心理学は自我を解体させる工具だ
Psychology is tools to dismantle ego
その工具で自我を原体まで分解でき
With those tools, can disassemble one’s ego
-to an atomic body
分解した自我を組立て直すこともできる
The disassembled ego can be reassembled
工具を使えることにより
By using tools
材料を目的や手段に合わせ
Materials for purpose and means
測る、切る、削る、開ける
Measure, Cut, Sharpen, Open
くぎを抜いたり締めたり
Pull out or tighten a nail
ネジを回したり締めたりすることができる
Can turn a screw or tighten with tools
自我をそれ以上分解できない
原体まで分解するためには
To disassemble an ego to be an atomic body
-which cannot be disassembled any more
目的に合わせた工具が必要になってくる
Come to needs tools to match purposes
解体しても元の状態に戻すことができないと
If cannot be reconstructed to be original
-when after disassembled
それはただの破壊にすぎない
It is just destruction
物を分解してみれば
When give a try to disassemble something
部品が全てで、完成品などは
Can find that parts are the all and
設計図にしか存在しないことが発見できる
- the finish figures are only can exist in the design drawing
だが、その部品一つでも欠けると
However, if even one piece of parts is missing
完成させることができない
-it cannot be completed
物を分解し、解体させるためには
In order to disassemble and dismantle things
カッター、ハンマー、はさみ、きり
Cutter, Hammer, Scissors, Gimlet and
ニッパー、バール、レンチ等々の工具が必要だ
Also, need tools such as Nippers, Bars, Wrenches and so on
自我を分解し、解体させるためには
To decomposition ego, to disassemble it
自我に対する知識、自他の関係
Knowledge about ego, connection of oneself-others
意識と無意識、記憶と忘覚
Consciousness and Unconsciousness
Memory and Forgetfulness
意味と無意味などの部分が占める割合などの
Meaning and Meaningless, such occupied ratio as a part
全体図を分かっておかないと
If the whole picture has not been understanding
解体後再組立てができない
It cannot be reconstructed after dismantled
その解体時に必要になってくる工具が
Tools when come to need to dismantling
心理学の学説や理論である
-are psychology theories and logics
だが、禅僧侶は心理学の工具利用無しで
However, Buddhist priests who do zazen
-they do not use psychological tools
自我を解体でき、再度組立て直すことができる
But they can disassemble ego and reassemble it again
何故なら、僧侶は完璧な設計図に従って
Because the priests follow the perfect blueprint
正確に,極限に細かく
Accurate to extreme, to utmost detail
自我を解体できるからだ
-they can dismantle ego
僧侶が持つ工具は『坐禅』という単一のものだ
The tool held by priests is the singular thing called “Zazen”
坐禅の工具とお釈迦さまの完全なる設計図だけで
With zazen tool and with only the complete blueprint
-which designed by Buddha
僧侶達は自我を安心して解体させることができる
-priests can disassemble ego in reassurance
自我を解体していくと
As keep dismantling ego
それ以上解体できない原体に辿りつく
-reach out to an atomic body which
-cannot be disassembled anymore
全ての原体がバラバラになって
All protoplasm as atomic body has fallen apart
自我という形が基は無形であることを見つける
Find that form of ego is basically immaterial
部分と部分が全体を織りなしていることを知る
Learn that parts and parts are weaving the whole form
その原体と原体の間にゼロが存在する
There will be zero between atomic and atomic
自我を解体することができると
If can do disassemble ego
再構築する時には
When comes reconstruction
不要なもの、不純なもの、汚れたものを
Unnecessary things, impure things, things got dirt
取り除くことができる
-those can set apart
原体だけで完成品を作り直すことができる
With only atomic body can reconstruct finish figure
心理学はそのための全ての工具であり
Psychology is all the tools for that
坐禅は単一の工具である
Zazen is the singular tool
もちろん、人体、脳に実体、器官として、自我も自己も自分もないことは、しょせん、人体は素粒子の構成物だから、あたりまえ。
①生きていたいと恐怖
②6根への刺激。
③変更破壊攻撃したい。
つまり、好き嫌いと勘違いやな、この3つ、座禅して落ち着いて、観察するだけで、何かに気づく。大きく気づくと、勘違い解消して、その瞬間ニルバーナ。ドーパミンも同時放出やで。
ケイレンさんなら、3日以内で、ある程度達成できるんちゃうか? ギャハハ。
でも、それ目指したり、目的にしたらアカンねん。
目的論は自我入り込むからなー。
なにげにやるのがコツやで。
これまじ。
しかしその【空間】が極めて巨大に成った現在に於いてはそう出来ない。【空間】が大きくなりすぎて、雑念に悩まされるようになって、自己統制観を失い、猜疑心が巨大になったから、必然的に悟り観・解脱観からさえ遠ざかってしまったとも言える。
その道を一生を賭けて探り続けて来た純粋専門家である恐山殿でさえ自分が悟り・解脱に達しているのだと自覚できない。自分の体験は、単になにがしの変性意識体験に過ぎないのだという思考の枠の中に自らが閉じ込められる(=昔の人はもっと素直で単純であったのに!!・・・)。
なぜなら現代世界に於いては、
フローの対立語たる(不安・無感動・幻滅)要因がいつも目の前にちらついていて恐山殿の思考の核心を占めてしまっているからだ(と思う・・・私感)。
要するに如何にして「意識と無意識の空間」の中の
雑音要素を排除して小さい幸福で自分の心を100%満たす事ができる様に成れるか??
