Zen禅

心理学に基づく坐禅の研究-心の風景を眺め、流れていく気持ちの音を静かに聴く(英訳)

無思考の作業Work to be intangible

2017-12-11 | 坐禅

心に何も無い。

There is nothing in my mind.

だが虚しくはない。

But I do not feel vain.

ただ、心に引っかかるものが無いのだ。

Just nothing is stuck in my mind.


過去への未練も無ければ

Nothing is lingered to the past.

未来への期待もない。

No other expectations for the future.


新たな希望も無ければ、願いもない。

Neither have a newer hope nor a wish.

手に入れたい貴重品も無ければ、

No other desire to possess valuables,

到達したい状態も無い。

No other status to be reached.


だが、心は満たされている。

But my mind is filled.


幸せはもう魅力がなくなり

Happiness no longer attract to me,

不幸せももう怖くなくなった。

-no longer afraid of unhappiness.

自信感にも振り回されなくなった。

I became not to be swayed by a confidence.


心に何も無いと

 外界と内界の区別が薄くなってくる。

Distinction between outer and inner is getting thinner

-since I have nothing in my mind.

私はこの世にいるようで

空気のように感じてくる。

I seem to be existed in this world,

I feel like being air.

自分は膜のように感じてくる時もある。

Sometimes I feel like a membrane.


心は想いによって

重い石になったり

Mind can be a heavy stone by thinking,

閉鎖された独房にもなるが…

It also becomes an isolated cell…


想い自体が無形になれば

心は空気のようにもなる。

If a thought becomes intangible,

-mind can be like air.

その無形にさせてくれる作業は

坐禅である。

Work of zazen makes mind to be intangible.

 

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69 Comments

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (蓮の花)
2017-12-21 04:19:59
『脳マッサージする』ことができるのは
T治療法 at T整体院ですかね?

返信する
Unknown (蓮の花)
2017-12-21 04:17:20
『この世自身が無駄だ・・・』

簡単明瞭ですね。

私もそう思った時があって
素粒子論とか宇宙起源説とか読むと
そう思われてきます。

ただそれをNirvanaとかで
ゴミ箱ぽい捨てみたいな言い草されると腹立たしいですけどね。

返信する
ギックリ腰対処法 (T)
2017-12-21 03:39:16
>ガチンゴチンに凝り固まって、柔軟では無い~~

そんな坐禅塾同胞のギックリ腰君を治療して差し上げたのがKさん自身なのですから・・・
そのテクニックを自分の頭にもちいて
脳マッサージするのはお手のモノって事だよね。。。

水晶玉占い師の雰囲気で室内を盛り上げた今なら、
本来の内的力(ちから)が吹く出してくる???
返信する
『この世に無駄という事は無い』 (T)
2017-12-21 03:18:56
へへへ、この世自身が無駄だ・・・
という考え方もあるけどね!!

無駄な此の世で起きる事には、無駄な事なんて何も無い・・・という逆説的カオス世界も素敵だね!!

Kさん自称の無駄な記事でも(=If it should have been ~~過去完了仮定法説話)、
それなりにでも、もしそれが出現すれば・・・、
そこからあらたな励起力が働いて、
毒舌・毒説が噴出して、点点点が拡がって行く。

それが積み重なって、心の中に引っかかりを創って(やっぱり心にひっかかって行くんじゃね!!)、
Kさん来年の黒丸家みちのく修行道で大輪の花が咲く・・・何かが其処で産まれる!!
なんちゅう予感がでまするね・・・

これも成長の証(あかし)なのです・・・とかね!!
ほらね、この世に無駄なことなどないっちゃ!!
・・・ホラですが・・・

P.S.
流れに挑んで逆らい続け、闘い続けて、
勝利を勝ち取って来たKさんではあるが・・・

パラダイムシフトを果たしたアカツキには、

流れに逆らわない生き方に生きると言う道が新たに産まれる。
自然体で、自分が一番泳ぎやすい、流れやすい形をとる。
逆らったり、逆流したり、川岸に乗り上げたりしない・・・今いる処でベストの努力、ただそれだけで良い。
(思考の流れの原型は?・・鴨長明『方丈記』)
返信する
作話と坐禅の奇妙な関係?? (T)
2017-12-21 01:30:18
mmmmm、
只管打座で、認識(記憶)を無視する作業を行えば・・・
それは忘れてしまうと同じ事で、
知識(意識)の連脈が途切れるという事で・・・、

従って脳は、
『間違った情報で話を作り上げてしまいます』
…という事に成る。それを作話と言う訳だ!!
作話=作り話=妄想=現実性からの乖離(かいり)。
脳(特に左脳論理回路)がコントロールを手放す状態で起きる現象と言う意味になる訳だ。

つまりこれが睡眠中みる夢の事で在り、浅い睡眠のシータ波の成せる業で在り・・・
坐禅でも同じ脳現象が起きていると言えるのかもしれない。

これが『無思考の作業』の本質なのかもしれない。
Kさん曰くでは坐禅によって、今回記事の境地に達すると書いている訳であるが・・・、
要するに華々しく作話が咲くわ咲くわか??

黒丸さまが言う通り変性意識が体験できるが、
そういうモノですという事に過ぎず・・・
それ自身には意味が無い???。

さすれば、
現実的で実践的に必要な事は
『平常生きている自分はどう生きるのか?』という事なのだろう。
坐禅体験を、
日常での思考と行為に『どう生かすか?』という事こそが事の本質なわけだ・・・と思われる。
返信する
Unknown (蓮の花)
2017-12-21 01:08:30
Next entry下書きは数だけいっぱいありますが、
どれも無味でおいしくないので
アップできずにいます。

陳腐な見方をウィッキさんの添付助けで書いても
読むだけ無駄ですよね。

脳に脂肪が付きすぎですよね。
T式思考訓練を見直します。
返信する
Unknown (蓮の花)
2017-12-21 01:02:59
T作話は凄く頭に定着しやすいですね。
経験談をT流に語ると一層面白いですしね。

詩とか歌詞とかも
しっくりきます。

私も同じ色感でお返ししようと思うのですが、
何せ、頭がガチンゴチンごり固まって
そう柔軟ではないため
そのままイメージして
ああ~~いいな~~おもしれえと思っているだけです。
返信する
追加 (T)
2017-12-20 07:51:47
アッ、そ~そ~
HSOって
『ホントに しょうがねェ~ おっさんだァ~~』=T
・・・のことでちゅね!!
いちおう他意はない・・・と作話しとくね!!
返信する
作話 (T)
2017-12-20 07:42:58
咲くわ、咲くわ、あちらこちらで・・・

わすれてしまった(正確な)記憶(=認識)を埋め合わせる様に、
脳ってとかく、間違った情報で話を作り上げてしまいます・・・・

それを作話と言うんです。

それはウソではないのです。
本人は騙そうとは思っておらず
自分の話が間違っていることに気付いていないのです。

だってね‥‥作話的HSO
返信する
全て脳の作用の内!! (T)
2017-12-20 05:51:20
般若心経的自我の達成はグランビー環境では可能性が有る感じですねェ~~!!。

