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「共同記者会見拒否」が効いたか?・・G7外相会議、日韓だけでなく米韓、日米韓会談も無し(日米はあり)

2021-12-18 18:20:46 | 日記
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「共同記者会見拒否」が効いたか?・・G7外相会議、日韓だけでなく米韓、日米韓会談も無し(日米はあり)

2021年12月12日

G20、G7関連会議はもちろん、国連総会などでも、米国と韓国の外相(韓国で言う「外交部長官」)会談はかならず行われてきました。

大統領が参加する場合は、30分ぐらいの略式でも首脳会談が行われ、外相会談も欠かせませんでした。

でも、最近は首脳会談は行われず、外相会談だけになりました。

米国と韓国の間で首脳会談が無くなったという件は、前にエントリーしたことがあるので、過去エントリーを参考にしてください。

ですが、イギリスで開かれている今回のG7外相会議では、韓米外相会談も予定に無いことが分かりました。

同じG7外相会議で、日米外相会談はすでに開催されました。

また、米国が北朝鮮に対して新しい制裁を発表した件で、専門家は『事実上、終戦宣言を拒否したのではないか』という疑問を投げかけています。

以下、各紙、<<~>>が引用部分となります。
 
他のメディアではまったく話題になりませんが、時事ニュースというネットメディアの記事によると、<<・・鄭長官は、イギリス、フィリピン、カナダ側と会談する予定だと伝えられた。

ブリンケン国務長官と「Pull aside(非公式略式会談)」が推進される可能性にも、関心が集まる>>、とのことでして。

前回のG7外相会議で米国主宰で行われた日韓会談はもちろん、今回は日米韓会談も、まったく聞こえてきません。

もちろん、日米外相会談は普通に行われ、いつもの案件について話し合いました。

<<林外務大臣は、訪問先のイギリスでアメリカのブリンケン国務長官と初めて対面で会談し、中国による東シナ海などでの一方的な現状変更の試みに強く反対し、日米同盟の抑止力や対処力の強化が重要だという認識で一致しました(NHK)>>、と。
 
個人的に、外相会談まで行われなくなったのは、ちょっと驚きでした。

この前の、日本が共同記者会見を拒否した件において、米国がどういうスタンスを取っているのか、よく分かる展開ではないでしょうか。

すべての側面をこれだけで説明するのは無理でしょうけど、少なくともある程度の影響を及ぼしているのは、間違いないようです。

また、米国が北朝鮮の人権問題を理由に、関連した個人・団体を経済制裁リストに追加しました。

この件で、「米国は、事実上、終戦宣言にNOを出したのではないか」という指摘が出ています。

最後に、国民日報から引用します。
<<・・米国が対北朝鮮制裁を加えたことで、文在寅政府が推進している終戦宣言に急制動がかかり、韓米間の対北政策共助が失敗したという指摘まで出ている・・・・

シン・ボムチョル白石大学招聘教授は12日、「米国が韓国の終戦宣言に牽制区を飛ばしたのだ」と解釈した。

彼は「韓国政府が北朝鮮に制裁緩和の可能性を言及して終戦宣言を説得した可能性がある」とし、「米国は、制裁を徹底的に維持するというメッセージを出して、その可能性を遮断したのだ」と説明した。

パク・ウォンゴン梨花女子大学教授は、「もう少し拡大解釈すれば、バイデン政権は終戦宣言をしないという意思表示をしたと見ることも出来る」とし「結果的に、韓米の共助は失敗したと思われる」と話した・・>>
 
不確かな情報なのでソース引用などはしませんが、韓国の鄭外交部長官はブリンケンとも「遭遇した」という話が出ています。

一つ前のエントリーで紹介した林外相のときのように、それっぽい雰囲気のときに話しかける、そんなことでやっと話ができた、そんなところでしょうか。

先にリンクした過去エントリーには、「(文大統領が)バイデン大統領と2~3分立ち話をしたぐらいでわざわざブリーフィングまで出すのはやりすぎではないか。

どれだけ切迫なのか」という指摘を紹介しましたが、今回も某ブロガーみたいに「(ブリーフィングの)ネタ探し」でもしているのでしょうか。

一つ前のエントリーはURLを「事案が発生」にしましたが、今回は「声をかけまくる」としてみました。
 




韓国のTPP加入に日本は消極的態度=韓国ネット「近くて遠い国」「日本が韓国を排斥したら…」

2021-12-18 17:53:00 | 日記
韓国のTPP加入に日本は消極的態度=韓国ネット「近くて遠い国」「日本が韓国を排斥したら…」

2021年12月15日 13時20分 Record China



14日、韓国・聯合ニュースTVは「日本が韓国のTPP加入推進に消極的な態度を示している」と伝えた。資料写真。


2021年12月14日、韓国・聯合ニュースTVは「日本が韓国の環太平洋パートナーシップ協定(TPP)加入推進に消極的な態度を示している」と伝えた。

記事によると、日本政府関係者は同日、韓国のTPP加入問題について「自由貿易をめぐるTPPの高レベルのルールを満たせるかどうか見極める必要がある」との立場を示した。また「日韓間にはさまざまな懸案事項がある」とも指摘したといい、記事は「これは慰安婦問題や徴用問題など両国の懸案をTPP加盟と関連付けることを示唆したもの」と分析している。さらに、自民党の佐藤正久・外交部会長が自身のSNSで「韓国の現政権は厚顔無恥だ」と指摘したことも物議を醸しているという。

