Zen禅

心理学に基づく坐禅の研究-心の風景を眺め、流れていく気持ちの音を静かに聴く(英訳)

死が残すことWhat death bereaved

2020-04-21 | 住まい関連

人類が解き明かしていない真理の一つに死がある。

Death is one of kind humanity that has not verified yet.

死はある生命が生き始めて、

その生命が生きた以前の『無かった』状態に戻ることかもしれない。

To say what death is,

it may be like life gets turning back

to the previous form of “the life was not born”.

 

最近、コロナウィルスによって死について考えることが多くなった。

Recently, the coronavirus has let me think often about death.

以前では、交通事故に遭うか、

不治の病気にかかるか、

寿命を果たしたかの大まかな3つの要因で

死ぬだろうと漠然として思っていた。

I used to think for some reason or other

that I would die in three rough ways:

by a car accident, get an incurable illness,

or by running out of my life span.

 

たが、今はコロナウィルスによって死ぬかもしれないという恐怖が

日常生活の中まで入ってきて、現在進行で進んでいる。

However, the lethal fear of COVID-19 has come into my daily routine

and it is currently threatening us.

これほど死の恐怖が日常の生活の中まで直接入ってきたことが無かったので、

改めて死について考えてみることで心境を整えたくなった。

Such fear of death never has been invaded into my daily life,

so I decided to clear up my mind to think of death afresh.

 

たが、宗教で扱う死への捉え方はそれぞれ異なるのもあることから、

ここでは私の個人的な見方と宗教の死は関連させないことにする。

However, the concept of death is different in religions,

so I will not allow the linking

between my personal perspective and religious view.

あくまでも私個人の死への偏見、

勝手な死のイメージだけにしておきたい。

Persistently, I want to keep my opinion as prejudice to define a death

and only will describe my personal image of it.

 

先ず、人類の歴史上、死んだ後のことを証明した者はいない。

First of all, in the history of mankind,

no one has proved how the afterlife like.

 

死後、死んだ人はどこに行くのかについて、

今までに挙がった証拠も完璧にゼロである。

The evidence is completely zero so far

as to show where the deceased go after death.

 

臨界死体験をした人がよくいう霊が身体から離れて、

自分や他人を見下ろしたとの事例は

その確率からみて宝くじに当たるより遥かに低いので当てにできない。

People who experienced critically die,

they commonly say their spirit could look down themselves and others

by leaving the body,

but those case’s probability is far lower than winning the lottery,

so it cannot be relied on.

 

また、死んだ人はどうなるかについても情報はゼロで、

あるとしても生きている人に完璧に知られていない。

Also, there is zero information to know what will happen when people die,

and it is completely unknown to living people.

 

死について知ろうとしても、

死んだ結果だけ残って、それでお終いなのである。

Even if someone tries to know about death,

only left for us are the result of being dead and period.

 

仮に、今に死を迎えている人がいるとして、

“私は今死ぬ“と分かったとしても、

それは死への入り口が見えたような感じで、

死の全貌が分かったわけではないだろう。

Supposing that there is someone who is dying right now

and knowing like “I’m dying now”,

even though the dying person can see only the gateway to death,

and it is not the whole picture of death.

 

もし、私が死んだと仮定した場合、

死んだ私にとって私はその死と全く関係しなくなる。

Assuming that I died, the connection between my dead and myself

will be lost completely.

私が死んだ場合、死の受け身の形は夫へ転嫁していき、

彼が私の死を全面的に受け入れなくてはならず、

間接的に死を体験できるようになるだろう。

In case if I die, the passive form of death will be shifted to my husband

who must except my death fully

and he would be going to experience it indirectly.

 

彼にとっても私を忘れる・忘れないことに関係なく、

私が生きていた事実は、記憶によって歪められていくだろうし、

生前の写真もやがては色褪せていく。

As for him also, whether he forgets me or not

the fact that I was once lived

it would be distorted by memory,

and the photos which taken me alive will eventually fade out.

 

死んだ人にとっては、

生きている人が死んでいる人をいかに覚えているとか、

どれほど慕っているとか、両者間の関係性も無くなる。

For a dead, how much the alive person remembers the deceased one

or how deeply cherished the dead person,

the relation in both it goes to none.

 

死んだ人への気持ちは生きた人が背負う感情なので、

その想いは一方通行になる。

The emotion toward to deceased,

a living person undertakes it so the longing becomes one-way.

 

 

私の父は20年前に亡くなったが、

わけがあって絶対に思い出したくない。

My dad died 20 years ago but for some reason,

I never want to remind him.

だが、30年も前に亡くなった祖母は今でも会いたいし、

思い出すだけで涙が出る。

But my grandmother who died thirty years ago,

still, I want to see her and tears running down just remind her.