しかしそれにとどまらず、
それを踏まえた上(=心の自由の獲得を得た上)で、新しい自我を開花させる(十牛図第10図の完成)・・・は、在りたき境地ですかねェ・・・。

まあKさんの場合には、美術的イメージ力(りょく)が持ち前の才能だから、それがアメリカで開花するように第3の人生を出発させる・・・。

最早、他者をコントロールする必要など不要となって居る・・・自若泰然・唯我独尊。

孤高を潔く保ちたい時には、
五木寛之さんがしているとかだけど・・・
自分の手や足の指にそれぞれ固有名詞を命名して、
一本一本を洗うたびに話しかけ同胞待遇(=運命共同体扱い)をするとよい。
そうすれば、『お前達と俺は、死ぬときは一緒なんだよなァ~』とかと、
決して裏切られる恐れの無い友情(愛着・愛情・近親感)を感じるものなんだとか・・・。

またはグランビー庭の木々の一本一本に、
固有名詞の呼び名を与えて、
日々彼らがどう暮らしているか、うまく行っているか、してほしい事がないかとか、
日々の成長・変化を自分の如くに共に楽しむ・・・

まあ幾らでも遣り方がありそうだね・・・
でも、自我の終焉人(=無我人)にはそんな芸当は出来ないとTは思うけどね。

返信する
Unknown (蓮の花)
2017-12-20 02:36:02
大日方さまへ
恐山でまたお会いできるといいですね。

ギックリ腰は私もこの前経験しましたね。

返信する
Unknown (蓮の花)
2017-12-20 01:50:24
改めて確認すると、無我の思想は般若心経でも述べて無いのですね。
以下は
http://structure.cande.iwate-u.ac.jp/religion/hannya.htm

からコピペして添付します。

般若心経 (三蔵法師玄奘訳)
かんじざいぼさつ
観自在菩薩  (観音菩薩が、)
ぎょうじんはんにゃはらみったじ
行深般若波羅蜜多時  (深遠な知恵を完成するための実践をされている時、)
しょうけんごうんかいくう
照見五蘊皆空   (人間の心身を構成している五つの要素がいずれも本
             質的なものではないと見極めて、)
どいっさいくやく
度一切苦厄  (すべての苦しみを取り除かれたのである。)
しゃりし
舎利子  (そして舎利子に向かい、次のように述べた。舎利子
             よ、)
しきふいくう
色不異空  (形あるものは実体がないことと同じことであり、)
くうふいしき
空不異色  (実体がないからこそ一時的な形あるものとして存在
             するものである。)
しきそくぜくう
色即是空  (したがって、形あるものはそのままで実体なきもの
             であり、)
くうそくぜしき
空即是色  (実体がないことがそのまま形あるものとなっている
             のだ。)
じゅそうぎょうしき
受想行識  (残りの、心の四つの働きの場合も、)
やくぶにょぜ
亦復如是  (まったく同じことなのである。)
しゃりし
舎利子  (舎利子よ、)
ぜしょほうくうそう
是諸法空想  (この世の中のあらゆる存在や現象には、実体がない、
             という性質があるから、)
ふしょうふめつ
不生不滅  (もともと、生じたということもなく、滅したという
             こともなく、)
ふくふじょう
不垢不浄  (よごれたものでもなく、浄らかなものでもなく、)
ふぞうふげん
不増不減  (増えることもなく、減ることもないのである。)
ぜこくうちゅうむしき
是故空中無色  (したがって、実体がないということの中には、形あ
             るものはなく、)
むじゅそうぎょうしき
無受想行識  (感覚も念想も意志も知識もないし、)
むげんにびぜつしんに
無限耳鼻舌身意  (眼・耳・鼻・舌・身体・心といった感覚器官もない
             し、)
むしきしょうこうみそくほう
無色声香味触法  (形・音・香・味・触覚・心の対象、といったそれぞ
             れの器官に対する対象もないし、)
むげんかいないしむいしきかい
無限界乃至無意識界  (それらを受けとめる、眼識から意識までのあらゆる
             分野もないのである。)
むむみょう
無無明  (さらに、悟りに対する無知もないし、)
やくむむみょうじん
亦無無明尽  (無知がなくなることもない、)
ないしむろうし
乃至無老死  (ということからはじまって、ついには老と死もなく)
やくむろうしじん
亦無老死尽  (老と死がなくなることもないことになる。)
むくしゅうめつどう
無苦集滅道  (苦しみも、その原因も、それをなくすことも、そし
             てその方法もない。)
むちやくむとく
無知亦無得  (知ることもなければ、得ることもない。)
いむしょとくこ
以無所得故  (かくて、得ることもないのだから、)
ぼだいさった
菩提薩垂  (悟りを求めている者は、)
えはんにゃはらみった
依般若波羅蜜多  (知恵の完成に住する。)
こしんむけいげ
故心無圭礙  (かくて心には何のさまたげもなく、)
むけいげこむうくふ
無圭礙故無有恐怖  (さまたげがないから恐れがなく、)
おんりいっさいてんどうむそう
遠離一切転倒夢想  (あらゆる誤った考え方から遠く離れているので、)
くきょうねはん
究境涅槃  (永遠にしずかな境地に安住しているのである。)
さんぜしょぶつ
三世諸仏  (過去・現在・未来にわたる”正しく目覚めたものた
            ち”は)
えはんにゃはらみつたこ
依般若波羅蜜多故  (知恵を完成することによっているので、)
とくあのくたらさんみゃくさんぼだい
得阿耨多羅三藐三菩提  (この上なき悟りを得るのである。)
こち
故知  (したがって次のように知るがよい。)
はんにゃはらみった
般若波羅蜜多  (知恵の完成こそが)
ぜだいじんしゅ
是大神呪  (偉大な真言であり、)
ぜだいみょうしゅ
是大明呪  (悟りのための真言であり、)
ぜむじょうしゅ
是無上呪  (この上なき真言であり、)
ぜむとうどうしゅ
是無等等呪  (比較するものがない真言なのである。)
のうじょいっさいく
能除一切苦  (これこそが、あらゆる苦しみを除き、)
しんじつふこ
真実不虚  (真実そのものであって虚妄ではないのである、と。)
こせつはんにゃはらみつたしゅ
故説般若波羅蜜多呪  (そこで最後に、知恵の完成の真言を述べよう。)
そくせつしゅわつ
即説呪曰  (すなわち次のような真言である。)
ぎゃていぎゃていはらぎゃてい
羯帝羯帝波羅羯帝  (往き往きて、彼岸に往き、)
はらそうぎゃてい
波羅僧羯帝  (完全に彼岸に到達した者こそ、)
ぼうじ
菩提  (悟りそのものである。)
そわか
僧莎訶  (めでたし。)
はんにゃしんぎょう
般若心経  (知恵の完成についてのもっとも肝要なものを説ける
             経典。)
返信する
恐山 (ぎっくり腰)
2017-12-20 01:46:15
8月に恐山でぎっくり腰になった際には、助けていただきありがとうございました。

