技術力で現在トップの羽生選手ですが、今回は羽生選手の「芸術性」「表現面」に見られる特徴の一つについて、私が思っていることを書きたいと思います。
私が、以前から感じてきた羽生選手の魅力の一つに、
「表面は完全に透き通った美しい氷に覆われていながら、中で激しく燃え盛る炎がクッキリと見えている」・・・
ようなところ、がありました。
実に不思議なのですが、しっかりと氷と炎が共存していて、他では決して見られないような美しさと、興味深いという意味での面白さがある。
思わず、「これ、どうなってるの?!」と目を奪われてしまい、そのまま目を離せなくなるのです。(笑)
本来なら氷とは同居しえないような「超高温度の青い炎」(←赤を通り越して青になるほどの高温)が、
ドゴゴゴゴゴ…!!と、氷の内側で、その燃え盛る姿を惜しげもなくさらしながら、轟音を立てて燃え続けている・・・
それなのに、表面の氷は透き通ったまま、決して融けないという不思議・・・ そんな演技をしてくれたことも度々ありました。(笑)
羽生選手の最初の本、「蒼い炎」のタイトルをつけた方は、本当にピッタリなタイトルをつけられたと思います。
理性と豊かな感性の見事なバランス、冷静さと激情との不思議な共存、は羽生選手の演技の特徴でもあり、最大の魅力です。
しかし最近は、そういう演技とは違って、氷も炎も見えない代わりに
花か鳥のように可憐に軽やかに、同時に力強く舞い、それでいて内側から周囲全体を照らすほどの強い光を放っているかのような演技 を見せてくれることも、増えてきたように思います。
典型的なのは、「花になれ」や「花は咲く」で魅せてくれるような演技です。
NHKのHPより
この印象はかなり強烈なもので、単に「魅了」とか、「魅せる」演技であることとも少し違う、独特の個性か、稀有な才能の一つのように私には思えます。
この点は、絵画で例えると、印象派の代表とも言われる、ルノワールの絵画に近いというか。
ルノワールの最も有名な絵画群(作品群)が、明らかに他の画家たちの作品と比べても「光」の強さが強く、数多く展示されている絵画の中でも、その明るさだけで遠くから見てもパッと目立つように・・・ 羽生選手も、他選手たちと同じリンクで滑っていると、明らかに内側から放っている「光」とでも呼ぶべきものが、それも「桁違いに」強いように私は思っています。
この「光」とでも呼ぶべきものは、映像を通してみた時よりも生で見た時のほうがより強力であり、これは、有名な他選手たちや他のベテラン・プロスケーターたちとも全然違う、羽生選手が、特に際立っている点のように私には思えます。
そこにいるべくしている・・・ 羽生選手は「自分は、ここにいるべくしている」と、リンクの上で演技している時、そう信じていて疑わない・・・ そんな風に見えるのです。
ルノワールの絵画も、複製や写真等でももちろん光が印象的ですが、それよりも、はるかに実物のほうがその「光」、明るさ、迫力が強く感じられ、他の画家たちの絵画と比べると、よりその明るさは際立って特徴的で、言葉にしがたいほどの強い印象を残します。
私は、特別にルノワールのファンだったわけではありません。
でも、世界三大美術館などと称される場所で、沢山の素晴らしい絵画を見て歩いていた時に、ルノワールの有名な複数の絵画に目が止まり、そこから溢れ出るような光の多さ、明るさを見ていた時に、「あ!」と・・・ 羽生選手の演技を見たときの印象と重なるものがあってピンと来たのです。
それまで、考えてもみなかった、「羽生選手の演技とルノワールの絵画の共通性」・・・
個人的な感想ですので、中には、「は?」という方や、「いやいや、他の画家の方が…」という方もいらっしゃるかもしれませんが。(笑)