ただし、記事は「自由貿易と関係のない外交問題を理由に加盟を阻止した場合、国際社会の批判を受ける恐れがあるため、日本が韓国の加盟条件として歴史問題の解決を掲げることは難しいという見方が優勢だ」としている。

2018年12月に発効されたTPPには、現在日本を含め11カ国が加盟しており、加盟国が全員賛成すれば新規加盟が承認されることになる。最後に記事は「日本の影響力は小さくないため、今後の日本政府の対応が注目される」と伝えている。

これを受け、韓国のネット上では「国際社会、国際機関において、嫌いだとの理由で仲間に入れてくれないなんてことある?日本は本当に近くて遠い国」「豪州は賛成してるのに日本は反対?」など不満の声が相次いでいる。

また「赤字だけ増えて利益がないと思う」「それより外交力をちょっくら発揮して米国が再編する協定に加入した方がいい」「むしろ韓国とまだ加入してない中国が一緒につくったら?日本抜きで」など加入に反対する声も少なくない。

一方で「加入するには日本の賛成が不可欠。

米国が半分捨てた協定を日本が生かしたから、日本の影響力はかなりのもの。

けど、韓国はこれまで何をしてきた?」

「日本が韓国を排斥すれば、韓国は親中に行くしかない。日米韓同盟の最大の障害は日本の反韓感情。日本は韓国を中国側に押している」との指摘も見られた。(翻訳・編集/松村)

掲載者意見
国際法を守らない国の加盟は反対




日本人の子どもはなぜ、自己肯定感が低いのか?

2021-12-18 17:18:25 | 日記
日本人の子どもはなぜ、自己肯定感が低いのか?

Culture 2021.04.20
From Newsweek Japan

日本で「他人に迷惑をかけない子に育ってほしい」と思う母親の多さは異常なレベル。

この考え方は、子どもの自己肯定感を高めるのに必要な「自主的な行動を通した成功体験」を積ませることとは相反する思想なのです。

連帯責任という強迫観念が無意識のうちに人々を抑圧している?

文/船津徹

国立青少年教育振興機構が、日本、韓国、中国、米国の高校生を対象に行なった意識調査(2018)があります。

この中で、「私は価値のある人間である」という質問に「YES」と答えた割合は、日本人は44.9%でした。(韓国83.7%、中国80.2%、米国83.7%)

日本人は謙遜しますから多少色をつける必要がありますが、「自分は価値がある」と答えた高校生が44.9%というのは低すぎる数字です。

裏返せば、「自分に価値がない」と感じている高校生が半数以上いるということです。

自己肯定感の定義は様々ですが、この感情を支えているのは、「自分はできる」という「根拠のない自信」であると私は考えています。

「自分はできる」と信じている人は、チャレンジを繰り返し、成功体験を積み重ね「根拠のない自信」を「根拠のある自信」に変えていくパワーを持っています。

これとは反対に「根拠のない自信」が小さいと「自分はできる」という自信よりも「失敗するのではないか」という不安感が目の前に大きく立ちはだかり、新しい挑戦がしにくい、人生に対して消極的な態度が形成されてしまうのです。

なぜ、日本人の子どもは自己肯定感が低いのか?

私は、日本、米国、中国で塾を経営し、世界中の国の子育てを見てきましたが、日本人の自己肯定感が低い原因が「まわりに迷惑をかけない子育て」にあるように思えてなりません。

ベネッセコーポレーションが日本、韓国、中国、台湾の母親に行なった「子どもに期待する将来像」という調査で

「人に迷惑をかけない人になってもらいたい」と答えた割合は、日本71%、韓国24.7%、中国4.9%、台湾25%でした。

日本の71%というのは突出した数字です。

「人に迷惑をかけない人になってもらいたい」というのは「まわりと同じであってほしい」「目立つ存在にならないでほしい」という心理が母親に働いている現れと受け取ることもできます。

これは悪いことではなく、子どもが「出る杭」にならないように、いじめや仲間はずれの対象にならないように、子どもを守ることが目的であり、「日本社会」で生き残る子どもに育てるための母性本能とも言えます。