また恐山でお会いできるといいですね。

良いお年をお迎えください。

O.
返信する
補足 (T)
2017-12-19 10:14:05
時代背景を推察した論理の整合性として考えてみると・・・、

釈迦時代の釈迦のテーマは『アートマン』と言う永遠不滅の魂(=実体、つまりこれが輪廻の種なわけだが・・・)を、「我(が)」と名付けていて・・・
釈迦の観察の範囲内ではその様な「我」は見いだせなかった(=非我・・・無我で出なくて非我)と言ってるだけで、
【無我】などと形而上学的見解を言う筈はないんだから、
dyhさんの言う通り、
釈迦の言葉が伝えられていると思われている最古仏典のスッタニパータには【無我】と言う言葉は記されていない・・・・は論理の整合性がある・・・とTは思っているわけだよね。

だから現代風の『自我だ、無我だ』論を仏教思想に紛れ込ませたのは、
本来の釈迦思想とは全然関係ない・・・とTは思う訳だよね。
執着しない自分にとっては、執着しないという形が自我であって、
執着しない事をもって無我と定義する・・・って何かおかしいと思うTがいる!!
返信する
Unknown (T)
2017-12-19 09:43:44
dyhさんの「仏陀の理法」とか「自我とは」とか・・・まあ、Tとしてはdyhさんのブログ記事内容の信ぴょう性はかなり信じるよね。
かれは大学で哲学科卒業した人で、西洋哲学専攻だったけど、心に響くものが無くて、さまざまな哲学書を探し回ったが、最後に仏教哲学に入り込んだという、大変な勉強家の人だから、

Tが自分で中途半端で生半可なかじり方をするより、そちら方面の勉強は彼に任せて、
Tは美味しいとこだけ借用する訳だね。
此れを称して時間の節約、餅は餅屋というね。

釈迦時代の原語を分かる日本人何て先ずほとんどいなかったし、道元さんや南さんだってそんなインド古語よめないんだろうから、
根拠を疑ってもキリがない・・・
言ったことに対して同意したり反論したりしいしい、自分の見解を創り上げる!!・・・
ど~お、ケッコウ合理的じゃない・・・自分の見解を創作する為の手段にするだけなんだから原典がど~だこ~だはあまり関係ない・・・
返信する
モンキーマインド事件てんまつ記 (T)
2017-12-19 07:54:30
朝からずっとネットが不通であったが、やっと開通・・・

『雑念』の件は承前(=想定内)でありました。
実際のT 的イメージは、モンキーマインドならぬ
モンキーフェースなのでした。

モンキーがあちゃこちゃキョロキョロしている顔(モンキーフェースA麺)がモンキーマインドの表れで・・・

モンキーが顔と尻を真っ赤にして、キーキー叫んで、憤怒系の牙を剥きだして、自分の気に喰わぬ敵を威嚇する顔が
コントロール魔のモンキーフェースB麺(=モンキーマインドのB麺の姿)…とのイメージ操作で起きた連想ゲーム(水平飛行)な訳です。

【コントロール魔】って、他者を威嚇顔で睨みつけて、自分の意に従わせようとする場合に浮かんでくるイメージで在って、
決して自らを律する自制心・忍耐心・抑制力を意味するとは思えないので、

コントロール魔=憤怒威嚇系モンキーフェース赤ら顔・・・とイメージが膨らむわけですね、ひひひ。

でも今後のKさんは、
自我の終焉・全体性への回帰で、
コントロールを手離す(=他者に課するコントロールの放棄)という目標に至ったのであれば・・・
それはまさにグランビーでの自我のパラダイムシフトになる重大事件なので、
だから今回、Tが敢えてしつこく引きずってみた理由ですね(稀に見るグッドタイミング!!)。

以前なら、コントロール魔する事で自分の心の虚を埋めて、コントロール成功で自分の心が満ちていたらしい(?)とかとかだけど・・・

今後はコントロールを手離して、しかも虚でなく、満たされた心を保つ。魂の抜け殻で無い自分を保つ@グランビー。。。自我の終焉・全体性への回帰!
返信する
Unknown (蓮の花)
2017-12-19 03:24:06
脳のデータベースへのT的追加情報源は
偶には微かに私の根本に繋がっていたりしますが、
多部分は私の偏った偏見の傾きにバランスを持たせてくれます。

ですので、私の中で自分との会話領域を超えて、

Tなら『How he would think』『What he would react』など私以外の考え方もできるので
枝別れ成長で論理の整合性が凸に凹になれますね。

返信する
Unknown (蓮の花)
2017-12-19 03:14:49
仏陀の理法、自我は何かに関する添付された記事にリンクしてみて、私なりに考えたことは、
先ず、
仏陀の理法を2000年後の外人が
原文を通読しないまま解読すること自体、いくら真理に迫ったとしても
語るに矛盾やズレが発生するのではないかと思いましたね。

真理を口にする者に対し
私はアレルギー反応があって

まま、根拠自体について取り組む作家より
厄介に受けとりますね。

真理を語るより
その根拠自体を問題にする『根拠症候群』のほうが
精神的に健康かもと思われました。

自我は百人中百の捉え方があるので
その中の一つという面から読むと
なるほどとは思えましたね。

しかし、Tはもっぱらヤフージャパン派ですね。
私はグーグル派ですけどね。
グーグルのほうが宣伝が少なく
読みやすく情報量が単突多いです。

日本はどっちかというとヤフーですね。
返信する
Unknown (蓮の花)
2017-12-18 15:46:44
コントロール魔は言わば、Bossyに近い感じで言われたので
モンキーとは別の次元かもです。

頭に一念しかないのに、他人がその一念について
雑念でごっちゃ混ぜにしてきたら
怒りが沸騰してきて
爆発するわけですので
雑念は私の場合、無いですね。

なので、Bossyになる場合は
仕事を協力できない者に対する指摘に似た感じで
集団である共同の目標に向かっている時に
関わっているある個人が
我執で非協力的な態度や言動を示す場合に限って
Bossyが作動するわけです。

なので、私個人の利得のためには
力を乱用したことはないと錯覚してますけど、
知らずのうちに
自らの力に己惚れていた可能性はありますね。

とにかく相手が私の時間を無駄にしてくると
私はもう切り倒す他ないと思ったりしますね。
モンキーマインドについては
明日まで持ち越しできないと判断したので
寝る前に文句コメ入れておきます。

返信する
Unknown (蓮の花)
2017-12-18 15:17:28
報告等の雑談の続き

インテリアは
Floor stand×2を買い替えて(組立て含む)
リビングの絵を入れ換えて
台所の絵も交換
ベットルームの絵や飾りも換えて
Rug交換などなど

やっと心からYESが聞こえたので
このインテリア騒動はもうおしまいになれそうです。
私はデザインに関しては
心からYESが出ないと
NOの状態では落ち着かず
仕事も手につかず
心も浮いてしまうのですが、
YESが聞こえると
全てが落ち着いて安心できるのです。

