10月30日追記: 現地観客の方の動画、テレビ映像とは違った角度から撮影されたものをリンク追加しました。
************************************
衣装が変わりましたけど、予想通り、大きな変化ではなかったですね。(笑)
首周りに金色の飾りが集中し、これが本当の「王子衣装」って感じかも…?!
全体に、ふわっとして上品で穏やかで優しいイメージの衣装になりましたね。
前回のもののほうが、両脇に金が入っていたせいで、
動いている時には、動きがよりシャープに見える効果があったかもしれませんが…。
白い部分の白さが増したような気がしました。
羽生選手は、イメージトレーニングの時に衣装までイメージしてやるのだそうで、
衣装があまり大きく変わると、調子が狂ってしまうそうですね。
納得のいく衣装で、頑張っていってほしいと思います!
こちらは、現地観客の方のカメラ。こちらからクリック
テレビ映像とは反対側からの撮影なので、違った角度から同じ演技が観られます。
裏から見ると、また印象が少し違って面白いですね。
この角度だと、最後のステップが、上の動画で見た時よりも、ちょっと素敵に見えたように思いました。
この映像では、衣装のキラキラとした反射もあり、シットスピンの動きがよくわかり、腕の動きや変化も含めて、素晴らしくカッコよく見えましたね!
こちらは、羽生選手のショート終了後のインタビュー
こちらのデイリー記事より、羽生選手の一問一答。
-演技を終えて
「悪いところが見て分かる形で出たかなと思う。ただ、ジャンプをタイミングを外すことなく跳べたのは良かった。全部ちょっとした綻びでのミス。手応えは悪くない」
-手応えはつかんだ?
「自分の中の手応えとしては、そんなに悪くない失敗。悔しい思いがありつつ、修正点見つかりつつ、明日につながるいいステップになった」
-連続ジャンプの転倒は?
「(4回転)トーループのあとちょっと迷った。トーループ自体は悪くないけど、手を上げるには遅かった」
-フリーに向けて
「点差もそんなにない。自分のできることをやっていきたい」
こちらのサンスポ記事より一問一答
――演技を終えて
「もろもろ悪いところは、目に見えて分かるところがたくさんありましたし。でも、自分の中では、まずは全部ちゃんとタイミングを外すことなくジャンプに臨めていたので、まず、そこは、まずひとつ課題を乗り越えられたというふうには思っています」
――演技が終わっての表情は手応えがあるように感じた
「そうですね。全部、なんかちょっとしたほころびでミスをしてしまっているので、手応えとしては悪くないかな、というふうに思っています」
――五輪シーズンのGPシリーズ最初の演技、感触は
「いつもより仕上がりは早いと思いますし、まず、ショートプログラムで抜けがなかったっていうのは、大きな成長をしたところだと思うので。もちろんサルコーのときの構成と全く違って、体力の使い方も全然違うので、それは比較のしようもないですけども。ただ、今の自分にとって、このショートプログラムは悪いながらも手応えのあるものだったかなと思います」
――フリーは2位から追う展開
「点差もそんなに離れているわけではないですし、とにかく今回は何より思い切ってできる、挑戦する場所だと思っているので。しっかり、自分なりの全力を出しながら、本当に思い切って最初から最後までやりたいと思います」
――フリーにも新たな挑戦が
「まあ、それはそれなんで。ひとつのジャンプでしかないですし。ひとつのエレメンツでしかないので、ちゃんとプログラム自体を完成させられるように、できることを一つ一つ積み重ねます」
さらにこちらのサンスポ記事から
――演技を振り返って
「(転倒した連続)トーループは悪くないジャンプだったけど、(2本目で)手を挙げるにはスピードが足りなかった。一瞬の判断、一瞬の迷いでバランス崩した。結果的に転倒扱いだけど、そんなに悪いジャンプではない。あしたにつながるいいステップだった」
