仏教日記(11)
これまで、ブッダが何を覚って、何を説いたか、ということを
想像してきました.まとめてみますと、私たちには、連綿と続
く過去がある.そしてそれは因果の法則で貫かれている.善因
善果、悪因悪果である.ここまでがアシヴァッタ樹(菩提樹)
下での覚りだと推定しました.
悪因悪果であるが故に諸悪莫作(しょあくまくさ)「悪
いことはするな)(幸せになりたければ).幸せを妨げる最大
のものは「怒り」であって、これはすべての幸せを焼き尽くす.
ゆえに「怒り」を捨てることが幸福への道だ.
これがアジャパーラ樹下で導き出した覚りからの発展.
ムチャリンダ樹下でなおも、覚りの内容を反復して楽しんでいた
がおそらく、ここで「怒り」を捨て去るには「情欲」などの
欲望も消し去るべきだと考えたのかもしれない.
「怒り」は「欲望」が遮断されたときに爆発的に生じるものだ
ろうから、根本の「欲望」を消しておく必要がある.
第四週目、ラージャーヤタナ樹下では、これらの覚りの内容を
どのように、誰に伝授すべきかを検討し始めたのではないかと
推測しました.
そして空から「梵天」が降りてきてブッダの覚ったことを
人々に伝授してほしいと頼まれる.
まず最初に行くべきところは嘗ての苦行仲間のところだった.
この「覚り」は苦行では得られない.彼らの痛ましい努力が
無に帰すると思うと、どうしても行って、教えてあげなけれ
ば、と思い、おそらくいるであろう仙人の集まる場所、鹿野
園(ベナレス)に向かう.
そして彼らも覚りを得て、これ以後、地上にブッダが6人
誕生した.彼らは伝道の旅に出た.
ここまでを推測しました.でもこれらの教えはそのまま
現代で用いるには不都合である.第一今の時代、修行する
洞窟はありません.かってに洞窟を見つけて入って行っても
土地所有者に追い出され、修行は中断します.
また托鉢も難しいでしょう.ブッダの時代でさえも
バーラドバージャというバラモンがいて、「働いてめしを食え」
とブッダに説教した人ですから.そういう人が今の世の中には
いっぱいいます.ですから、最低限の生活費は働いて稼ぐ必要
があります.つまり、現代では100%の出家は難しい、あるいは
完全に無理で、修行の代替案が必要になります.
その代替案は、北伝仏教で生まれました.主に中国大陸で生まれ
ました.修行僧たちは僧院の畑で米や野菜を作り、農作業に従事
する傍ら、仏道に励みました.托鉢の代わりに自給自足の農業を
営みました.
仏教思想もブッダの時代から、いろいろトッピングされました.
唯識論もそのひとつで、これによると、私たちの心は8つの層
で出来ていて、その5つはいわゆる5感、6つ目は意識、7つ
目は、マナ識(これは深層心理に相当)があり、一番奥、8つ
目に「アラヤ識」があり、ここに前世からの記憶が残っている
とする.
そしてそれらの記憶をたどるため、深い瞑想を行う.
瞑想は何の手がかりもなく、難しいため、経典を拝めば
いいという奇抜な発想が生まれ、「南無妙法蓮華経」と
唱える方法が提唱された.「南無阿弥陀仏」の唱導も行われた.
こうして大乗仏教は発展してきたが、大乗思想の根本思想は
「奉仕の心」といえる.部派仏教時代に、彼ら大乗派が否定
した「自分だけの修業」に対抗るものなのである.
ブッダ自身も覚りを得てからは「奉仕の心」でもって
伝道の旅に出ているので、これを踏襲するのは当然のこと
でしょう.