだな、と思いますね。


 さらに記事は続きます。

 

「初めて宮城県大会に出場したのは5歳の時。

試合で1分間のプログラム「草競馬」を滑り始めると、ロックミュージシャンのように、頭を上下に振り続け、自分の世界に没頭した。

スピンなどの振り付けはすっぽり抜けたが、最後の決めポーズだけは、ばっちり。

「見せる」意識も自然と身についていた。」

 

 

最後のこの部分が、読んでいて、一番笑えました。

「草競馬」って、どんな曲かというと、こちらです。↓  ピアノ版 「草競馬」(Camptown Races)

 

注:羽生選手が、当時この音源を使った、という意味ではないですけど、

歌つきのものは試合ではダメだったはずなので、こんな感じかな?と思って選んでみました!

 

有名な曲ですね。 

皆様、聞いたことぐらいはあるかと思います。(笑)

 

この曲でノリノリで頭を振りながら滑っていた、とーーーー ええもう、とても良く、想像がつきますね!!(爆笑)

その後得意になるはずのスピンは、振付ごと、すっぽり抜けたそうですが、(これまた爆笑)

最後の決めポーズだけは、バッチリだったというのが、特に羽生選手らしくて、よくわかります。

 

だって、5歳でしょ?  …ウルトラマンは、決めポーズが好きですからね! (笑)

 

最後に、誕生からの簡単な記録付きでしたので、転載。

<誕生~小学生>

 1994年(平6)12月7日 宮城県仙台市に生まれる

 1999年(平11) フィギュアスケートを始める。山田真実コーチに師事

 2001年(平13) 七北田小に入学

 2002年(平14) 都築章一郎コーチに師事

 

短いけれども、思わず笑える、面白いエピソードが満載でしたので、 ご紹介してみました。

 

…今も、日本のどこかに、似たような少年がいるのかも…?!

 

 

羽生選手がスケートを始めたのが1999年の4歳の時だそうですけど、

その前年の98年に、長野五輪があったんですよね。

この時に、男子シングルで優勝したのが、イリヤ・クーリックさんで、タラソワコーチが指導していました。

フリーはちょっと変わった衣装で、この時は、その衣装ばかりが気になって強烈な印象に私は残ってしまっているのですけど、

私の記憶に一番残ったのは、むしろクーリックさんのエキシビションでした。

 

日本会場だったから、ロシア人のクーリックさんが、かなり日本的なプログラムを演じて下さり、

日本に対して、とても友好的な態度を見せて下さったのを見て、その演技の上手さもそうでしたけど、

そういった精神的な面にも、私はかなり感動しましたね! 

当時、そう感じた日本人は多かったと思います♪

外国人で、ここまでカッコよく、和のプログラムを見せられるっていうのは、なかなか出来ないことでしたのでね!

あ、さすが金メダリストだな……上手いな!! と感動したのを、覚えています。

 

イリヤ・クーリックさんのEX は、こちらです。

 

 

刀を振り回している、という点では、あまり「友好的」とは言えない気もするんですけれども… (笑)

日本への温かい気持ちを、金メダリストとして、見せて下さいました!

外国人から見た、「サムライ」のイメージって、こうなんだろうな…と思わされましたね。

日本人から見ても、良く出来た、動きの優れた演技だったと思います!

 

 

羽生選手も、愛のある「明るい気持ち」で、五輪に向かって頑張ってほしいと思います ♪

神様に与えられた、その稀有な才能が、大切に用いられ、相応しい形で、大きく生かされていきますように… ♪♪



「人の心をお見通しになる神は、わたしたちに与えてくださったように、

異邦人(=ユダヤ人以外の、世界中の全ての外国人)にも 聖霊(=イエス・キリストを自分の救い主と信じ受け入れると、その人の内側に与えられることが約束されている”神の霊”)を与えて、

彼らをも受け入れられたことを証明なさったのです。

また、彼らの心を信仰によって清め、わたしたちと彼らとの間に何の差別もなさいませんでした。


( 使徒言行録(または使徒行伝)15章8~9節  新約聖書 新共同訳より)




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