Zen禅

心理学に基づく坐禅の研究-心の風景を眺め、流れていく気持ちの音を静かに聴く(英訳)

只管打坐と体の覚醒Devoted to meditation & body awakening

2021-03-27 | 坐禅

人の体は自らの脳の指令さえ正しく行えない不便さがある。

The human body has the inconvenience of not being able to correctly perform

from the commands of its own brain.

 

自らの体と自らの脳を直結させることは根気の要る長い作業である。

Making direct connections with your own body

to the brain is a long-term task and requires perseverance.  

 

私の趣味はバレエを知ることだ。

My hobby is to know ballet.

バレエの稽古をやっていると、

私の体について未だに分かっていないことが実感できる。

When I do ballet practice,

I find a solid sense that I still do not know about my own body.

 

この体で半世紀を生きたのに、

実は何も分かっていない気がする。

I have been having this body for a half-century

but feel like I do not actually know anything about it.

私の体は未だに眠っている気もする

My body seems still is asleep.

 

自分の体なのに、

自分が思うように手足を動かせていないのが情けない。

I feel execrable for my body

when I could not operate my own limbs the way I expected.

 

なにせ、趣味がバレエなわけで、

暇な時間なできると

バレエのテクニック解説のビデオを観て気晴らしをしている。

After all, the reason for ballet is my hobby,

when I have free time,

I watch ballet tutorial videos to distracted mood.

その中で特に面白いと思うのは、

プロのバレエ講師が初歩者を教える授業である。

Among those videos,

I find particularly interesting in some tutorial classes that

a professional ballet instructor teaches beginners.

 

ただ立っている姿勢でも両者の違いは天と地の違いが表れる。

Even in one standing posture,

the difference is clear between tutor and trainee like black and white.

立つ姿勢だけとって見てもプロは全身で立ち方を維持しているが、

初歩者は脚だけで意識的に立っている。

To take an example of standing posture,

professionals can keep standing form with their whole body,

but for beginners consciously stand on their feet only.

 

 

ボルショイーバレエ団のプリマ・バレリーナSvetlana Zakharovaは、

髪の毛や爪の先まで踊ると言った。

The Bolshoi prima ballerina Svetlana Zakharova once said that

she dances even with her hairs and fingernails.

確かに、彼女の踊りを観ると

全身の細胞が確実に覚醒しているかのように見える。

To prove it, watching her dancing

it looks like her whole-body cells are awaken clearly.

 

頭と体、思い描く理想が単一体になって音楽を見せるようでもある。

It also looks like her head and body linked with her ideals she envisioned,

and all are united as a singularity to show music.

休止している細胞が何一つ無い、

完全に覚醒して最大限に可動しているようにも見える。

She seems that her whole-body cells completely awaken

and none of her body cells in resting and

show that the awakened body cells are extremely maximized to be mobilizing.

 

反面、初歩者の動きを観ると

日常生活で常に使っている筋肉は不自由なく使えているため、

その動作も日常範囲内に制限されてしまう。

On the other hand, looking at the movements of beginners,

the muscles they can use without any inconvenience are always used in daily life

so that the range of movement is also limited within the daily life scale.

また、視覚神経を通って入った外部の情報が

脳の認識を司る神経体系まで届かず、

運動神経だけ使って動かしているように見える。

Additionally, the external information that comes through the visual nerves,

yet cannot reach the cognitive nerve system of the brain,

so that they only use the motor nerves.

 

初歩者は視覚神経と運動神経だけ繋がっているため、

授業が終わったら自分が何をしたのかさえ忘れてしまう。

The beginner's nerve connection is linked to visual and motor only,

so as the class over they forget what they did in the class.

 

私も習い始めの時は、

振り付けを覚えられなくて、

先生の動きを見て真似るだけだった。

In my case, around the time when started to learn ballet,

I could not remember the choreography the teacher showed

so I just imitated her movements.

