統治改革に魂は入るか みずほの失敗、人ごとでない
本社コメンテーター 上杉素直
2021年12月30日 10:00
21年はシステム障害を繰り返したみずほフィナンシャルグループ(東京・大手町)
組織の隅々にまで活気と規律をもたらし、収益力を鍛えつつ危機管理に神経を研ぎ澄ませる。そんな洗練された経営を形作るのがコーポレートガバナンス(企業統治)改革の究極のゴールだ。
社外取締役の登用などをうたう改革の道しるべ、コーポレートガバナンス・コード(企業統治指針)がつくられて7年目。2021年は同コードの改訂という節目を迎えた一方で、日本の取り組みはこのままで大丈夫なのかという疑問もちらついた。
皮肉にも、忠実にガバナンス改革を進めてきたように見える会社を舞台にして、世間を騒がす不祥事が相次いで起こってしまったからだ。経営トップが役所と連携してアクティビスト(物言う株主)の排除に動いた東芝の一件はショッキングだった。
ある意味で東芝よりも痛かったのがみずほフィナンシャルグループ(FG)のシステム障害問題だ。同社はコーポレートガバナンス・コード創設に先立つ14年に社外取締役主導の経営体制を確立した。「コーポレートガバナンスのフロントランナー」と自らを称したこともあった。
実際のところ、システム障害の頻発を許した甘いリスク管理や、障害が起きた後のずさんな対応を見るにつけ、みずほのガバナンスは問題が多かった。裏を返せば、先頭を走っていたつもりの改革が形ばかりだったとは言わないまでも、不備があったということになるだろう。
改革「第2世代」のジレンマ
では、いったいどこに不具合があったのか。ガバナンスの向上に取り組むあらゆる企業にとって、みずほの失敗は反面教師にすべき要素が含まれているに違いない。
ここ数年のみずほを取材していて気になったことを大きく3つ挙げたい。3つの現象はそれぞれ相互に絡み合い、ガバナンスの停滞や緩みをもたらしたように映る。
まずは何よりガバナンス改革と向き合う熱気の衰えだ。みずほが改革に乗り出したきっかけは、13年に発覚した反社会的勢力にまつわる不適切融資の事件だった。一歩間違えば組織の未来が失われてしまうとの危機感が関係者に広く共有されていた。
当時、ガバナンス改革の先駆け的な存在になるのだという自負はみずほの生え抜き組だけでなく、社外取締役の言動からも感じられた。社外取締役が生え抜き幹部の主張を退け、株式持ち合いの旧弊解消にこだわった出来事はシンボリックだった。
そんな執行と監視の緊張関係が薄れたのは、時間の経過に伴うマンネリだけが理由ではない。改革が第2世代に入ると必然的に生じるジレンマが、みずほで目につくようになっていた。これが2つ目に指摘したい現象だ。
18年に坂井辰史社長を選んだのは、社外取締役だけで成る指名委員会であり、社外取締役が議長の取締役会だ。どれだけフェアに努めても、自らが推した人物を冷徹に評価し、ときにダメ出しをするのは簡単ではない。自らの眼力を否定しかねないからだ。
いきおい、経営トップと社外取締役は運命共同体の色彩を帯び、社外取締役によるけん制機能は働きにくくなる。改革第2世代のジレンマだ。ガバナンス改革に踏み出して5年や6年を経た企業が、これから直面するであろう共通した課題でもある。
お仕着せで「やらされ感」も
最後の3つ目に、ぬぐい去れない「やらされ感」を挙げたい。みずほが不適切融資への反省からガバナンス改革を始めた経緯は前述のとおり。このとき、金融庁が深く関与して経営の形が決められた。以来、どこかお仕着せの改革という気分が組織にこびりついてはいなかったか。
どんなふうにコーポレートガバナンスを働かせていくかは本来、組織の個性や生い立ちと密接に結びついている。みずほは役所に促されて経営の仕組みを大胆に改めたものの、結局は我がものにできていなかったのではないか。行員のしらけムードに触れるたび感じさせられた。
翻って、あなたの会社はどうだろう。同調圧力と呼ばれる世間の空気を意識しつつ、役所や取引所がつくったルールを採用することで満足していないか。形から入る効用を否定はしないが、その組織ならではの解を見つけ、魂を込めてこその改革だ。
コーポレートガバナンス論の元祖というべき米国でも19世紀以来、その発展は不祥事をバネに遂げられてきた歴史がある。みずほの失敗を日本のエンジンにできるかどうかに目を凝らしたい。