しかし、子どもが「出る杭」にならないように育てるというのは、言葉を変えると、「個性を抑え、集団に合うように行動をコントロールすること」です。

つまり、自主的な行動を通して「自分はできる!」という成功体験を積ませることとは矛盾してしまうのです。

連帯責任という強迫観念

江戸時代、日本の人口の約7%と言われた武士は「すべてはお家のため」と、主君に忠誠する態度、個をおさえこみ全体を活かす思想を持つことが理想とされていました。

「まじめで従順であること」が最良の生き方という価値観があったわけです。

この価値観の裏に仕掛けられていたものが「連帯責任」という強迫観念です。

一人の不始末が全体の責任となり、最悪の場合「お家とりつぶし」になるという恐怖を武士は抱えていたのです。

連帯責任は武士だけのものではありません。江戸時代の町村は「五人組」という制度によって管理されていました。

これは近隣5戸を一組とし、互いに連帯責任で年貢納入や犯罪取り締まりなどを行なうものです。

昔は「個性」のことを「クセ」と呼んでいました。

「クセがある人」というのは個性が強い人のことです。

クセのある人は、トラブルを起こし、まわりに悪い影響を与える可能性があります。

だからクセ(個性)を抑えこもうとする集団心理が働いていたのです。

「村八分」と呼ばれ、秩序を守らない人との交際を村全体が絶つという習慣が、最近まで日本に残っていたのはその一例です。

もちろん今の日本には連帯責任はありませんが、一度根付いた価値観は人々の心から簡単に消えてなくなるものではありません。

個人や家庭や地域社会や学校や会社組織において、今も、連帯責任という強迫観念が無意識のうちに継承され、人々を抑圧しているのではないでしょうか。

ダメ、ダメ言い過ぎる日本人の母親

デパートで「さわっちゃダメ!」、「そっち行っちゃダメ!」と子どもの後を追いかけましている母親をよく見かけます。

子どもからすれば、デパートには見たこともない魅力的なモノが溢れています。

そんなモノを見ればさわってみたくなるのが人の常です。でも母親は「お店に迷惑をかけないように」、「まわりの人の迷惑にならないように」と、子どもの行動を抑制します。

何事にも日本人の親はまわりの目を気にしすぎるところがあります。

子どもが泣けば近所迷惑になると必死であやし、子どもが走れば先回りして子どもをブロックする。

子ども同士のおもちゃの取り合いになれば、親がおもちゃを取り上げて相手の子に渡してしまう。

子どもは「まわりに迷惑をかけない」という大義名分の下、自発的な行動をコントロールされ続けるのです。

自己肯定感を育てるには「自分の意欲でやったことができた!」という成功体験が重要なのですが、

世間がうるさい日本では「ちゃんとしつけなければいけない」というプレッシャーが大きく、その結果、子どもの行動をコントロールする場面の方が多くなってしまうのです。

子どもの自発的な行動を、親や周囲の大人や社会全体が、もう少しおおらかな目で見守ることが子どもたちの自己肯定感の向上につながるのではないでしょうか。

人はだれでも「まわりに迷惑をかけて成長する」のです。

ましてや世の中のルールも常識も知らない子どもですから、失敗したり、間違ったり、迷惑をかけるのがあたりまえなのです。

放任するのでなく、自主性を伸ばせる環境を与える。
私は子どもを放任せよと言っているのではありません。

子どもが自主性を伸ばせる環境や機会をもっと作ってほしいということです。

たとえば「走り回りたい!」というのは、多くの男の子にとって自然な欲求です。

でもデパートでは走り回ることはできません。

ですからデパートのかわりに公園や運動場に連れて行き、思い切り走らせてあげればよいのです。

東京都立川市にある「ふじようちえん」の園舎はドーナッツ型になっていて、子どもたちは屋上で歓声をあげながら自由にぐるぐる走り回ることができるそうです。

そのような環境であれば、親が「ダメダメ」言うことなく、子どもは自分のやりたい行動を十分にやり切ることができます。

子どもたちは1日平均5〜7キロ移動すると言いますから、子どもの持つエネルギーには驚きます。

子どもの自己肯定感を育てるには「干渉を減らすこと」が手っ取り早い方法です。

家の外は人目が気になるという場合は、自宅や、祖父母の家や、信頼できるママ友の家など、安全かつ、子どもが自由に行動できる環境で遊ぶ機会を増やしてあげましょう。

そして、自分でブロックが作れた、自分で絵が描けた、自分でおもちゃを片付けられた、という小さな達成を親は見逃さずに、「ブロックが作れたね!」と声をかけてあげてください。