先生に依存していて、自ら覚えようとしなかった。

I was relying on my teacher and did not even try to remember by myself.

 

だから、自分がやったことも再現できず、

何を習ったのかの思い出そうにも思い浮かばなかった。

So, after class, I neither can do replay for what I did

nor recalling for what I learned.

脳が眠ったまま、3時間のレッスンを続けても体が疲れるだけで、

自分の制限性を広げていなかったのである。

Even though I took three hours lesson

while my brain was asleep,

it just made my body exhausted and

nothing worked to expand the limitation.

 

ところが、ある日、

坐禅をする時のように無念で授業を受けたら、

余計な雑念を祓うことができて、

パターンが認識できるようになり、授業が楽になった。

However, one day in the class,

I tried not to think anything like doing meditation,

then it helped me to cut out unnecessary thinking

so that I became able to recognize patterns

which have led me to feel easier in the class.

 

坐禅のやり方の一つに、

只管打坐というのがあるが、

ウィキペディアからの説明の部分引用では:

Shikantaza is one way of doing Zazen-meditation,

the following quote is from Wikipedia explanation:

>『it literally means, "nothing but sitting.

 " In other words, "doing only zazen whole-heartedly"

 or "single-minded sitting."』<

>「只管打坐(しかんたざ)」(非思量の坐禅をすること)<

Stay sit (doing zazen-meditation in state of think nothing)

 

つまり、只管にバレエの動作だけをおこなったのである。

In other words, I just performed ballet movements only.

そうしたら、自分ができるかできないかを判定する思念が絶たれて、

余計な考えに捕らわれなくなった。

With those tries, I came up to cut down my judgments that

whether I can do it or not,

and I was no longer caught up in useless thinking.

 

余計な考えが消えると頭の中で自分と会話するようなやりとりが無くなる。

When the overflowed thought is gone

there is no conversation with myself in my mind.

そうすると眼から入ってくる情報が

真っ直ぐに脳の中で認知されてから解読でき、

体は素早く脳からの指令を受けることができる。

Then, the information coming through my eyes

can get into the cognitive brain part and decode them,

so the body can quickly receive the commends from the brain.

 

できるかできないかの判断過程をきっぱりと斬ってしまうのである。

To say simply, completely cut off the process of judgment

whether it can be done or not.

それら余計な思考過程を遮断することにより、

覚えられない問題も切り倒せる。

By blocking those useless thinking processes,

it cuts down the questionings of incapacity for memorizing.

 

また、余計に考えなかった分、

授業のできことだけ記憶に残るようになり、

何をしたのか後になっても思い出すことができる。

Also, the amount of time that did not consume

it can be used for memorizing what happened in the class

and the lesson will become memorable even after the lesson.

 

できてもできなくても、

良いとか悪いとかの判定を下さないことによって、

情報を読み取って実行することだけに集中できるようになる。

Not judging whether good or bad

even though being able to do it or not

leads to focusing on reading information and executing it.

 

思考を制限できるようになるとその分の心に余裕ができて、

体の身体感覚に集中度合いが増す。

When you control the thinking,

it allows for more spacious rooms in your mind

and the body’s physical sensation will increase.

 

身体感覚が思考過程を経由しなくなると、

脳からの指令と運動神経が直結できるようにもなる。

In the way, physical sensation no longer takes a course

with the thinking process,

the brain command and motor nerve be connected directly.

 

視覚が捉えた情報が身体感覚を経由し、

脳の指令を的確にとらえるようになる。

The information captured by visual sense passes through physical senses

and being able to capture accurately the commands of the brain.

 

まして視覚と音楽を聞く聴覚が簡単に調和できるようにもなる。

It also makes harmonizing easier both sensors sight and listening to music.

 

それらを意識しないでおこなえるようになると、

体自体が覚醒できるようになると思う。

I think that if you can do those without being aware of them,

your body will be able to awaken in its own way.