「光の強さ」だけでなく、そこに見られる独特の柔らかさ、観る者を包み込むような優しさ・・・あるいは、観る者を巻き込んでそのまま連れ去っていくかというほどの包容力と勢いのようなものが、羽生選手の最近の演技にも、そして、ルノワールの「有名な」絵画にも強く見られるところも、似ているように思いました。
羽生選手から感じ取れる、この「光」の強さを、オーラだの、カリスマ性だのという言葉で片付けてしまってよいのかは、私にはわかりません。
それらは、人によって感じたり感じなかったりすることも多いので、私はあまり使わないようにしてきたつもりです。
でも、元祖絶対王者・プルシェンコ選手は、羽生選手のことを、「カリスマ性があり、それは誰にも奪えないものだ」などと表現していて、まだ羽生選手が今ほどの実績を出していない頃から、その際立った才能を特別視していたように思います。
プルシェンコ選手は、ヤグディン選手の引退以来、今まで誰も事実上自分のライバルになり得るなどとは考えてこなかったように見えますし(過去の発言からも)、2番手以下の選手にも、全くといって良いほど、脅威を感じてはいなかったように見えていました。
しかし、羽生選手に対してだけは、違いました。 むしろ自分を超えて欲しいというような、すごい期待をかけていました。
その大きな要因の一つは―――羽生選手が明確に自分に憧れていたことや、技術面で突出している才能を評価しているのはもちろんなのですが、むしろプルシェンコ選手が表現するところの、「カリスマ性」にあるのではないかと、私には思えます。
私が見ていて感じるのは、この「光」とも呼ぶべきものは、羽生選手が以前から度々口にしてきた、「たとえ骨が折れても~」とか、「魂を削って滑る」「命を削るような思いで滑る」とか、「魂を削る覚悟で~」 などという、一見すると非常に激しい言葉で表現されてきた、並々ならぬ覚悟や情熱に起因する、精神面と、深くリンクしているのではないかと・・・。
このような思いを抱きながら滑っていた選手が過去にいたかどうか・・・ 当てはまった選手がいたかと問われれば、やはり真っ先に思い浮かぶのは、プルシェンコ選手だろうと、私は思うのです。
これらは、言葉を変えれば、「自分は、スケートに自分の人生を捧げる!」とか、「どんなリスクを負おうとも、自分はこれで決して後悔しない」 あるいは、 「スケートのために、自分の命を燃やし尽くす覚悟がある」 と言っているようなもの。
自分の命を使う目的 ・・・ すなわち、自分の「使命」は、スケートにこそある、と、宣言している言葉だと、私は思っています。
しかも、決して「悲痛な思いで仕方なくそうしている」のではなくて、むしろ大きな喜びをもって、自ら進んで宣言しているように私には見えます。
だから、周りがどんなに何を言っても・・・ 恐らくはそのリスクを、世界中の誰よりもよくわかっているはずのお二人ですから、その内から溢れ出てくるほどの意欲と情熱が、そうさせるのだろうな、と・・・私には、そのように見えます。
プルシェンコ選手にも、羽生選手にも、「命を削って欲しい」「文字通り骨折してまで滑って欲しい」なんて、過去に誰も、そんなことを頼んだ人はいないと思います。むしろ、ファンであればあるほど、逆の心配をしてきた人は大勢いたと思いますけれども・・・。
羽生選手は、氷の上に立った時、あるいは演技する時に透けて見え、伝わってくる、「溢れ出るような喜びの強さ」が、他の人とはかなり違うのではないかと、思える時がよくあります。この点は最近に限らず、何年も前からです。
特に羽生選手の顔が「ニコニコ」していなかったとしても、羽生選手の演技からは、すごい気迫と、積極的な意志、喜びを感じ取れます。
ルノワールの(人気のある)絵画はほぼ、「心の底から喜びに溢れて描かなければ、こんな明るい光に満ちた絵は到底描けない!」と私は強く感じるのですが、羽生選手の演技にも、似たようなものをよく感じてきました。