これでこころに『。』ペリオドが持てるので
気合も入れるし
仕事にも集中できますね。

何よりTの本意に沿えようと
心から精読することもできるので
これからは大幅ズレることは少なくなると思います。

このようなYESの状態を得ると
仕事とか捗ることもできるので
心が途中てきなことは無くなります。

Tのコメントは寝る前に読んでおいて
明日の朝、新しい気分で書きこしますね。

今日は安定感のある疲れがあるので
ゆっくり寝られそうです。


返信する
Unknown (蓮の花)
2017-12-18 15:03:07
報告など
昨日から今日(もう月曜になりましたが)までかけて
超ー忙しい週末を送りました。
今日の日曜は朝からパソコンを開く時間が持てなくて、
日曜の深夜(12:58AM現在)になって
やっとコメントを開いて一度だけ目を通しました。

昨日は4か所の店を回って
インテリアグッツを買って
今日も2か所回ってきました。

後、2日くらい掛けてインテリアの総仕上げをしたら
写真を撮ってGメールに送りますね。
返信する
背反思考?? (T)
2017-12-18 07:07:07
いつまでも(いくつになっても)
好奇心を失わない知識欲で
生き生きと生きる、
魂の抜け殻にならない
生き方というモノも或る。

人間性維持??
犬猫性獲得??
自我の終焉・全体性への回帰ってどちらを指すのだろ~かねェ~??
返信する
Unknown (T)
2017-12-18 03:55:51
えへへへへ!!
Tもまあ、よく飽きずに色々ゴタクを並べ立てるよね・・・まったくTとKはよく似てるよね~ェ!!

そう思わない??
返信する
追加 (T)
2017-12-18 03:41:52
一見すると
Tの書いてる事は支離滅裂で論理の整合性が無いようにも見えるのだが・・・

Tの本意は、
水平思考(=ブレインストーミング)してみるという事で、
これは雑念ではなくコントロール魔でもないね。
脳のデータベースへの追加情報の・・つ・・も・・り
返信する
え~と、そ~そ~、モンキーがどうとかこうとか?? (T)
2017-12-18 03:30:33
ん~と、思い出せん!!
で、書き殴りのメモ紙を探してみる・・・

アッ、見つかった
曰く・・・
『イライラしがちな人は頭の中に「猿」を飼っている』(=Monkey mind)
コントロール魔はモンキーマインドです(T意訳)

注;
モンキーマインド=雑念が頭を占拠している状態。

モンキーマインドを解消すれば、脳は本来の力(ちから)をフルに発揮できるようになりますから、
集中力や判断力だけでなく、読み書きや計算のような処理能力・創造性にもプラスの影響がでてきます。
雑念コントロール魔はサルと自分を同一視しているのですから、
雑念性コントロール強迫観念から傍観者であり続ける(=自分自身で距離を取る)事が大切です。

ニーチェ曰く『あなたにとって、最悪の敵はあなた自身です!!』





返信する
一応訂正 (T)
2017-12-18 02:54:11
Unknown=T
返信する
コントロールの放棄はグランビーで起きるか?? (Unknown)
2017-12-18 02:51:38
まさに自我人格のパラダイムシフトだよね。
ヤクジャ様卒業
狂犬躾係り卒業
他者批判役卒業
説教クセ者卒業
プロフ顔付卒業

え~と、それからァ・・・
魂の抜け殻となるのか??
それでも心は満たされるのか??
いやそれでこそ満たされた心になるのか??
返信する
余談ついでに・・・ (T)
2017-12-17 15:53:55
脳科学者中野信子さんによれば、
自意識(=自我意識)の高い人は学習効果が高い、だから頭もよくなるそうだよね。
Tも、そ~だろ~なって思うよね!!
黒丸様あたり、すご~く自意識高くない??・・・深層心理領域では・・・

そうなると、
(゚∀゚)アヒャ~~困った困った!!
『自我の終焉』やっちゃうと馬鹿になっちゃうってことだよね、へへへ・・・
へいへ~い!!ど~するど~する仏教者ァ~~~
ンまァ~~、Kチンみたいに犬猫連盟参加型のひとは別だけどね、ヒヒヒ。
返信する
補足 (T)
2017-12-17 14:46:34
自我の終焉=自我失認症
mmmmm、これでは人は正常に生きて行けない!!
返信する
余談 (T)
2017-12-17 14:31:42
今、TVJapan で『相棒』をみた。
相貌(そうぼう)失認(=失顔症)で人の顔が覚えられない(区別できない)女性が事件に巻き込まれるという筋書きであった。
相貌失認とは初めて知った。人の2%位もそういう人がいるのだそうだ。
自分の眼ではちゃんと見ており、人の顔の各部品はちゃんと認識しているのに、全体の作りから来る表情が脳で構成できない脳疾患と言う訳らしい。
何度も会っているのにそれを識別できない・・・盲目でなくっても・・・
Kさんの以前の記事で、夜電気を消して家の中をうろつきまわる荒行の事を思いだした。

脳の変性意識にしろ、自我意識にしろ、幻覚・妄想にしろ、脳には色々が作用が有る事がわかる。全て脳のデータベース内での出来事な訳だ。
返信する
追加 (T)
2017-12-17 12:38:52
という事となれば、
あとは現実性と、実践的に実利性のある思考方式を採用すべしとなるのであろう・・・充分知性を働かせて・・・
返信する
補足 (T)
2017-12-17 11:48:48
黒丸先生曰くでは・・・
『或る身体操作(坐禅的姿勢)で「変性意識」が体験できるが、ただそういうもんですと言うだけで、それ自身にはそれ以外の特別な意味など何もない・・・』
と言い切っている訳であるが、

コントロールの放棄にしても、自我の終焉と全体性への回帰にしても、
それは、人が脳内に蓄積したデータベース内での操作(情報操作)で、
既存するデータをいじくっているだけに過ぎない。

【ただそれだけの事です】ですですです!!
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知性 (T)
2017-12-17 09:56:31
脳にはデータベースが在って、
そこから適切な情報を引っ張り出してくる。
これを知性と呼ぶ。

データベースとなる情報量は当然の事ながら、
人が経験し学んだ事の豊富さによって各個人個人で異なる。

釈迦の悟り・解脱・涅槃は、彼の脳内に蓄えられたデータベースから引っ張り出された結論(言語化)であった(人間なんだから当然だ・・・)。

現代人の黒●ッチは此れを坐禅による変性意識なのだと呼ぶ。
当然データベースの中身は人ひとりひとりで異なるから、変性意識の中身も異なる。
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コントロールの放棄がSoundbiteだったのね!! (T)
2017-12-17 08:53:56
Kさんの心をわしずかみにした言葉ってェ・・・。

何故ってKさんは常日頃
「コントロール魔だ」って言われ続けてきたから、
強烈なカウンターパンチを喰らった!!って事かァ~(妙にナットク!!)。
箒(ほおき)で心を掃き清めて
コントロールの放棄をなすって下さいね・・・
返信する
コントロール魔 (T)
2017-12-17 05:11:28
なるほ~どオ!!
Kさんの場合はTも全く同感。
相手を打ち負かして自分に従わせる「闘いには敗けま戦」闘士だったからね・・・(今はど~~お?)