 

今の私の体は、半分は覚醒できているように感じるが、

まだまだ感覚の鈍い部位や筋肉が精密に使い分けされていない。

I feel like my body is awakening half

but still have dull muscles

and yet have not effectively used or not using accurately.

 

だが、体の覚まし方は分かった気がする。

But I might have caught up on how to wake up my body.

 

体が覚醒されれば、

思い描いたことを体がそっくりおこなえるようにはなるかもしれない。

If my body is awakened, it may be able to do exactly what it envisions.

 

 


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19 Comments

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Unknown (Unknown)
2021-04-18 04:19:14
49分辺り
坐禅と芸術は対立するのかしないのか
返信する
Unknown (Unknown)
2021-04-18 03:27:32
知らなかったことを知るワクワク感なら此れはどうでしょう。
瞑想経験と日常生活
https://www.youtube.com/watch?v=H66FJUss4Hk&t=236s
返信する
Unknown (桂蓮)
2021-04-10 00:43:04
のしてんてんさん
『色即是空で心身脱落
空即是色で身心脱落』
本当に響きがいいですね。
上記のコメントは2日前に読んだのでしたが、
読んでから、妙にそのリズムがずっと響いています。

2日間、パソコン開かなかったので、返信遅れています。
ネットからの孤立を楽しんでいました。
まあ、孤独の正当化に聞こえるかも、ですが、
返信する
Unknown (桂蓮)
2021-04-10 00:34:43
ZIPさん
『一連の動作に身を預ける』
それ、バレエの先生がいつも言っていることと軸が同じですね。
ピルエット(回転する)のときに、回転しようとするな、軸を動かせ、と言っていました。
動作に身を任す、とも言ってました。
ZIPさんはバレエしていないはずなのに、
基本を心得ていますね。

因みに、昨日もピルエットの時に、
『先に何をするかその手順を考えるから体がついていけないんだ』と指摘されました。
自分では考えていない、いやそのつもりですが、
何でも脳が先に行ってしまうのは
ただの練習不足でしょうね。


放射線とかの環境汚染に対して私が思うことは
人間は、地球上で神のように君臨し、
楽をするために原子の組みを変えた、その結果
神の神による罰を受けている、と思います。
返信する
Unknown (ZIP)
2021-04-09 21:54:50
放射能汚染水海洋放出

地球環境テロ
返信する
色即是空 (のしてんてん)
2021-04-05 22:33:04
色即是空で心身脱落
空即是色で身心脱落
面白い響きですね。
返信する
Unknown (ZIP)
2021-04-05 15:32:22
一つ一つの動作に自覚的であろうとすればするほど、それをこなすことに精一杯になってしまい、かえって不自由でぎこちないことになるのは仕方ないです。
一つ一つの動作が一連の動作としてスムーズに機能した場合に、その動作に先取るかたちで次の動作に移行できるわけですから、動作をこなすというよりは、一連の動作に身を預けるということではないでしょうか。

まあバレエのことは分かりませんけど。
返信する
Unknown (桂蓮(ZIPさんへ))
2021-04-05 13:45:35
そういえばそうですね。
思い出しました、車の免許取り立ての頃
最近、やたらにあの頃が脳裏にバックアップというか、
ズームアップされていたので、
これ、なんだろうと思っていましたが、
ZIPさんの解釈から
なるほど、そのことかと納得しましたね。

私の無意識だったのかな。

まさに、
バレエのケースからみて
やっと初歩者の気分が抜けましたからね。
しかも
アラベスクが楽になって、
アダジオとかが静かに感じて来ましたしね。
返信する
Unknown (ZIP)
2021-04-05 11:31:57
そんな大袈裟な話でもないでしょう。

車の運転動作に束縛されていた初心者が、その運転動作から解放されて、周りの状況に注意が向くようになっただけのこと様にも思えますが。
本当の難しさはこれからではないでしょうか。
返信する
Unknown (桂蓮(のしてんてんさまへ))
2021-04-05 10:01:11
のしてんてんさま