――精神的にも良い仕上がりか
「この構成を一番練習してきている。自己ベストから20点近く低いとなると大きなミスがあったと思われるけど、本当に本当に大きなミスではない」
――この舞台への思い入れは
「このモスクワのリンクは、6年前と7年前に(ロシア杯で)滑って、思い出深い。初めてGPで優勝できたところでもある。感覚良く滑れている」
――ループの出来は
「自分の滑り方は問題ない」
――演技後の笑顔の意味は
「悔しい気持ちも、もちろんあるけど、集中している感じはある。1つ1つのミスは大きいものがあったかもしれないけど、その中でも集中しながら、(心身は)良いコントロール状態の演技だった」
――2位発進。巻き返そうとワクワクする気持ちはあるか
「あしたに向けて誰もが(新技の4回転)ルッツを期待すると思うし、僕自身もルッツを決めてのノーミスを期待して過ごす。思い切ってできるように(心身を)コントロールして、調整して、勝ちに向かって貪欲に頑張りたい」
――良いイメージがあるから、GPシリーズ初戦にロシア杯を選んだ
「特にはない。結果的にロシアで滑ることになった。このロシアの地で滑るというのはスケーターにとって特別。スケーターにとって憧れの地。伝統を感じる。その中で自信を持っている(SPの)バラードや、(フリーの)SEIMEIを滑ることができてうれしい」
――冒頭の4回転ループをサルコーに戻す考えはない
「まずまず手応えのあるSPができている。全く問題はない。練習でもノーミスでできている。自信を持って、ずっとやっていくつもり」
――フリーへの抱負は
「新しいこと(4回転ルッツ)もやり、違うプレッシャーもかかってくる。挑戦できることを楽しみながら、やっていけたらいい」
こちらは、振付師の宮本賢二さんが、羽生選手について語った番組動画。
羽生選手はスケートに対して、いつも本当に真剣ですよね。
ソチ五輪で金メダルをとるよりずっと前から、羽生選手からは、「命を削って」演技するだの、「命をかけて」だのといった、そういった言葉がよく出ていました。
心配していたファンも多かったけど、私は、これは羽生選手がスケートを、自分の使命(=命を使う目的)だと受け止めているがゆえの言葉だと、ずっと理解していました。
自分にとっての「使命」が何なのかを、それを早期から理解している人ほど、幸せな人はいないと私は思っています。
何のために生きているのか、それがわからずに絶望してしまう人や、その人にとって「的外れ」(まとはずれ)な分野で、自分を無能だなどと思い込み、あるいは、自分を責め、必要以上に追い詰められて、自ら死を選んでしまう人は、残念ながら日本ではとても多いからです。
周囲を気にし、人の評価だけで生きる基準を決めさせられる傾向の強かった日本では、
「人と違うこと」が、いじめの対象になったり、「人と違うこと」が、その人が生きていく上でとても生きにくい社会になってしまう、大きな原因の一つでもあります。
しかし、聖書では、神様の目から見て、本当はこの世に「不要な人など一人もいない」ということが明確に書かれています。
また、人と人が助け合うことの重要さや、弱者を切り捨てることが神様を悲しませることも書かれており、さらには、
何か大きなこと(その人にとっての使命)を成し遂げる時、大抵、チームワークが必要となることが解るのです。
それは、神のご計画によるのです。
参考聖書箇所:
体は、一つの部分ではなく、多くの部分から成っています。
足が、「わたしは手ではないから、体の一部ではない」と言ったところで、体の一部でなくなるでしょうか。
耳が、「わたしは目ではないから、体の一部ではない」と言ったところで、体の一部でなくなるでしょうか。
もし体全体が目だったら、どこで聞きますか。
もし全体が耳だったら、どこで においをかぎますか。
そこで神は、ご自分の望みのままに、体に一つ一つの部分を置かれたのです。
すべてが一つの部分になってしまったら、どこに体というものがあるでしょう。