まあTの場合はね~・・・
Kさん特化でそれに近いとも言えない事は無いが、

親心って言うかなんか、
比較的Tが体験して来た環境条件が似通っている訳だから、
Kさんの【その後】がどうなるか、
どうやったら良い結果がでるのか気にかかる・・・という処かな。
返信する
Unknown (T)
2017-12-17 04:56:32
どだいだよ!!
人間機械設計者のT君としたら、
機械に自己(=自我)を与えて、安全運航を企画していたのに

無我(自己の滅失)を運行基準に紛れ込ませたら
間違いなく事故ってしまう・・・
無我夢中で反対論を唱えるよね、
自我の終焉なんて飛んでもねェ~~!!
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自我の意識が消滅?? (T)
2017-12-17 04:45:02
>自我の終焉≒自我の意識が消滅

「意識が消滅した、つまり気にならなくなった」という事なら、【自我そのもの】が滅失したという事ではないから、同意できますね、今の処は・・・

dyhさんのブログ記事『自我とは何か』での、
分かったような分からんような・・・、
「問うている自己(自我)」と「問われている自己(自我)」の二者が在る論において、

Kさんのいう「自我意識の消滅」とは「問うている自我」がいなくなったと言う意味に解釈されて、
「問われている自己(自我)」はそのまま存在し続けている・・・・という事になりますね。

Tが飼ったことのある猫のエミちゃん、ブロッコブロッコ、ハロー、トックトックや、一時預かった犬のブーブー君等はそれぞれ固有の個性がありよってそれなりの自我を持っていらっしゃったが・・・、

彼等には
問う自己など無く、問われる自我なんかも無いが
自我は命と共に自然に存在してて
当然自我の終焉なども無く、自我の意識の消滅も糞も無いが・・・

彼らを見ていると、彼らは
「心に何もなく・・・だが虚しそうではなく、
心に引っかかるもの何て無さそうで
過去への未練、未来への期待なんてくっだらね~し
新たな希望とか疑いなど、もともとね~し
手にしたい貴重品もなけりゃ到達したい状態も無い
・・・
だが心は満たされているんじゃ、エヘン!!
幸せも不幸もプーカンタ!!(=無関係)
私って空気だわ!!(=屁の様だ)
ンま~、ソレにしちゃァ~、ナンジャねェ~
かなりうるさ臭い空気じゃけんど・・・

K様大歓迎、いぬねこ連盟ご入会!!
返信する
Unknown (蓮の花)
2017-12-17 00:01:17
味噌に着けて×
味噌に漬けて〇
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Unknown (蓮の花)
2017-12-17 00:00:08
IQが高い人は
鬱病にもなりやすと
大学で社会心理を教えていた先生が言ってましたね。

あの先生は授業中に
青森ニンニクの味噌漬けの話をよくしてましたね。

あの先生曰く
青森ニンニクはトップブランドで
ニンニク系では最高である。
そのニンニクを味噌に着けておいて
ごはんのおかずにすると最高であるといってましたね。
それから私も青森ニンニクを買い始めたのです。

以前、青森出身の78歳で仕事バリバリの職人さんを知ったのですが、
あのおじさんも青森ニンニク味噌つけが好きで
毎日食べていたら
78歳で仕事バリバリできると言ってましたね。

ここでは青森ニンニクを買えることはできないので
スーパーで現地栽培のニンニクを買って
料理に入れています。
(中国産のニンニクは臭いだけ臭く効果も無く、まだ苦いので産地が重要点です)
返信する
Unknown (蓮の花)
2017-12-16 23:49:32
『自我の終焉と全体性への回帰』に関しては
私の自我の定義を先に述べる必要がありますね、はい。

私が思う自我とは
(これは次回、いつかブログで扱った方がいいかもです、今これを述べると私は一段落になり、消えてしまうのでここで述べず、次回詳しく扱っていったほうがより詳細に言えると思ってきました)

自我の終焉≒自我の意識が消滅
全体性への回帰≒宇宙の一部にすぎない

まあ~あくまでも私の妄想に基づいた解釈なので
彼が本来伝えようとしたこととは
かけ離れているかもしれませんが、
それが文字を通してしか伝わらない限界かもと思ったりしますね。



返信する
Unknown (蓮の花)
2017-12-16 23:34:59
(サウンドバイトは何??)→Soundbiteですかね?

『コントロールの放棄は、我と分別を手放すに等しい』
上記のことを私のことばで言い直すことは
おそらく無理そうです。
なぜなら、彼が言いたいのは
彼自身の見方であって
言葉でそれを見せてくれているので
彼から見えた過程を私が再解釈することは
『誰かの絵を描き直す』ことになるかもと思うからです。
ですが、
彼のいう『コントロールの放棄は、我と分別を手放すに等しい』この状態は
私が知りたいと思っていた事柄だったので
それが明快になったとのことです。

知りたいと思っていたことすら知らなかったので
読んでみて初めて
ああ~~私はこれを知りたかったんだと気づいたのです。

私はコントロール魔と結構呼ばれていたので
コントロール系に結構詳しくなって
それがしっくりきたかもしれませんね。

Tも厳密に言って
私に見えない糸をつけて
私を躍らせること(ブログ踊り)もあるので
その傾向が無くは無いかもと...






返信する
Unknown (蓮の花)
2017-12-16 23:16:48
コメント書きこする前に
What I did yesterday編

最近、見つけて通い出しているアジア系のGrocery storeがありまして
毎週一回はそこへ行って
醤油とかみそとか、キムチ、餃子などを買っているのですが、
その店の入り口にひもじい感じの
手作りの店名ポスターがあって
どうもそれが引っかかって
2週間前に私が作ってあげようと決めたのです。
で、少しづつ手にかけて作っていて
昨日で全部仕上げました。

エリックの感想:Oh,nice

あれは作るのに思ったより時間を食われて
先ず、文字を印刷して
その比率に習って
→文字を拡大し、文字をデザインする
→その型でプラスチック紙に鋳型をとる
→色別に文字をデザインする
→色合わせをする
→色合わせをした文字を大きな板状の厚い画用紙に
貼りつける
→他の飾りをつける
→ボンドがぐっつくまで乾かす

まあ~上記の工程を得て
昨日やっと作り終えたので
パソコンを開く時間が無かったので
今朝、起きてみたら
Tからのコメがあったので
一度目をとおして
これから精読しますです。






返信する
Unknown (T)
2017-12-16 08:16:50
>幸せはもう魅力が無くなり・・・

とか言っちゃってるが、
もともとIQが高い人は幸せを感じる能力が低いそうだよね。
Kさんって典型例じゃない??
(=IQ高くごちゃごちゃ考えすぎ・・・)。

そこで不幸蛹(さなぎ)が
十牛図第十図で孵化して綺麗な蝶と成り
自由闊達に野原を駆け巡る・・・
蝶は幸せを感じてる(他分だけど・・・)。
返信する
訂正 (T)
2017-12-16 07:42:55
X…その後80歳まで生きたし釈迦には・・・

〇…その後80歳まで生きた釈迦には・・・
返信する
Unknown (T)
2017-12-16 07:34:26
まあTがKさんに聞いてみたいポイントは、
Kさん記事で、人間には心の自衛隊(防御機能)があって、
同時に肉体の自衛隊もあって、

それを前提にして『自我』が成立している筈とTは思うんだけど・・・
『自我の終焉と全体性への回帰』ってどゆことだろ~か???
・・・ということだよね。

35才で釈迦がそうなって、
その後80歳まで生きたし釈迦にはもはや自我がなかった・・・て信じなければいけないって事??
返信する
頭で一生懸命理屈立てても・・・ (T)
2017-12-16 06:48:27
釈迦が自我の終焉を果たして全体性へ回帰した???