其の為のテクニックは何かということか。。。。
あくまでもつもりなので確実さはないのですが。
3日の見積もり書、これ短いのか長いのか分かりませんが、お釈迦様が6年あまりかけたことに小生が光速に等しく辿りつくとは思えませんね。
私は坐禅を研究するのが目的で目標なので、
涅槃とか解脱とかは、指標の一つです。
ですが、先見の知恵の富んだ、光速高速を教えて頂きありがとうございます。
ちなみに誰かがこのコメント欄を読む際に参考できるように素粒子空さんの掲示板アドレスも残してくださいね。
今回は『恐山あれこれ日記』のコメント欄で
私のチョコバロメーター説に対し
チョコ解体説で応えてくれた無名の人に共調する記事でした。
Tはその奥の細道を読んでいるのですね。
あのチョコ解体説に続いてコメ返答は書いてなかったのでしたが、
それが無意識にかなり残っていて
前回の記事の中でTが書いた、真理多様説とリンクしてきて今回の記事に繋がりました。
次回の記事への種まきとして書いてみましたが、
今回の素粒子空さんのコメやTの空間感覚時代変化説に因んで次回に繋げていきたいと思います。
ですが、常に書こうとした予想通りにはいかなかったので、様子をみて掘ってみて、出方をみたいと思っています。
【涅槃】は安寧・心の満足感・幸せ感・充足感であるという側面からすると(【死の受容】より分かり易いが・・・・)、
幸福度が高い人と低い人は何が違うかと言えば、
それは脳内に於けるドーパミン・セロトニン・オキシトシンなどのモノアミン系快感ホルモンを分解してしまう酸化酵素の活性率で決まると言う事のようだ(量と活性率はDNA構造で決まってしまう)。
其の酵素の活性率が高い人(例、日本人、特に恐山的人物)は悲観論者となり後悔度が高く、幸福度が低く生きているのは失敗だったと思いがちだ。しかし思慮に深くなるから長生きするとされている。幸福度が低いが故に頑張り屋タイプに成るようだ(🐜の如し!!)。
反対にその酸化酵素の活性率が低い人は、簡単に「生まれて来てよかった」と思える人種で、今が楽しければそれでハッピーだとキリギリス陽気人生を享受できてしまうそうだ。その代わりキリギリスの命は短くアンイツに耽るきらいがあるが・・・
今回のマトメ;
キリギリス型の遊び人タイプは幸福度が高いが短命。
アリ型の働き者は幸福度が低く不安過多症となるが努力家で長命だ。
ともに脳内酸化酵素の活性率に左右されDNA的だからそれを変える事はできない。
では人が出来る事とは、意識的にモノアミン(ドーパミン・セロトニン等)の分泌量を増やす事である。
坐禅によってセロトニン分泌量が増える事が知られている。
3か月坐禅を続けると、脳内のセロトニン受容器自身も大きくなる事(=成長する事)も知られている。
さあみなさん、頑張りましょう!!
It is called "scale invariant" because everything in the next cycle will be much much larger than the previous cycle, but the forms will be the same. Scale or size doesn't matter.
Your ideas here are really Time Invariant. I am impressed by this aspect.
The Zazen tool you describe can work fine in any time period. It does not matter. Time is entirely external to the process you describe.
One thought I have is this: The many tools of psychology sit in the toolbox, ready for use. Someone (or some series of people over time) had to make the toolbox itself.
The Zazen tool is also made. But one tool....surely it can be carried. No toolbox needed.!!!!