感じ取れる「希望の強さ」、あるいは、そこに込められた「思いの強さ」、「魂から放たれるエネルギー」 とも言いかえられるのかもしれませんが…。
ルノワールは”影”をかなり大胆にしっかりと描いており、それが作品の光の強さと明るさをより際立たせています。
近くで細かいところまでじっくり見てみると、グレー(灰色)が驚くほど目立ち、それが鮮やかな白を浮き立たせています。
羽生選手も、本人が望んだわけではなくとも、様々な困難や悲しみを経ながら、今がある・・・
その分、演技に表出されてくる「喜びの強さ」「輝き」が強いのかもしれません。
それがまた、観る側に不思議な希望を与えてくれます。
ソチ五輪で金メダル獲得直後のインタビューの時の深刻な表情等、本当に真剣に悩んでいた羽生選手には申し訳ないのですが、その真摯な姿もまた、(この人はやはり、本物だ…!)と逆に思わせてくれるような、すごく強烈な印象を世間に残しているように思います。
逆に、表彰式や、ショーでの終了後の挨拶等でリンク上に他スケーターたちと共に登場する時の羽生選手は、演技で登場する時と全然違って、私から見ると、本当に「普通の少年(青年)」のように見えます。
「あれあれ?羽生選手は、どこ?」と思って必死で探したら、真ん中で普通にニコニコしていたりするのですけど。(笑)
そういう時、他の選手やスケーターたちのほうが、よほど目立っていて、うんと華やかに見えることもしばしばです。
そのギャップに、思わず驚きます。
私が、「羽生選手が好きだから光っているように見えるだけ」―――なわけでは決してない、というのが、これで確かめられます。
羽生選手が、演技にすべてをかけているのが解る点でもあります。
場所と状況、やるべきことをわきまえた、その切り替えの凄さ、見事さ、真剣さは、羽生選手の突出した才能かもしれません。
「T.P.O.をわきまえる」という言葉がありますが、(Time,Place,Occasion,時と場所と機会をわきまえる、の意味です)
羽生選手はいつもそれが本当に徹底していて凄い。 本当に尊敬します!
また、羽生選手の全ての演技において、際立っていると感じる一つに、この「躍動感」「立体感」があります。
実際にジャンプの高さや飛距離が凄く、本当に動いて使っている空間がかなり大きいから「立体的」になっている、のは間違いないと思いますが、それだけでなく、リズム感がよく踊りが上手いことや、気持ちの持ち方の影響もあってか、「躍動感」があり、たとえその場で静止している時であっても、一つ一つの動作が、クッキリと浮き立って見え、動きの一つ一つが印象に残るのです。
特に、集団で群舞を踊っている時、羽生選手はすぐに解ります。
「動きが極めて美しい」「踊りが非常に上手い」「表現力がとてもある」等だけに注目するなら、男子はもちろん、女子までも含めれば他にもそういう点で優れている選手は複数いらっしゃると思います。
だけど、羽生選手ほど演技に「躍動感」と「立体感」があり、強い光を放っていて、さらにその演技に、言葉にし難いド迫力のある選手を見つけるのは、なかなか難しいように思います。
私はずっと、羽生選手からは技術的な凄さや完璧さなどだけではない、遥かに異なる次元の「魂に訴える何か」を演技から強く感じてきたので、羽生選手の演技を見ながら、いつも「人を本当に感動させ、心を揺さぶらせているものは一体何なのか」を考えさせられてきたように思います。
今の採点法は、演技をかなり細分化して点数化して積み重ねる方式をとっていますが、それによって逆に総合的な芸術性が失われたり、あるいは「没・個性」になっていく危険性を併せ持っているように、私には時々思えます。
旧・採点法は、本人が得意なものを中心に披露することが可能だったからなのか、あるいは今ほど細かすぎる細分化判定がなかったので各選手が大胆に演技できたからなのか、各選手ごとの個性が出しやすかったようにも思えるのです。