Kさんもホントにそう思ってる??
リンクした『自我とは何か…自我と無我』見て呉れた??
Kさん自身のコメントは無いの??
Kさん自身の自我の定義って何??
返信する
仙人か、仙人でないか・・・ (T)
2017-12-16 06:13:11
サンマテオ生気仙人75才!!
グランビー末期仙女51才!!
インド祇園精舎仙人35才!!

mmmmm、なんかどっかおかしくない??
返信する
激流?? (T)
2017-12-16 06:02:48
武田鉄矢氏が一時(多分50代)、油絵を習った事のある、龍を描く女の子「小松美羽さん」(当時20歳位)が言った言葉に、彼は圧倒されたとかであったが・・・

彼女曰く『どんな絵を描きたいかは、描いてみなけりゃ分からない…』(=自分自身で描いてみて初めて、そうだこれが自分の描きたいものだったのだ、とわかる)。

人生も同じ事で(まあ何でも同じ事で)・・・
激流は自分で体験してみて初めて本質が理解出来、必然的に次の境地へと導かれる。

次の境地に達した後は、
過去の激流を振り返るのは意味が無い。
そのご達した而今を生きるに過ぎない。
>だが心は満たされている・・・Kさんの言う通り
返信する
彼のものの見方は私には明快?? (T)
2017-12-16 04:24:11
なるほどねェ~!!
明快になったのですね・・・・
ではKさんの言葉自身で語り直してみてください。

Kさんにとって、何がどの様に明快になったか?
で『その後』をどう生きて行こうとしているのか?
mmmmm、知りたいですね、Tとしては・・・・

注;一瞬はそう思ったけれど、じきに色あせてしまって、結局陳腐な言葉となってしまう、非現実的で・・・という現象も在る訳だし、

そうでない、一生の灯(あか)りとして、
心に灯(とも)り続けていく灯(ともしび)の言葉も在るし・・・

その意味では自分の言葉でしっかり言い直して見るのも良いのかと。。。。
(サウンドバイトは何??)
返信する
Unknown (蓮の花)
2017-12-15 19:05:57
以前に他のブログから刺激されることはもう無くなったと書きましたが、
ちっと保留しますね。

Mumei-jukuさんの記事引用
『釈迦は苦行の果て、自己支配の手段を自ら手放した。

依存症離脱の一歩も、自己に対する支配を断念する。

依存対象との終わりなき戦いに、自ら白旗を掲げる。

自己支配への断念が、起死回生の初関に他ならない。

初関のステップの無力は、サレンダーと同義である。

対象のコントロールは、我の力への依存を離れない。

コントロールには、是非の分別と標準の選択を伴う。

自ら据える標準が我と呼ぶ中心となり、事実を覆う。

我と分別とコントロールは、切り離す事ができない。

コントロールの放棄は、我と分別を手放すに等しい。

コントロールの放棄は、我の縮小過程の道中となる。

自我はコントロールに依って、自らを強化してゆく。

他者の支配にも増して、自己支配は満足感を与える。

故に、自我は自らをコントロールする事に嗜癖する。

自我は自らの強化に従い、心の全体性から乖離する。

此の全体性からの分離感が、魂の飢えに他ならない。

依存する物事では、満たされ得ない心の隙間となる。

分別の目覚めと同時に、自我はエデンの園を離れる。

エデンの園とは、自我が追われた心の全体性である。

我の縮小過程は、心の全体性への回帰の道程となる。

霊的目覚めは、自我の終焉と全体性への回帰なのだ。

「至道無難唯嫌揀択、但莫憎愛洞然明白」..信心銘』

彼はブログ内では全く人と関りを持たないようですが、
Twitterでは私のコメントに対し
反応を示してくれます。
彼のものの見方は私には明快で新鮮です。
返信する
Unknown (蓮の花)
2017-12-15 18:48:14
『即ち、心の急流(心の激流)を乗り切るために必要な自灯明・法灯明という、心すべき訓戒であるのだろう』
心の急流、或いは激流...
このことばだっと思いました。
私の2期の人生
初期:韓国
2期:日本
末期:Granby

Tの4期
初期:工学を実践した行動者(Doer)
中期:医学を目指す開拓者
Golden期:歯科医として自らの使命を果たす
再高貴(期):生きた道を静かに眺める仙人(サンマテオ人)

Tの心に流れた激流はどの勢いだったでしょうか??
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Unknown (蓮の花)
2017-12-15 04:02:10
ちょうど今、以下のサイトを発見して観ているところです。

https://www.youtube.com/watch?v=We2pP1yu960

英語解説のほうが分かりやすい時ありますよね。

上記のリンク先を確認してからコメ下しに入ります。
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「その後」論 (T)
2017-12-15 03:37:32
最近は今朝の目覚めΔ(θ)パワーはあまり見なくなり、代わりに(睡眠中)見る夢に取って代わられた様だ。
Kさんの『心に引っかかるものが無くなった』事に依るTのΔパワー力(りょく)の減退とも解される様だ。

でもまあ、Kさんの今後は??という命題は残っていた。

花咲アサヒさんのプロフでは
10心柱が在って・・・
「感謝・反省・謙虚・奉仕・素直・勇気・結び・歓び」であと2つの心柱は?と表記されているが、

Kさんの心の音から考えると、あと二つの心柱は、
『純潔』と『心の充実』という事ではあるまいかと思えてきた。

「純潔」とはKさんの若い頃の心の柱(心の支え)であった。
「心の充実」とは、コップの水が満たされた状態・心が正のエネルギーで満たされている状態を指している。もはや負の感情は其処には存在しない。

これは同じくKさんがとても大切だと思うと言っていた仏教の八正道『正見・正思惟・正語・正業・正命・正精進・正念・正定』にも通じる訳だが・・・

『心に何もない・心に引っかかるものが無くなった
、しかし心は虚ではなく、心は満たされている』
・・・という心象風景は、
坐禅時にもたらされるもの(心の原風景・ゼロポイント)ではあるが、

その瞬間には「10の心柱」乃至「八正道」をも超越してる(おのずから無意識の内に内包している)。

日々の生活に於いての(=坐禅時で無い時の)「10の心柱(八正道)」は、その都度その都度の、
彼岸に渡るまでの、川を渡るに必要な筏(いかだ、舟)の役割を果たす。
即ち、心の急流(心の激流)を乗り切るために必要な自灯明・法灯明という、心すべき訓戒であるのだろう。