それで子どもは成功を実感することができます。

手伝いを頼み、感謝を伝える。

子どもの自主性と自己肯定感を育てる最高の方法が「お手伝い」です。

子どもに簡単なお手伝いを頼み、手伝ってくれたら、「ありがとう。助かったわ」と感謝して抱きしめるのです。

これで子どもは、「自分はできる」、「自分には価値がある」という自信を大きくすることができます。

お手伝いを頼むときは、命令で子どもを動かそうとしてはいけません。

小さな用事でも「頼むこと」を忘れないでください。
「◯◯ちゃん、このお皿をテーブルに持っていってくれるとママ助かるわ」と頼めば、子どもは必ず応えてくれます。

そして手伝ってくれたら「ありがとう。◯◯ちゃんのおかげで助かったわ。頼りになるわ」と抱きしめて感謝します。

子育て上手なお母さんは、子どもに頻繁にお手伝いを頼み、成功体験のインプットを積み上げています。

人から感謝される喜びと快感をたくさん経験して育った子どもは、前向きで積極的な人柄に育ちます。最初は1日でかまいません。

「ダメ、ダメ」を封印しましょう。そしてお手伝いを頼み、「感謝」を伝えてください。

それだけで子どもの目の輝きが変わります。

[執筆者]
船津徹
TLC for Kids代表。明治大学経営学部卒業後、金融会社勤務を経て幼児教育の権威、七田眞氏に師事。2001年ハワイにてグローバル人材育成を行なう学習塾TLC for Kidsを開設。2015年カリフォルニア校、2017年上海校開設。これまでに4500名以上のバイリンガル育成に携わる。著書に『世界標準の子育て』(ダイヤモンド社)『世界で活躍する子の英語力の育て方』(大和書房)がある。

 

立志伝中の人物・金東兗氏が新党『新しい波(イカ党)』を結成、閉塞の韓国政治で「第三極」になれるか

2021-12-18 16:42:04 | 日記
立志伝中の人物・金東兗氏が新党『新しい波(イカ党)』を結成、閉塞の韓国政治で「第三極」になれるか

徐台教ソウル在住ジャーナリスト。「ニュースタンス」編集長10/25(月) 18:03
24日、新党『新しい波』発起人大会で挨拶する金東兗代表。同党提供。
来年3月9日の投票日まで130日余り。議席数の95%を独占する与党と最大野党の間で争いが激化する中、「どちらが勝っても同じ」と根本的な政治改革を掲げる新党『新しい波』が発足した。

●代表に金東兗「大韓民国の未来はない」

「以前は国が国民を心配したが、今は国民が国を心配しています」

24日午後、ソウル市内で行われた新党『新しい波』創党(結党)発起人大会で、金東兗(キム・ドンヨン、64)は挨拶をこう切り出した。先月から同氏がFacebookなどで好んで引用してきたフレーズだ。

同氏が過去2年半にわたり全国を回り市民の声を集める中、韓国南西部のある漁村で会った人物の言葉だという。

「国民が国を心配する」とは少しおおげさに聞こえるが、筆者を含め似たような感覚を抱いている韓国の有権者は少なくない。

これはやはり政治改革を唱える韓国の少数政党『時代転換』の趙廷訓(チョ・ジョンフン)議員の表現を借りると、「国民の水準に政治が追いついていない」と読み解くことができる。

新党『新しい波』を支える発起人は、こんな韓国政治の現状を憂える有権者たちと言える。金東兗代表の訴えの中心は正に「政治の改革」にある。

●「小川から龍」のキャリア

韓国には「小川から龍が生まれる」という慣用句がある。文字通り、身分の上昇を成し遂げた人物を表すものだが、金東兗氏はこの言葉を最後に体現した人物とも言われる。

1957年生まれの同氏は、幼い頃ソウルに移住するも11歳の時に父を失い、違法なバラックに住みながら、その日の食事にも困るほどの貧困に直面していたと回想している。

5人きょうだいの長男として商業高校を卒業後、銀行に就職し家計を支える中、同僚の捨てた「考試(合格すると社会的に成功とされる難しい国家試験)」の本を拾い勉強を始めた。

25歳の時にいわゆるキャリア官僚としての登竜門である「行政考試」と「立法考試」に合格し、経済計画院(現企画財政部)で本格的な官僚の道を歩み始める。また、後に公務員のまま米国に奨学生留学し、ミシガン大学で政策学の修士・博士号を取得している。

その仕事ぶりは優秀で、革新派・保守派を問わず各政権に重用された。

革新派の盧武鉉政権時の05年から06年にかけては国家25年の大計『ビジョン2030』をまとめる局長となり、保守派の李明博政権時には企画財政部の予算室長として国家予算をまとめ、12年には第二次官となる。

13年2月に保守派の朴槿恵政権が発足すると各行政組織を指揮する重責、国務調整室長に任命される。その後、息子を白血病で亡くすなどの事情により、翌14年7月に職を辞した。

15年からは京畿道(キョンギド)水原(スウォン)市にある亜洲(アジュ)大学の総長を務めた。韓国で上位に入る大学の一つだ。同大では、学生の起業を支援し国際化に力を注ぐ一方で、学生との触れあいを重視するなど、学生から「神」と呼ばれるほど大きな支持を得ていた。

このように金氏は、バラック小屋という「小川」で育つも、苦学しながら花形の企画財政部の次官、そして大学総長さらに後述する経済副総理へと登り詰める「龍」となったとされる。

筆者も過去に一度、講演を聞いたことがあるが、その成長過程から社会的弱者への共感を事あるごとに語る姿は印象的だった。
今年7月に発売された金東兗氏の著書『大韓民国の禁忌を破る』。政策集だ。筆者撮影。

●過去の「挫折」から改革への強い意志

文大統領が大統領に就任した17年5月、亜洲大学の総長を務めていた金氏に経済副総理を務めて欲しいという電話があった。韓国経済の舵取り役という重責だ。文大統領とは面識が無かったという。