(この辺のことは、ちょうど過渡期を過ごされた荒川静香さんの過去のインタビューが、選手目線からの意見としても色々参考になるかと思います。)
一方で、今の採点法には、一つ一つの要素が極めて「見た目に」美しくなる、という素晴らしい長所があります。
しかし、今年のソチ五輪での、女子シングルを見ていて感じたのですが、トップ層ではなくて、特に中間層の選手たちの演技に似たような演技がいくつも続いた印象がありました。
みんなキレイで素敵でレベルアップしているとは思うのですが、同じような演技が多くて、個性があまり見えず、記憶に残りにくくなっているのです。だからこそより一層、その人の個性や良さが問われてくるように思います。
しかし、そういった採点法の中でも、技術でも頭角を現してきただけでなく、ひときわ、『 印象的な 』演技をして、観客を魅了してきた羽生選手。
本当に「印象的な」・・・という言葉がぴったりの演技だと、私はいつも思います。
ここでも、ルノワールが「印象派」と呼ばれる画家の代表的な一人であることとも、何か共通しています。
要求される細かな要素を一つ一つクリアして対応してきた羽生選手は凄いのですが、
もっと凄かったと思うのは、そんな細かい点をも吹っ飛ばすほどの、総合的な威力をもつ、人間にしかできないような、内側から溢れる「魂に訴えかける」、「表現」としての情熱を顕著に見せてきてくれたところです。
恐らく、どんなに機械が正確で精密に技術を「判定」できるような日が来ても、決して「人間には代えられない」と思える部分は、この、まさに「魂と魂」「心と心」でやりとりされ、伝達されていく部分・・・
一番、人の胸を打っているはやはり、こういった部分なのだろうな、と思います。
それを、フィギュアスケートという分野で、顕著に示してくれてきたのが、羽生選手だと、私は思っています。
私は羽生選手に感謝したい点はたくさんたくさんあるのですが、特にこの「人を本当に感動させているモノは何なのか」について、
演技を見ているだけで絶えず考えさせられてきたこと、そして、
特には、観ているだけで楽しくなったり、深い感動のある幸せな演技を沢山披露してきてくれたのは、
羽生選手に最も感謝したいことの一つです!!
羽生選手は、まさに、「まるで魂を削るかのようにして」「全身全霊で表現するスケーター」という言葉が、ピッタリきます。
でも、決して、「魂が磨り減っている」ようには見えません。
削って放出すればするほど、ますます天から補充されて、よりパワフルになっている・・・ようにさえ、見えます。
今シーズンの羽生選手・・・ 今までの「炎が透けて見える氷」型と、「強い光を放つ優雅な花」型が、合わさってくるかもしれません。
今後も、羽生選手の演技が、ますます素晴らしいものとなっていくことをお祈りしております!
私もたとえ遠くからでもいいから、リンクの羽生くんを見たい!感じたい!と、NHK杯のチケットとりにいろいろ挑戦しましたが、あえなく撃沈…全敗でした。
そういうわけで、昨日は意気消沈でしたが、ふと思いたち、ずっと思っていたコメントを投稿しました。勇気出して(笑)
結果、よかった~!
明日も仕事頑張れます。
マイペースで結構です。また楽しみにしています!
コメント、本当にどうもありがとうございました!
このブログがお役に立てたようで、本当に嬉しいです。私がこのブログを書こうと決めた目的は、まさに「最高おススメ演技シリーズ」を書くことにあり、羽生選手の素晴らしい演技に注目してもらい、過去、それらの演技を見逃した方々や知らなかった方々に、その類稀なる魅力を是非知ってもらいたいと思ったからです!見逃すなんてもったいないほどの演技なので!(笑)
「ジャンプ失敗しているにも関わらず」、「何気ない腕の振り方や首の傾げ方」・・・よーくわかります!!