・・・そしてそれは人生経験として必要である訳だが・・・

今は心には何もない・心に引っかかるものは何もない・・・という彼岸に渡り終えた坐禅の境地を、日々の坐禅で繰り返し獲得し補強して行けば・・・

最終的には、もはやそれ(筏・自灯明法灯明)さえも必要ない(=ブッダの理法乃至十牛図第9図)という事となり・・・、

十牛図第十図に達する。
心に自由を得た我が身は
日々の実存を無心に愉しむ・・・
歓びに満ちて、笑顔に包まれて、そして活き活きと、清くすがすがしく・・・
(注;そうなっちゃったら、もはやいいひといいさんから、ヤクジャ様と呼ばれる事も無くなって来るなァ~・・・だって一切、争う事がないんだからなァ~~・・・)。

参考ブログ
「仏陀の理法」
https://blogs.yahoo.co.jp/dyhkr486/folder/1754882.html

「自我とは何か?…自我と無我」
https://blogs.yahoo.co.jp/dyhkr486/40965185.html#71268323


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Unknown (蓮の花)
2017-12-14 01:24:30
逸れコメその他
(無反射光×無反射効)
昨日はグーブログ全体(7下駄)から4下駄まで上がるアクセスがありました。
なんで??と思いましたね。
そんなアクセスがあると、
ひょっとしたらコメントまで読む人もいるでしょうね。
私の恥さらしコメ舞を見られると思うと
ーー私のコメントを削除しようかなーーーと思ったりしましたが、
そうなると、Tの言い分が因果関係を持たなくなりますよね。
反射光が無いようであるようなので
間接的な反射でも『よろしい』との印証が要るのかなと...

ところで
霊のところでは、私の義理チョコを買われる方がいて(のり為)
他所のところで米を炊いて共喰いしている感じですが、触発されて昔の想い出が蘇りましたね。
返信する
Unknown (蓮の花)
2017-12-13 14:43:30
ああ~~そうでした。
確かにそのように書いてましたが、なぜかその記憶は
印象に残っていないから、他のことに気が向いたまま
指任せで言ったと思われます。
間違ってしまって(ズレて)ちっと申し訳ない気持ちです。
書くことに手任せな傾向があるので
反省します。
今思うとあの時は
翻訳の仕事が切実な課題でしたね。
今はその切羽詰まった感じが薄くなったかんじです。
気持ちは環境によって常に変化しますね。
返信する
魂の抜け殻論発端のT的見方 (T)
2017-12-13 14:15:12
直接的にはKさん言で、
黒●ッチの本の翻訳をする話から始まっていて、更には道元禅米国支店開設を目標とするという宣言につながって・・・、
自分(Kさん)は大きな目標を立てないと【魂の抜け殻】になっちゃう・・・と表現したからですね。

つまりKさんが言うには、
自分は人生を無為に過ごすのは耐えられないし、
無為に過ごしている人たちを軽蔑するというニュアンスに拡がって行った、とTには思えたわけですね。

Kさん自身の上昇思考、闘いを挑んで決して負けないみたいな・・・
十牛図でいうと、第1図から第4図位までの、
ひっちゃきになって確たる高揚心をみなぎらせて、
人生の戦士とし勝ち抜いて行こうとする、
強い意志のK人生は十分理解出来る訳だけど・・・、
それが人生(=生きるという事)の全てじゃないだろ~というT的反論が、
「魂の抜け殻」論を引きずって来た源ですね。

十牛図に於いて、人生には第八図から第十図迄あって・・・
それには人生観のパラダイムシフトが必要だけど、

グランビーでの環境の劇的変化は
此のパラダイムシフトを可能にしている。
実際、過剰な気負いが無くなった、この2回程のKさん記事にはその兆候が見えてきた・・・

これがTの解釈ですね・・・まあそんな処でしょうか。。。

返信する
Unknown (蓮の花)
2017-12-13 08:00:26
魂の抜け殻を持ちいったきっかけは
確か認知症の恐れについてコメントを交わした際に
私も年を取れば
普通のばあちゃんになって
魂の抜け殻になっていけるだろうと
先見の明(?)を持って書いたことだと思いますが、
どうやらTはまるで今の50代の私が魂が抜けたように
認知してきたようですね。
恐らく、教育分析を受けたいとのコメントになった時、
それについてTが脳科学関係者のブログか何かを
添付してきて
私の大学での教授の教育分析経験を私が書いた時だと思います。
去年の冬当たりのコメントだと思いますが、
私は元々、テスト以外なら
人の誤解や認識ズレも大いに結構だと思うので
Tが私の意図とズレていても
そのズレから新たな方向が開拓されるので
訂正とかしないです。

ズレを楽しむタイプですけど、
どうやら機械論工学者は論理が整合しないと
消化不良のままのようですね。
まあ~消化不良しているのは私でないから
あくまでのTの処理分ですけどね。
返信する
Unknown (蓮の花)
2017-12-13 07:48:34
『コップの水が満たされる』現象は
元々言おうとした概念をのしてんてんさんが
当時話していた話の流れに合わせて
イメージを再解釈したことばです。

その時は彼の絵の基本概念について
私が考えている坐禅の思想に
共通項などを話していましたが、
どうも彼が自分自身のイメージに囚われていたように感じたので
コップを持ってきて
溢れた水と満たされていない空間との関係性を説明したのです。
ですが、話していた瞬間も私のイメージより
彼のイメージの方がサイズでっかかったので
ズレていてもそのまま私は受け入れたのです。

なので、悟りとコップの水の比喩は
時と場合によって解釈が違ってくる性質なので
私の坐禅への見方とは直接な関連は持っていないです。

心理学との結びつきは
あくまでも専門性より、普遍性を取り扱いたいので
心理の知識がああだこうだを延々と述べたくはないですね。

とにかく10年以内にはまとめる力を備えられると思いますが、今は雑観を一つずつ解決していこうかなと思っています。

Tからの指摘があると
曖昧な状態に放置しておいた事柄を取り出し
ひとつずつ片付けていけるので
結構感謝感謝の二乗です。
返信する
Unknown (蓮の花)
2017-12-13 07:33:56
でも、考えると間違ったまま他のブログでコメント残してしまったことを今になって気づいたのですが、
2012年の記事に自分のコメントを訂正するのも
やりすぎかなと思われるので
間違ったままにしておこうと思います。

その2012年の記事は
たかはしさんがリンク先を貼ってくれたと思います。
返信する
Unknown (蓮の花)
2017-12-13 07:31:20
2014年は塾の真っ最中だったので、
恐らく、かきこしていた時に
記事が書かれたのは2004年頃だと錯覚していたかと思われます。
私は平成と西暦感覚がごちゃごちゃになっていて
塾の経験も何年度に何があったのかの数字関係の記憶は曖昧ですが、
生徒の受験状態とか、学習状況とか
勉強傾向などは覚えています。