AIには欲望というモノが無い・・・だからAIには接待も不要だし愛人も作らないし、賄賂も要らない(のだそうだ・・・)。
しかし身体感覚が無いから人間のニーズが分からない。
人のニーズを解決するのが創造性という事だから、AIには創造性を期待できない。人の感情に対応出来ないから臨機応変に人のニーズ(=顧客の希望)への対応が出来ず、人との共感力が発生しない、顧客の創造も出来ない。
つまり創造=クリエーティブ、人付き合い=ヒューマンタッチは人間しか出来ない訳だ。
つまり坐禅の取り扱う分野とは、
AIが人間に取って代われない分野を指しているという事に成る。
坐禅は人間用専科で出来ている。
しかしある意味では「坐禅は人をAI脳にする」のかという別命題が存在する。
出典;AI世界の未来「社長は消える、スナックのママは生き残る」by孫泰蔵氏、日経ビジネスオンライン
現代では「人が生きる為に坐禅が在る!!」という視点を強く打ち出したものだと言える。
2500年前の釈迦の座禅(瞑想)の目的が「輪廻転生の永遠の苦の循環の輪からすり抜ける」という坐禅目的とは大きく異なっている点を強調する事がAIと対比してみた真意だ。
人工知能は苦しみについてプログラムされていないからそれを取り除くシステムが構築されていないでしょうね。
そうすると、私達人間は煩悩を除けば、
人工知能の本質的な機能に近づくこともできることになる訳だから、
元々煩悩など持たなければ坐禅を行う必要もなくなる訳でしょうし、
理屈的には解体後の再構築に
純粋な喜びだけでプログラムできると
書いた訳だから
機能的な面だけとると
人工知能に似た感じになりますよね。
矛盾か、涅槃の理屈か
計算上では
同じ数値になって現れるでしょう。
素粒子論だけ取って
全てを片付けようとするなら
ワザワザ書く必要もなくなるだろうし
涅槃が行先だけなら
修行にのめりこみ時間を投資しても
得られる確率はある訳ですから
.....
機能性だけの面からみると
はい
Tの見知もなるほどなるほど~と思えるところがありますね。
全ては
紙一枚の薄さにもなれないミクロな空間感覚を言っている訳ですから
論じるのには思考の余裕がある分
面白く受け取ります。
ただ、外側の人には
Tや私Kが何を呟いているか
検討もつかないでしょうし
狂ったように思えるでしょうかね。
けれども、素粒子1点張りで強欲になるよりはマシかもと思うところです。
全く無しでコメントを書いています。
記事も数字のデーター以外は
頭でっかちで書いていますから
独断と偏見で固まっている、一人善がり的な
危ない言い方で一貫しています。
人工知能には100%真似できない独自の方法だと過信しています。
私の見解が間違っているなら
それは統計的なデーターから言える一般論になるでしょう。
このように自己にうぬぼれていると
そのうち罰が当たりますが
恐山曰く、生きることに根拠は無いと、
私のコメに根拠も無い、です。
ですが、確かにTの想定外コメントは
私に私が持てなかった眼を与えてくれているから、頭の後ろにも眼がついている感じになります。
足が2本増えて早々歩ける感じでしょうかね。
偶には、私も賢い返事をしたくて
関連した知識をリンクさせては読んでみますが、
読んだ後は何もかも消えてしまって
記憶に残らない訳で
結果的には自分の偏見しか持つことができなくなってしまいます。
私だけに偏った見解になりますが、
思ってみれば私の見解も
過去のいつかに読んで記憶の片隅に残っている他人のものを私有化した盗みものになっている疑いもありますし。
この面から考えると
恐山は自分の修行を得て
純粋な自分の統察力だけで
物書きをしていると思ったりします。
Tのアイデアも
誰も予測できない奇抜さがあるから
いくら京computerが優れていても
絶対に思いつけないでしょうね。
確かにTや私、恐山(一方的な関連付け)は解脱や悟りを得るために何かをしていないと思います。
まあ~偏見ですが、偏見しか持てない私にとっては少なくても偏見を考察し客観的になろうと努める、これが持っている最後のカードでしょうかね。
自惚れしかできなかったら
その自惚れている間は
至福感が持てるでしょうし
人の下す判定に左右されるなら
どっかで隠れて静かに命を延命するだけで十分でしょうし、
まあ~偏見と自惚れで言える狂言はこれに尽きるでしょう。
因みに自分のコメは2度読まない主義です。2度読んだら絶対コメントできませんから