背景には前掲の『ビジョン2030』の存在があった。過去の韓国の成功体験に囚われず、成長と福祉の「同伴成長」を目指し、制度改革と先制投資という政府の役割を強調するものだった。

当時は予算をめぐる政争に巻き込まれ実現できなかったが、明確なビジョンを示した点は各所から評価されていた。文大統領は金氏に就任をお願いする際、「韓国経済のパラダイムを変えてほしい」と頼んだという。

しかし17年6月から18年12月までの任期中、金氏は再び政治と政策のジレンマに直面することになる。

当時、文政権は「所得主導成長」という最低賃金上昇による成長政策を目玉にし、これを強く推し進めていた。別の成長政策も必要であると考えていた金氏はこれに危機感を覚えたものの、結果として韓国経済の改革を成し遂げることはできなかったからだ。

この経験から、金氏は「既存のパラダイムの堅固さ、核心的な意思決定者の意識と力量」について疑問を抱き、これを変える必要があると感じたことを、著書『大韓民国の禁忌を破る』で吐露している。

●三つのビジョンと政治改革

「このままではいけない」という強い問題意識は、金氏が政治を志す大きな原動力となっている。その片鱗はこの日挨拶文の随所に見て取れた(詳しくは文末の全文訳を参照して欲しい)。

同党はまず、格差・少子化・低成長などの韓国社会の根本的な問題の背景には、韓国社会の「勝者総取り構造」があるとする。「勝者が機会を独占し、格差や不平等を固着化させる」という認識だ。

これを変えるためには「既得権を打破し、構造的な問題を解決する」必要があるとし、「国民、特に若者たちにより多くの機会、より均等な機会、より良い機会を与える」と主張する。その具体案として以下の三つを提示した。

まずは「青年投資国家」だ。「若者のスタートアップ天国を築く」とし、政府は雇用を提供するのではなく、仕事を提供するという転換を述べた。

次に「機会の両極化の解消」では、▲不動産問題の解決と住居権の補償、▲教育格差解消による世襲社会の防止、▲首都圏一極集中から全国での多極化へ、というビジョンを明かした。

そして最後の「政治改革」では、4年再選可能で分権型の大統領制への転換をはじめ、草の根市民の参加による「下からの反乱」を可能にするプラットフォームとしての役割を果たすとした。

印象的だったのは党名についてだ。『新たな波』は『イカ党』になる可能性があったと金氏は述べた。世界中で話題の韓国ドラマ『イカゲーム』のように、勝者総取りで敗者は死ぬ韓国社会を変える党という意味合いがあったという。

同党の発起人・支持者たちが「各々が夢見る国」を掲げている。左から「青年が思いきり起業できる国」、「正直者が勝つ国」、「夜道が心配にならない国」とある。同党提供。

●「第三極」なるか、趙廷訓議員に聞く

今回の『新しい波』結党への動きは、来年3月に大統領選挙を控えていることもあり、各メディアがこぞって取り上げた。

この日の発起人大会には与党そして最大野党の党首や第二野党・正義党の院内代表、さらに韓国政界の「キングメーカー」とされる金鐘仁(キム・ジョンイン)前国民の力非常対策委員長が出席するなど、その存在感を見せつけもした。

『新しい波』をどう受け止めるべきなのか。議席数95%を占める与党・共に民主党と最大野党・国民の力の「両党体制」に対抗する「第三極」を形成し、韓国社会に旋風を巻き起こすことができるのか。

冒頭で引用した、やはり政治改革を唱える少数政党『時代転換』の趙廷訓議員(代表)は25日、筆者との電話インタビューで「韓国政治ではこれまで『第三極』が浮沈を繰り返し、これまでは第三極が低調であったのが事実だ。しかし、今はふたたび盛り上がる時期にきている」と現状を評価した。

趙議員はさらに「両党の候補が国民の基準に大きく満たない中で、合理的で正常な候補に対する渇望が大きいと感じる」と述べ、「両党の代表が発起人大会に訪れたのも、そうした批判を意識してのことだ。国民の関心がある」と見立てた。

なお、『時代転換』は9月に『新しい波』を支持することを表明し、趙議員みずからも『新しい波』の戦略企画本部長を務めている。さらに金東兗氏と趙廷訓議員は世界銀行で机を並べ、亜洲大でも共に働いたことがある。

こうしたことから両党の結合に対する関心が高まっている。趙議員はこれについて「党の指導部や党員と議論をする予定だ。どうやればシナジー効果を出せるか模索している」と明かした。

今年10月、スタートアップに関する映画を共に観賞する金東兗氏(左)と趙廷訓議員。趙議員のfacebookより引用。

●新党への期待

『新しい波』も巨大両党以外の政党との連携に積極的だ。

金氏はこの日、正義党(6議席)の大統領候補となった沈相奵(シム・サンジョン)議員や、近日中に出馬表明すると明かした国民の党(3議席)の安哲秀(アン・チョルス)代表と、「対話は開かれている」と述べている。