私も、細かい点を言えば、2010年の「白鳥の湖」で、冒頭での(白鳥の)羽生選手の腕の羽ばたきを見た瞬間、思わず息を呑んで自分の目を疑いました。今まで、どんな女子フィギュア選手からも見たことのないほどの白鳥らしい動き、優美さと力強さと集中力の同居。わずか15歳、しかも男子だというのに、驚異の柔軟性で哀愁さえ漂わせながら、流れるような優雅さとしなやかさで滑り、そこから何のよどみもなくトリプルアクセルを軽々と決めてまた流れていったのを見た瞬間に、驚嘆して心の中で悲鳴を上げたと記憶しています。
とんでもない天才が現れた!この演技、惚れ込むわ!と、その後もドキドキしながら見ていき、技の正確さはもちろん、ちょっとした動作や、手の表情のつけ方など、細部に至るまで完全に魅入ってしまい、演技が終わる頃には、完全に羽生ファンでした。(笑)
「花になれ」は、羽生選手としてはそんな難しいプログラムではないにも関わらず、とにかく、言葉にし難い格別な素晴らしさがあります!あそこで魅せられているのは技術力より間違いなく表現力で、得点や技の成否も関係なしに、羽生選手がふわーっと滑るのと一緒に心がどこかへふわーっと飛んでいくような、本当に「生きてて良かった」とさえ思わせるほどの輝きがあります。
先日発売された「覚醒の時」でも、ボーナストラックでついていた最後の「花になれ」がやはり印象が強烈で、ものすごく暖かく光って見え、改めて最後に驚き、唸ってしまいました。
羽生選手の演技は、たとえ顔や表情が全然見えない遠い距離から見ていても、その体全体の動きや動作だけで、溢れるような喜びや情熱、感情がクッキリと伝わってきて、まるで表情まで見えるかのような、そんな演技をしてくれます。 細かい振り付けが少しずつ変化しているのは、より良いものを追求して変化させていたり、心から自由に滑っているからでしょうね!
私自身、ここまで魅了された理由や、一体羽生選手の何がそんなに違うのか、ずっと自問自答しながら演技を見、発言やインタビューをチェックしてきました。
それでもなお、羽生選手の凄さや魅力は多分、到底語り切れるものではなく、あらゆる切り口から分析してもなお足りないのではないかとさえ思えるほど、底なしに感じられます。
私から見ると、羽生選手はまさにフィギュアスケートのために生まれてきたかのような、天才中の天才、超のつく天才だと思っているので、敬意を込めて、また、読む側に違和感がないようにと、羽生選手で統一しています。
1番好きと言って下さって、本当にありがとうございます。 自分のやるべき役割は一体どこまでなのか、一羽生ファンとして、どこまでやったり書いていいのか、最近自問しつつありました。
これほどまでにファンが増え、DVDも出され、羽生選手のこともその演技も、広く知られてきた今、私の当初の目的や願いは、大方は達成していると思うので…
実のところ、羽生選手本人に、かえって迷惑をかけている点は生じていないのか等も、時々気になります。
時間に限りもありますし、非常にマイペースで、更新も予測不能なブログで大変申し訳ないのですが、今後とも どうぞよろしくお願い致します!
シニアに上がって来た頃から羽生くんに注目していましたが、本格的なファンになったのは、ソチオリンピックの後というホントに新米ファンです。ソチリアルすタイムは、羽生君は安定感があったので、真央ちゃんと高橋が心配でハラハラして祈るように応援してたんです。
羽生くんにはまったきっかけは、大阪エキシビションの「花になれ」と、このブログでした。「花になれ」は、前から好きなエキシビションでしたが、何故かこの時の羽生くんが特になんとも言えず魅力的だったんです!
ジャンプ失敗してるにもかかわらず。
家族があきれるほど何度リピしてる自分にきいてみると、私の脳内にドーパミンが放出されるのは、ジャンプやスピンの瞬間でなく、何気ない腕の振り方や首の傾け方、表情だったんです。子どものような純粋さとなんともいえない優美さに参ってしまいました。かくして、当時
オーサーコーチ=キムヨナ、
パリ散→007
といった連想、偏見を持っていた私の固定概念はうち砕かれました。
しかし、なんで今までなにも感じなかったのか?
それで、過去の「花になれ」を探して、びっくり! ジャンプなどの要素は同じでも細かい振り付けや動きは、そのときそのときで変わっているではありませんか?!
その流れで、このブログの「最高おすすめ」シリーズに出会い、以来ドップリはまってしまいました(笑)
私が何となく感じていることを、豊富な知識と深い愛情をもってことばにしてくださる管理人さん、
これからも楽しみにしています。
羽生くん関係のブログをチェックするのが、すっかり日課になってしまった私。
でも、このブログが1番好きです。
羽生選手という呼び方にも好感を覚えます。