いつからか年度と経験の結びつきが切れてしまって
記憶回路と外れてしまったのです。
敢えて指摘されると問題意識が芽生えますね。

理数関係のテーマは計算や過程式でなく
概念と坐禅との関連性なので
私の数学無能とは関係が薄いです。
返信する
パラダイムシフト!! (T)
2017-12-13 06:16:46
戦場的競争社会では
勝ちたい勝ちたい感に煽情されて
心は何時も不平不満
決して満たされる事なく
自分へも他人へも憤怒憤怒をぶつけまくる
無意識に分析して
説教エネルギーを燃え上がらせる。

しかしグランビー環境で
パラダイムシフトが起こった。
心に引っかかるものが無くなった・・・
だが心は満たされている。
心が自由になって
自分が大自然・宇宙の中に存在している
いまこの而今を
ただ単純に
そして純粋に
楽しめるようになった。
生きている事自身を
無条件に
感謝出来るようになったのだ・・・
(十牛図、第十図境地!!)。
返信する
でもまあ・・・ (T)
2017-12-13 05:35:20
今迄の都会の喧騒環境(競争の戦場原理)から
グランビーの寂静環境(涅槃原理)へとの、

Kさんを取り巻く環境が変わった事に依る
思考のパラダイムシフトが起きている、
・・・ということなのかもね・・・

必然的だし、いいことだと思うよね!!
返信する
補足 (T)
2017-12-13 05:18:22
まあ、キーワードは
『自由』とか『自若泰然』とか『天上天下唯我独尊』とかかなァ~??

『コップの水を満たす』とは
K朕が野視店に放った、彼を躾けた言葉だ・・・

じゃあ・・・
自分自身は一体ど~したいんだ??
楽しまなければいい人生は送れない・・・
楽しまなければ人生は満たされない・・・
Nothingness &Emptinessで
コップの水が満たされるのか??
返信する
論理の整合性 (T)
2017-12-13 05:05:29
>【心には何もない
だが虚しくはない・・・・】
って言うのなら・・・

心には何もないって事は、
自分の存在に、
大義名分は必要無くって・・・

しかも『魂の抜け殻』ではない!!
・・・って事だよね??

『コップの水が満たされる』・・・とどう繋がっているの??
返信する
客観的見解 (T)
2017-12-13 04:33:16
黒●ッチの『坐禅・私流』や太田正登ちゃんの『坐禅標準帰処論』・・・・

mmmmm、坐禅ってまさに一種の武道だよね。
まあ修行道だと言う訳だからソ~かもね!!
合気道とか、宮本武蔵とか・・・
Kさん流で言うとバレエ道の極意とかフォーカシング心理学道とか・・・
T流で言うと人間機械論設計原理である機構学道かな??・・・

とにかく人間機械をああやってこうやって操作すれば・・・斯く斯くしかじかの結果(効果)が出る!!

黒●ッチ曰く『だだそれだけです・・・ただそうなるだけ、それ自体に意味はない!!(ジャン…)』

mmm、心理学的坐禅研究者Kタンとしては、
心理学的意味付けが必要だよね・・・
【ただそれだけ!!】じゃあ、まったく話が締らない(=間の抜けた話!!)になっちゃうとTは思うよね・・・
返信する
Detective刑事コロンボ (T)
2017-12-13 04:06:38
Kさんが心理学専攻人で心理学と坐禅を結び付けたいと願っている研究人だからこそ、敢えて書きコしてみる。
(そうでなければ無視して通りすぎてる処かな??
些細で無意味なコインの裏表に過ぎぬから、うふふ!!・・・
でも、まさか坐禅しすぎて脳が劣化したなんてことないよね、ひひひ!!・・・とかと挑発してみる。。。)
ーーーーーーー

脳には編集機能が在るが、その意味は、
脳は・・・、
自分に都合がよいように記憶(=情報)を書き換えて行く、
という事を意味しているようだ(認知症と繋がっているかもしれない・・・坐禅はど~かな??)。

で、その一例として・・・
(都合がよいと言うべきか??、へんちくりんと言うべきか??・・・)、

Kさん自身が前記事コメでリンクした
黒●ッチの記事、【2012】年10月出稿『坐禅・私流』の対しての、

Kコメ(【2017】年7、8月書き込み)で、

Kさん曰く・・・
(今から5年前となる)2012年は(大学院進学を考えていた下地として)Kさんは研究生を遣っていて、その当時は坐禅のザの字も知らなかったと書いている。

しかしKさんの此のブログのプロフでは・・・、
問題意識に押しつぶされそうになったが(=極度のストレスが在って)、そのストレスと立ち向かう為に坐禅を始めた。それ以来もう8~9年遣っている(2017年時点では9~10年坐禅している事に成る)。

mmmmm、論理的に過去を辿る事が苦手??
K脳の嗜好的傾向(=即興的思い付き言葉をペロッと言っちゃうのが快感だ!!とか・・・)??

ごめんね!!・・・でも心理学上の命題が存在するから敢えて書きました・・・Tの客観的見解です。
返信する
Unknown (Eric)
2017-12-12 13:34:42
Much of religiosity and certain philosophies, ancient and modern, are soaked in mysticism.
Keiren explores pathways firmly on the ground. It may not be immediately obvious, because some of the concepts are not common in so called western thought, but her way is free from mysticism when exploring the mind. It is an empirical quest.
返信する
Unknown (蓮の花)
2017-12-12 13:30:30
今回はーー心を眺めながらーーー静かな気持ちで書けました。
書きたいことが書けた感じです。
十九牛図との相関関係までは考えが及ばなかったのでしたが、
下書きしておいた理数関係のテーマに私自身がもう飽きてしまい、
かと言って過去の経歴を自慢げにいうのも
もう飽きてしまったので、
なら今のままを書こうとなったのです。

FBにブログ自体のリンクも外して
内容だけコピペして投稿しました。
なので、FBからのアクセスはゼロの状態です。
こうすると、アクセスを気にしないといいつつも
気になってしまう相反する気持ちも何とか扱えますね。

Tの素晴らしいとの誉め言葉は結構嬉しいです。
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おおお『無思考の作業』十牛図第八図 (T)
2017-12-12 08:42:27
第八図(人牛倶忘)・・・ありもしない自分を探す迷いが消え、悟りを求める事も無くなった。
全ては空(くう)で在る事を知る!!

第九図(返本還源)・・・(ここまで達する為には)結局外に出て見て、人生を歩んで見る事が必要だったのだ。
そして今、水の清さを知り、花の紅なる事を知ったのだ。

第十図(入テン垂手)・・・(もはや)高貴な姿をする必要はない。自然なままで町へと向かう。
土にまみれ、埃に(ほこり)にまみれ、汗にまみれ、日々働きながら、生きる人の世に入り、いつも笑顔でいる。
神や仙人の神通力など要る筈もない。
人と接する事で、枯れ木であっても花が咲く。

Kちゃんリアルライフのあと35年間、枯れ木に花を咲かせましょう!!

・・・花咲か爺さんより(賛同者、花咲あさひ様)

(追)今回記事も素晴らしかったよね・・・Intangible Workerちゃん!!
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