『新しい波』は今後、正式な結党へと向かう。韓国では新党を結成する際、「創党(結党)準備委員会」を結成する必要があるが、その第一段階が発起人大会だ。これを経て、地方に5つ以上の支部を結成した上で「創党大会」を開きようやく党として認められる。

これまで詳細に触れてきたことからも分かるように、筆者は新党に期待を抱いている。

背景には先の無い韓国政治の革新への期待と共に、韓国社会で切り捨てされる人々が両党体制の下でいつまで経っても減らないことに対する失望・怒りがある。

新党が既存の『正義党』などと力を合わせ強力な第三極を形成することを願って止まない。

なお、互いをけなすだけの、ストレスの溜まる巨大両党の大統領予備選を眺めながら失望を禁じ得なかった筆者としては、日本の皆さんに韓国の政治改革という側面を今後お伝えできるきっかけを得た喜びがある。

今回の大統領選は『新しい波』や正義党などの第三極を積極的に追ってみようと思っている。

以下は24日、金東兗氏が新党の発起人として行った挨拶だ。韓国社会が抱える問題の現在地がうまく記されていると考えるため全訳する。翻訳は筆者。

●『新しい波』の発起人代表 金東兗 歓迎辞

私は34年間務めた公職を離れた後、2年半以上、全国を歩き回りました。多くの方々に会いました。農民、漁民、小商工人、自営業者、青年、就活生、大学生などです。

切迫した生活の現場を見ながら、公職生活ではかつて気付くことのできなかった多くのことを学びました。麗水(ヨス、全羅南道)の小さな漁村で会った方はこう言いました。「以前は国が国民を心配したが、今は国民が国を心配しています」。

結党の準備をする過程で、わずか2日で数百人のボランティアが殺到しました。一週間も経たずに数千人が自発的に発起人として参加してくださいました。

今日、全国各地から様々な分野の発起人たちがこの場に参加してくださいました。また、多くの方々がzoomとYouTubeを通じてご覧になっています。

ただの一人も動員したり強要したりしていません。この方々に小さなイベントを提案しました。各々が夢見る国とはどのようなものかを短く書いて、SNSに投稿してほしいというものでした。

さあ、一度見てください!こんな内容です。

ある方は、「平凡な人が汗を流しただけ良い暮らしができる国」と書いてくださいました。

またある方は、「国と社会が子供たちを一緒に育ててくれる国」と書きました。

多くの政治家がきらびやかな言葉で国のために何かを行うと言っていますが、こらの言葉よりももっと真正性のある言葉がどこにあるでしょうか。

本日、私たちはこのような方々と共に、『新しい波』を結党します。

このような、私たちの国民が夢見る国を作るために『新しい波』を結党します。

大韓民国がこのままではいけないという切迫した思いで『新しい波』を結党します。

政権交替を超える政治交代のため『新しい波』を結党します。

今、韓国政界における強固な両党構造では、大韓民国が20年以上にわたり抱える構造的な問題を解決することはできません。大韓民国を変えることはできません。

国を半分に分けて生死を争う現在の選挙の構図では、誰が当選しようが、誰が政権を握ろうが、大韓民国の未来はありません。

結党の過程で、党名をめぐって最後まで悩みました。

結局『新しい波』に決めましたが、最後まで競合していた党名がありました。それは『イカ(オジンオ)党』でした。

私は初め、冗談で言っているのかと思いました。しかしそうではありませんでした。一緒に働く方々が、とても真剣に党名として提示したのです。

なぜでしょうか?『イカゲーム』が、今の韓国社会の姿を、私たちに見せてくれるからではないでしょうか?

勝者と敗者がはっきり分かれる社会、勝者が総取りする構造、その中で死んでいく登場人物たち。まさに韓国社会の自画像ではないでしょうか?

政治の世界は、最も典型的な『イカゲーム』の場です。最も強い勝者による総取りの構造と、既得権のカルテルを持っています。大韓民国の市場の中で、最も参入障壁が高い市場がまさに、政治市場なのです。

この政治の壁を取り壊すため、この政治の勢力図を変えるため、今日わたしたちは『新しい波』を結党します。

こんな側面から、『新しい波』の別名を『イカ党』としても良いでしょう。

私たちは既存の政党と別のことをします。
三つの面で異なります。

『新しい波』はまず、問題への見方を別にします。目に見える現象としての問題ではなく、根本的な原因を探します。問題の枝ではなく根っこを探します。

格差、少子化、低成長などの現象として現れた韓国社会の問題の根本的な原因は、この社会の「勝者総取り構造」です。

勝者は機会を独占・寡占し、格差や経済的不平等を固着化させます。その中で作られた既得権は、自分たちだけのリーグを作り、強固なカルテルを形成します。そうして、公正と革新、信頼の価値を害します。

『新しい波』は問題を実質的に解決します。既得権を打破し、構造的な問題を解決する代案を提示します。

過去の経済発展勢力(産業化勢力)は今や守旧既得権となり、変化を恐れます。民主化勢力は今や既得権に安住する集団となりました。今、大韓民国には変化があまりにも切実に求められています。