自分の中の他人
自己の中の他己

身心脱落で
心身脱落ですよね。
返信する
己をなくす (のしてんてん)
2021-04-03 12:53:59
己をなくすということはアイロニー的に見えますが、実はそうではないと私は思っています。
というもの、己をなくすあるいは己になる。というのは意識の最大限の行為、あるいは意志なのです。般若心経で言われている「般若波羅蜜多」のことです。彼岸に往こうという意志ですね。
そして己を忘れるというのは、その意志が必要なくなった状態です。
バレリーナが大成功をしたとき、その間の記憶が全くないという状態と同じですね。
つまり、「己になるとは己を忘れる」というのは悟りに向かうプロセスなのです。
発心して般若波羅蜜多の意志が生まれ、涅槃に至る。つまり己を忘れるというのは涅槃に入ることなのだと思うのです。
返信する
Unknown (住んでいる国の言)
2021-04-01 15:09:32
私は聞いている言葉がどこの言葉か、あとになって気づくことが多いです。
ケーブルTVのNeflexとアマゾンプライムを契約して
観ていますが、
どちらも韓国の番組と日本のアニメが多くて
常に観ています。
そうすると、ふっと、今どこの国のことばかが全く意識から飛んで、
英語の吹き替えも英語だと気づかない場合が多いです。
そうですね、私の場合は25歳から外国暮らしだったから
成人した分、人との関わりで言語は問題無かったでしたね。
ここでは私が英語をしゃべると
夫以外の人は
一度で私の訛りを聞き取れない場合が多いようです。
夫は私の訛りに慣れているからか、意思の疎通は円満ですけどね。
訛りの多くの原因は顔の筋肉の使い方だから、
今はそれに中点をおいて、演習というか気をつけています。

バレエの用語のためにフランス語を習う必要があったから
今は大分覚えました。
今もネット上のフランス人友たちが多い方ですが、
彼らが教えると提案しても
次にねとあまり気乗りしないですね。

日本人や韓国人の英語は特色があって、
英語の訛りで国を当てられますが、
榮久さんのフランス語はどう聞こえるだろうと
ちょっと思ってみました。

不思議なことは
アジア人の英語、黒人の英語それぞれ違う感じがあることです。
口内の構造が違うからかな。
或いは、舌ベロの長さ?
もしくは、鼻と食道(のど)の長さと空気の振動が
関わっているから
違いが生じるのか?など今それも関心があって
私なりのデーターを集めています。


雑談ですが、
今日は2コマのバレエレッスンでしたが、
妹さんからのアドバイスを活かせることができました。
やっと、初歩者気分が抜けて進歩した感じが持てました。
センターもミスが少なくて、やっとやりがいを感じることができました。

バレエ哲学を語る人がいて幸せだなーと思っています。
返信する
国 語 ?どの国の? (榮久)
2021-04-01 01:23:52
幼い頃に渡欧し
異国語の渦に巻き込まれ

今の言葉は? 何? 
挨拶、ご飯、何処に何が、どうすれば?
日本語? 英語? 仏語? 何語?
言葉の迷路で彷徨う

日常他者の顔色を、状況を、周囲を・・
最低限の願いも 伝えられない
嫌いな習慣を拒否出来ない
我慢できない
やはり覚える以外はない、が
語学学習の動機でしょうね

これは
桂蓮さんも同じでしょう
生活するには最低限その国の言葉
文化習慣を習得する事がマナーですから

また日本文化、古典は十代後半頃から
異文化に暮らす中での違和感、肌の色の違い
微妙な発声の違い、輪の中に馴染めない
日本で暮しても、やはり浮いているような
持って生まれた業のような