だから、多くの部分があっても、一つの体なのです。
目が手に向かって 「お前は要らない(いらない)」とは言えず、
また、頭が足に向かって 「お前たちは要らない (いらない)」とも言えません。
それどころか、体の中で他よりも弱く見える部分が、かえって必要なのです。
わたしたちは、体の中で他よりも恰好(かっこう)が悪いと思われる部分を覆って、もっと恰好(かっこう)よくしようとし、
見苦しい部分をもっと見栄えよくしようとします。
見栄えのよい部分には、そうする必要はありません。
神は、見劣りのする部分をいっそう引き立たせて、体を組み立てられました。
それで、体に分裂が起こらず、各部分が互いに配慮しあっています。
一つの部分が苦しめば、すべての部分が共に苦しみ、
一つの部分が尊ばれれば、すべての部分が共に喜ぶのです。
あなたがたはキリストの体であり、また、一人一人はその部分です。
( コリントの信徒への手紙第一 12章12節~27節 新約聖書 新共同訳より )
あなたは、人間の体に例えると、どのようなパーツのタイプでしょうか。
一つのグループ(チーム)に、耳や鼻は、3個も4個も5個もいらないかもしれませんが、
爪や、髪の毛や、舌や、内臓、骨、は必要なのです。
爪に髪の毛の気持ちは全然理解できないかもしれないし、
あるいは、目と耳はあまりにも違うかもしれませんが、
それぞれが必要な役割を持つ、大事な部分であり、全体としてみると、必要不可欠な存在なのだと、
聖書では語っています。
最後の箇所、「あなたがたはキリストの体」と表現されているのは、
聖書では、神に従う人たち(イエス=キリストに従う人たち)の集合体を重視し、それを
「キリストの体」と表現し、(神のご計画を実現する実体)となることを意味し、
それが実現できる人々の集まりを、何よりも重視しているからです。
同じ目的を持った時、この集合体は、とても強い力を発揮するようになります。
クリケットクラブで、オーサーコーチがチームワークを重視しているのは、こういった聖書から当然に導き出される、キリスト教的考え方が根底にあるだろうと思います。
これは、別に特別な考えでも何でもなく、欧米社会ではほぼ普通の考え方です。
日本でも、「適材適所」などと呼ばれるのと同じで、まさに、チームが「適材適所」の時に、最も大きな成果が出せるようになるのです。
御注意: 羽生ファンは、北米が羽生選手に嫌がらせしているなどという「勘違い」を拡散するのはやめて下さい。むしろ北米ではきちんと真理を見抜いて、羽生選手のために強力な守りの祈りをしてくれている人が沢山いるくらいで、むしろ感謝すべきほどです。(韓国にも大勢いたはずです。)
今年のカナダのオータムクラシックで、ショートで歴代最高得点を更新しているのに、カナダや北米で羽生選手が評価されていないなんてことがあるわけないです。
Let' go crazy! なんてバリバリ北米受けのプログラムでした。ロシア受けはしませんが。
聖書で、世界の終末に預言されているロシアとアメリカの立ち位置は全然違います。この辺は色々複雑なのです。南米はいまだに魔術が盛んな地域が沢山あります。
むしろ羽生選手の強みは、フィギュアスケート大国であるロシアからも、カナダやアメリカといった北米からも、どちらからもきちんと評価され、支持されている点です。
羽生選手の真の敵は、日本も含めて世界中にいる、羽生選手をつぶそうとする「悪魔崇拝者たち」(使命をつぶすのが目的です)ですし、
羽生選手の足を引っ張るのは、自分の目的のために羽生選手を都合よく利用しようとする人たちや、悪霊の攻撃を呼び寄せる可能性のある自分の「心」であって、「北米」なんかじゃありませんし、当たり前ですが、「韓国」でもありません。
他の選手の誰かでもありません。
そこを間違えないでください。
それでも、聖書によれば、そういう「闇を抱えている人たち」をも救おうとするのが、真の神様の心なのであり、それこそが「神様に一番喜ばれること」なのです。