一人暮らし女性の3人に1人が貧困 阿部彩「女性の貧困」から
一人暮らしの勤労世代女性の3人に1人が貧困、一人暮らしの高齢期の女性だと2人に1人が貧困という事実。
この数字の背景にあるものとは?
貧困研究者の阿部彩さんが、女性の貧困の形態、貧困の現状について、データを見ながら考え、その要因と解決策を探っていきます。
世界思想社のwebマガジン「せかいしそう」で連載中のエッセイ「女性の貧困」から「貧困とは何か?」を紹介します。
2020年7月。厚生労働省が日本の相対的貧困率の最新値を発表しました。
人口全体の貧困率は、15.4%、17歳以下の子どもの貧困率は13.5%。
全人口の6人に1人、子どもの7人に1人が貧困ということになります。
統計は、その年の数年後に発表されるので、この数値は2018年の貧困率となりますが、これを時系列でみると、1980年度からずっと上昇傾向にあることがわかります。
厚生労働省は、これ以上の詳しい数値は出していません。
しかし、データを男女別や、家族タイプ別に推計し直すと、日本の女性の貧困の状況が怖いほどに赤裸々にわかります。
あなたは、勤労世代(20歳から64歳)の一人暮らしの女性の3人に1人が貧困であることを知っているでしょうか。
それどころか、(65歳以上の)高齢期の一人暮らしの女性の貧困率は、46.2%です。2人に1人が貧困なのです。
これは、女性にとっては、大問題ではありませんか。
だって、女性の多くは、高齢期には一人暮らしになります。
結婚していても、男性は女性よりも寿命が短いので、夫が先立つことの方が妻が先立つより多いですし、独身で通す方や、離婚する方も増えてきています。
近ごろは、子どもと同居することも少なくなってきており、高齢期に一人暮らしになることは、すべての女性にとってごく身近な普通の将来です。その将来が、50%の確率で貧困になりうるということなのです。
相対的貧困と絶対的貧困
この連載では、この女性の貧困の問題について、考えていきます。
最初に、「貧困」とは何か。そこから、始めたいと思います。
読者の方の多くは、食べるものがなくて飢え死にする、住むところがなくてホームレスである、といったような状況を「貧困」と捉えているかもしれません。
すなわち、身体的な生存を可能とする「衣食住」がままならない状況です。このような状況を「絶対的貧困」と言います。
しかし、いま、先進諸国で用いられている貧困の定義は、「相対的貧困」と呼ばれるもので、その国において、一人の社会人として機能できない状況を指します。
社会人としての「機能」とは、働いたり、学校に行ったり、人と交流したり、家族をもったり、ご近所づきあいをしたり……といったことです。
もちろん、個人個人の好き嫌いがありますから、誰も彼も、ご近所づきあいをしなければいけないということではありません。
でも、社会の殆どの人が欲すれば「当たり前」にできる、そういったことが、金銭的な理由で、できない……という状況を「相対的貧困」と言います。
「相対的」という言葉がついているのは、「機能」を果たすために必要なものが、それぞれの社会において異なるからです。
例えば、日本で就職活動をする時は、スーツを着るのが「当たり前」です。結婚式に出席する時には、礼服などを着るし、ご祝儀を持って行きます。
お葬式に参列する時も、お香典を用意します。
お付き合いをしている人がいれば、クリスマスや誕生日にはプレゼントを交換するでしょう。
子どもの生活でも同じです。小学生は、入学式にはぴかぴかのランドセルを背負い、卒業式にはちょっとした晴れ着を着ます。
中高生は、修学旅行を楽しみにしているし、部活もするでしょう。このようなことを、金銭的な理由であきらめなくてはならないのが、日本でいま起こっている貧困です。
「がまんすればいいじゃないか」
「部活ができなくても、いいじゃないか」
「ランドセルがなかったら、手提げ袋で十分」
「結婚式や葬式に参列しなくても死ぬわけではない」。
そのように考える方もいらっしゃるかもしれません。
でも、現実には、私たちは社会の慣習や「当たり前」に縛られて生きています。
中学生はスポーツなどの部活がしたいと思って「当たり前」だし、もし、親が「その部活はお金がかかるからやめなさい」と子どもに言わなくてはならないとしたら、それはとても辛いことでしょう。
就活に普段着で行ったら、内定をもらえない確率は確実に増えるでしょう。
冠婚葬祭をずっと断り続けたら、人間関係に支障が出てくるでしょう。
そして恐ろしいのが、「衣食住」がままならないといった「絶対的貧困」の概念で捉えられている対象の範囲のことも、「社会の相場」によって影響されることです。
なぜなら、衣服にせよ、食料にせよ、住宅にせよ、その社会において手に入るものの値段は、その社会の「相場」で決まっているからです。
例えば、世界のどこかでは一日食費が100円で十分な栄養がとれるかもしれませんが、東京の真ん中に住んでいる人は、東京のスーパーマーケットで食料を買う以外の現実的なオプションはないわけで、100円では一日どころか一食分の食費にもなりません。
住宅費も、医療費も、交通費も、日本の社会に生きていくには、それなりのお金が必要なのです。
国際機関などが用いている「それなりのお金」の基準は、その社会における標準的な所得の約50%です。
冒頭にあげた日本の貧困率は、この定義に当てはめて、計算されています。
そう考えると、改めて、高齢期の一人暮らしの女性の半数が貧困であるというのは恐ろしいですよね。
しかし、貧困の実態は、「所得」のみで決まるわけではありません。
女性の貧困について言えば、数値が表すほど深刻ではないといったデータもあります。
本連載では、女性の貧困の現状を、データを見ながら考え、その要因と解決策を探っていきたいと思います。
*連載「女性の貧困」はこちらから読むことができます。
この記事を書いた人阿部彩(あべ・あや)
海外経済協力基金、国立社会保障・人口問題研究所を経て、2015年より首都大学東京(現東京都立大学)人文社会学部人間社会学科教授。同年に子ども・若者貧困研究センターを立ち上げる。専門は、貧困、社会的排除、公的扶助。著書に、『子どもの貧困』『子どもの貧困II』(岩波書店)、『子どもの貧困と食格差』(共著、大月書店)など。