明治以前の文化、教養の範囲、遊び方が
何れも今では
下品な笑い、話題、暮し・・・と
私は足るを知る暮しが底辺にあり

ご承知の様に、現在は責任を持てない言葉が
上辺だけの、収支、お金・・虚偽
借金だけの日本 等などで
出来るだけ離れて暮しています。

でも、お役に立てば何よりです
 
返信する
Unknown (榮久さん)
2021-03-31 14:07:58
榮久さん
国語の点数高かったでしょう。

韓国にも古典が結構あります。
今は使わなくなった古語のハングルで書かれているのですが、
現代訳が無いと理解できませんでしたね。
ハングルは411年にセジョン大王が学者達を集めて
作ったと歴史の時間で学びました。

私が大学受験をした時は
国語は3つの分野に分かれていました。
私は夜間高校を一年1学期で辞めて
高校卒業検定を受けてましたので、
そのレベルでは大学受験は難しかったでしたね。
だけど、留学試験には通ったので不思議です。

榮久さんのおかげさまで
正規に高校卒業しなかった分の補いというか、
居残り学習するような、
講習受ける気持ちで、
検索したり、YouTubeで参考にしたりと
学生気分になります。

テストが無いからストレスフリーな勉強になりますね。
返信する
Unknown (桂蓮)
2021-03-31 13:53:25
のしてんてんさん
『己になるとは己を忘れること』
その名言も大変参考になりますね。

その面から考えるとアイロニーですよね。
己を無くさないと稽古ができないというか、
己が邪魔をしますよね。
返信する
参考になり 何よりです (榮久)
2021-03-31 06:30:29
古典を読むのは好きです
ご存知のように
明治期以前の
日本語には変化が少なく
万葉集、古今和歌集、源氏物語、枕草子等など
千年以上前のものが伝わり
今も教科書で習うと言う 稀な国です
仏教の原点に近い書籍も日本に

東アジアの文化、言語に注目し学びを
進めて行きたい、と読んでは
雑用に追われ進展しない現状ですね
返信する
勉強になりました (のしてんてん)
2021-03-30 22:41:26
大変参考になりました。良い記事をありがとうございます。
己になるとは己を忘れること感じ入りました。
返信する
Unknown (桂蓮(榮久さんへ))
2021-03-30 12:28:00
>稽古は強かれ、情識はなかれとなり
=稽古は厳しく行え。
だが、自分のやり方や考えに強情になってはいけない。
つまり、慢心してはいけない、謙虚になれということ。
世阿弥<

榮久さんが紹介する本とかは今までで9割以上知らないものばかりでしたね。
今回も初目だったので、検索して
花伝書「風姿花伝」本文を読んだら
稽古のことばが今でも実用的で
コピペしてみました。

知らなかったことを知るのはワクワク感がありますよね。


>因果の花を知ること。
極めなるべし。
一切みな因果なり。
初心よりの芸能の数々は因なり。
能を究め、名を 得ることは果なり。
しかれば、稽古するところの因おろそかなれば、果をはたすことも難し。
これをよくよく知る べし<

そもそも、因果とて、善き悪しき時のあるも、
公案をつくして見るに、
ただめづらしき・めづらしからぬの 二つなり。
同じ上手にて、同じ能を、昨日今日見れども、
おもしろやと見えつることの、
いままた、おもしろくも なき善きのあるは、
昨日おもしろかりつる心ならひに、
今日はめづらしからぬによりて、悪しと見るなり。その後、 また善き時のあるは、
さきに悪かりつるものをと思ふ心、
また珍しきにかへりて、おもしろくなるなり。<

上記の引用文は今でも通じてますね。

ご指導ありがたく承りました。
返信する
連 想 (榮久)
2021-03-30 10:41:39
「只管打坐と体の覚醒」

『風姿花伝』花伝書が

ご承知のように能楽の家に
「ただ子孫の庭訓を残すのみ」と口伝された

風姿が花伝 
姿の美しさを
初心の花・時分の花・・・
と年代を追って記されて

この記事を呼んで
妹と以前この本について
話題にした事を思い出しましたので
返信する

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