国民、特に若者たちにより多くの機会、より均等な機会、より良い機会を与えることのできる解決策と代案を提示します。

第一に「青年投資国家」を作ります。若者世代が本当に必要とするのは、福祉ではなく投資です。機会を作ってあげることです。

若者に挑戦する機会を提供し、スタートアップ天国を築きます。規制改革を通じ、「働き口を提供する政府(雇用政府)」ではなく「仕事を提供する政府(仕事政府)」を作り、政府は仕事を、企業は雇用を創出していきます。

第二に、南北分断に続く第二の分断である「機会の両極化」を解消します。所得、不動産、教育、地域間格差で国が二つに分かれています。

亡国的な不動産問題を解決し、住居権を保障します。教育の格差を解消し、世襲社会を防ぎます。首都圏一極(集中)体制を、全国の多極体制へと変える強力な地域均衡発展戦略を進めます。

第三に、勝者総取りの政治構造を破る「政治改革」です。政治を変えなければなりません。

今のシステムでは、誰が大統領になっても問題を繰り返すでしょう。帝王的な大統領制を4年の重任(再選)・分権型の大統領制に変える改憲が必要です。

既得権両党(共に民主党、国民の力)のうち、一つだけ選択される政治構造を打ち破るために、選挙法も変えなければなりません。

『新しい波』は問題を解決方法も全く新しいものにします。一人の指導者、特定の政治グループが社会を先導する時代は過ぎました。

改革の真の動力は、市民たちの理解と政治的な支持です。国民の参加と集団知性を通じ解決策を探していきます。『新しい波』が、誰でも政治に参加できるプラットフォームになろうとする理由です。

自身の場所で誠実に働くすべての草の根市民の参加と討論を導き出します。「下からの反乱」を作り出します。

巨大両党(共に民主党、国民の力)の予備選挙は、ただひたすら「政権維持」と「政権奪還」のために相手を傷つけるネガティブキャンペーンで、支持層を興奮させています。

国民の希望と未来のための代案を語る論争は、完全に姿を消しました。政治と候補者を嫌悪させる「非好感度のワールドカップ」をこれ以上放置してはいけません。

今こそ、第2のろうそく革命が必要です。「特権・既得権・政治交替」のために、再びろうそくを灯さなければならない時です。今回の大統領選挙がまさにその場にならなければなりません。

『新しい波』の始まりは小さく弱いものです。しかし世の中の変化は大きいものよりは小さいものから、中心よりは辺境から始まります。

今はささやかな小川ですが、一人一人の意思と行動が集まれば結局、ほとばしる河の流れとなるでしょう。

小さな火種が野原を燃やします。今日出発する『新しい波』が荘厳な滝となり、既得権共和国を打ち破る先頭に立ちます。共に新しい大韓民国、機会が川のように流れる国を作りましょう。

ありがとうございます。

2021年10月24日
発起人代表 金東兗(キム・ドンヨン)


徐台教
ソウル在住ジャーナリスト。「ニュースタンス」編集長


群馬県生まれの在日コリアン3世。韓国・高麗大学東洋史学科卒。1999年から延べ20年近くソウルに住みながら、人権NGO代表や日本メディアの記者として朝鮮半島問題に関わる。2015年、韓国に「永住帰国」すると同時に独立。2016年10月から半年以上「ろうそくデモ」と朴槿恵大統領弾劾に伴う大統領選挙を密着取材。その過程をまとめた「韓国大統領選2017」が多くのアクセスを集める。2017年5月からは韓国政治、南北関係を扱う「コリアン・ポリティクス」を創刊。2020年2月に朝鮮半島と日本の社会問題を解決するメディア「ニュースタンス」へとリニューアル。



公園に胸像、トルコで英雄になった日本人 大地震の救で犠牲に 10年後の今も語り継がれる

2021-12-18 15:31:07 | 日記
公園に胸像、トルコで英雄になった日本人 大地震の救援で犠牲に 10年後の今も語り継がれる

12/18(土) 12:02配信

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ミヤザキ森林公園に建つ宮崎さんの胸像=10月、トルコ東部ワン

 日本から遠く離れたトルコで英雄として胸像が建てられ、公園や学校に名前が付けられた日本人がいる。

10年前のトルコ東部ワンの大地震で、NPO法人職員として被災地支援に駆け付け、建物の崩壊で死亡した大分市出身の宮崎淳さん=当時(41)だ。

東京のNPOに入り、海外の被災地支援を始めたばかりの宮崎さんの死を、人々が今も語り継ぐのはなぜか。

(共同通信=橋本新治、安尾亜紀、高山裕康) 「ミヤザキ森林公園」が完成 宮崎さんの胸像の前に立つトルコ大使ら

 ▽ミヤザキ公園  「地震でみんなが逃げ出したのに、遠い日本から手を差し伸べに来てくれた。私たちのことを知りもしないのに」。

ことし10月下旬に全面完成したワンのミヤザキ森林公園で、子連れの母エスメル・ウストゥンさん(24)は話した。

公園には宮崎さんの胸像がそびえ、地元ワン県の知事らが参加した開園式典が開かれていた。

ワンでは2011年10月と11月に大きな地震があり、600人以上が死亡。

宮崎さんはNPO「難民を助ける会」(東京)の職員として1回目の地震後に現地入りしたが、2回目の地震で宿泊先のホテルが崩壊、死亡した。

部屋の中で、机に座っている状態でがれきに埋まったという。翌日の支援の準備をしていたのかもしれない。

 ▽遺体は国葬級  宮崎さんの死は、親日的なトルコ社会に大きな衝撃を与えた。遺体は国葬級でトルコから日本に運ばれた。その後、ワンだけでなく、最大都市イスタンブールや西部イズミルなどに宮崎さんの名を冠した公園や学校が造られた。

 大分市に住む宮崎さんの母、恵子さん(78)のもとにはトルコから多くの手紙や宮崎さんをしのぶ絵本が送られてきた。

ことし11月にはトルコの記者が取材に訪れた。

10年前に亡くなった日本人に、今もなお強い関心を持っている。 
▽決して忘れない  海外で尊敬を集める日本人といえば、紛争下のアフガニスタンで医療や用水路建設に尽力した故中村哲さんや、ヒマラヤのブータンの食料事情を一変させ「農業の父」と呼ばれる故西岡京治さんらが浮かぶ。

彼らのような半ば伝説的な人々と、現地で支援活動を始めたばかりだった宮崎さんはやや異なるが、なぜ語り継がれるのか。

10年前、被災地ワン近郊のディベクドズ村に住む女性が、その回答につながる言葉を記者に語っていた。

寒さが厳しい村は舗装道路もなく、極度の貧困の中にあったが、宮崎さんの支援で肉や食用油が届けられていた。

「日本がどれだけ豊かな国かわたしは知っています。そこを離れて、小さな村に助けに来てくれた。わたしたちは決して忘れません」

▽夜通しの介護  母親の恵子さんらによると、長男だった宮崎さんは大学を卒業後、英国の大学院で紛争解決学を学んだが、病気で倒れた父の介護のために故郷に戻った。

「大学院の卒業式にも出ないで、急いで戻りました」と恵子さんが振り返る。

 役所の臨時職で働きながら、介護に夜通し当たった。

09年に父が79歳で死去して数カ月後、宮崎さんはこう切り出したという。

 「お母さん。そろそろ行っていいだろうか」 

 国際協力に携わる夢と父の介護との間で葛藤し続けていたのかもしれない。「優しい子でした」と語った。

 ▽世界は助け合いで成り立つ  大分を離れた宮崎さんは、福岡県のNPOでの活動を経て、11年8月、東京の「難民を助ける会」で仕事を始めた。

  この年は、3月に東日本大震災が発生している。トルコをはじめ世界各国の救難隊が東北に支援に訪れていた。宮崎さんは「助ける会」に入る際、こんな一文を残している。

「いかに世界が共助(助け合い)で成り立っているかあらためて実感した。震災で、世界で困難な状況にある人々への支援の思いが強くなった」

 トルコで大地震が起きたのは同じ年の10月だった。

宮崎さんにとっては念願の現地行きで、採用後初めての海外支援活動でもあった。

 ▽生きていれば    宮崎さんの働きぶりを、「助ける会」会長の長有紀枝・立教大教授が振り返る。

「チームの中で信頼されていた。介護経験が生きていたのかもしれない」。

大地震からの10年間、シリア内戦やロヒンギャ危機など、さまざまな人道危機があった。

「宮崎さんが生きていれば、各地の支援活動で活躍していたはずだ」と長教授は惜しんだ。

  国際協力は現在、逆風にさらされている。イスラム過激派による誘拐や拘束事件が増加し、非政府組織の活動には難しさが伴う。 

 日本政府の活動も、各国に比べて積極的とは言えない。

国連によると、国連平和維持活動(PKO)への派遣は英国やドイツなど欧州主要国がいずれも600人前後なのに対し、日本は今年9月時点で4人だけ。

 新型コロナウイルスによる国境規制もあり、国際協力機構(JICA)によると、海外協力隊の派遣規模も10月時点でコロナ禍前の15分の1ほどという。

長教授は「日本はエネルギーや食料を世界に頼っている。助け合わなければ生きていけないのに」と訴える。 

▽家族と同じ目線を世界に  宮崎さんがトルコで今もしのばれる理由について、長教授は「自分の家族に対する目線と同じように世界に目を向けた。その心がトルコに伝わったのではないか」と考えている。

被災地ワンの市民ファルク・ギョクタシュオールさん(44)は「宮崎さんの両親は一生懸命、彼を育てたはずだ」と述べ、その早過ぎる死を家族のことのように悲しんだ。

宮崎さんは、困っている人を助けたいと願う、普通の人だったのかもしれない。

トルコの被災地で10年前に耳にした「忘れない」との約束は、今も守られていた。