 

私が欲しいものを何でも買えるようになった時、

買ってあげる祖母がもういないと知って

2日間泣いたことがあった。

When I became able to buy whatever I want,

I cried for two days aware that my grandmother is gone

who I want to give anything.

私が間違ったことをした時、

厳しく叱る祖母がもういないと知って、

喪失感で胸が潰れた。

Knowing that my grandmother is already gone

who always scolding me strictly when I did wrong,

and my heart crushed by the loss.

 

 

20年か前に、亡き祖母を夢の中でみたことがあった。

About 20 years ago, I saw my grandmother in my dream.

夢の中で祖母に会えて、

私はしっかりしていないことを叱られるのでないかとびびりながらも、

会って嬉しいとはっきり感じた。

In the dream, I felt happy strongly

while I frightened her because

she would scold me due to not being strong-mindedly.

 

夢の中で祖母は川を挟んで向こう側に立っていた。

She was standing across the river in the dream.

 

祖母は常に起こりぽい人で、

見るだけでも厳格な感じの人だったのに、

どうしたわけかその夢では優しい感じで微笑んでいたから

普段の祖母とは違う感じがした。

I felt unusual from her

seeing that she was gently smiling to me

because she looks strict and had a temper to angry easily.

 

私が祖母に“どこにいくのか“

“私もついていくからそこで少し待ってください”と言ったら、

祖母が“あなたはまだここに来てはいけない、

ここに来るな、そこにいて”ときっぱりと言った。

I asked her “Where would you like to go?”

“I’ll be with you so please wait there”

but she said decisively,

“You shouldn’t come here yet, don’t come here, stay there”

 

それでも私は川を渡ろうしたが、

祖母はひょいひょいと飛んだように消えてなくなってしまった。

Even she told me like that, I tried to cross the river,

but she has flown away like bobbling.

 

私は自分の泣き声で眼が醒めて、夢であったと知った。

I woke up with my crying voice and knew it was a dream.

 

人が死んだら残るものはその人との思い出だけかもしれない。

When one died the only left thing would be a memory with the person.

骨も灰になりやがては消える。

Bones also turn into ash and it eventually fades away.

 

後は法律上の書類、

生前に使っていた遺物、

残してくれた遺産など、

処理の手続きが必要な事柄が残るだけだ。

After someone died remained things are legal documents,

relics of the past which the one used, some properties, etc.

But those remained matters need a procedure to be dealt with.

 

上記外に死が残すものは、

死後の世界と現世は断絶している事実である。

Other than above, what death bereaved is the fact that

discontinuity of this current world and the afterworld.

 

死の恐怖も生きている人が担っていく現象で、

死んだ人には死の恐怖からも断絶されている。

The fear of death is a phenomenon

that is carried by living people but for the deceased,

the fear of death is completely discontinued.

 

これらの断絶された事実から分かることは、

死ぬ前に死の恐怖に怯えようが怯えないようが、

死と死んだ当の本人との間は確実に断絶されていることだ。

What we know from the fact of discontinuity is

whether we scared by the fear of death or not being scared,

surely there is a certain discontinuity

between death and the deceased one.

 

死について感情移入しなくなると、

死は死んだ者のものでなく、

生きている人が抱えていることである事実が明確に表れる。

When we stop putting empathy into death,

the fact comes up to surface clearly that

the death does not belong to the deceased

but living people hold onto it.

 

なので、自分が生きているうちに他人のために、

法律のことを解決しておき、

遺物の処理問題を片付けておくことが

死の恐怖に対処していく積極的な態度になるかもしれない。

Therefore, it may be a proactive attitude

to deal with the fear of death by resolving legal documents,

cleaning up the future relics for people

who suppose to stay alive while being alive.

 

 

 

 


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42 Comments

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (シタテルヒコ)
2020-04-21 09:31:29
臨死体験の報告は、生きている人、生き返った人? が言っていることなので、何も確証がありませんね。
"死"ほど一人一人が向き合うべき問題は無いと思います。
返信する
先回のブロブに (榮久)
2020-04-21 13:27:50
今朝ほど51番目にコメントを
それに少しだけ加筆し再投稿

米国でのCOVID-19死者数は
オバマ政権での医療政策を否定した結果で
当初から心配されていたことです。

格差社会、富む者が優先とも思える今
日本も同じような日が
政治、国家という幻想に惑わされ
その言に右往左往する姿

memento mori

COVIDー19騒ぎで再認識できました

仏教を学ぶ = 無常観を学ぶ
生・老・病・死は一つ
生死一如であり

良寛にきた
お見舞いの手紙の返信に
「しかし、災難に逢時節には、
災難に逢がよく候。
死ぬ時節には、死ぬがよく候。
是ハこれ災難をのがる妙法にて候」と

善くこの人生を生き
そして死ねばいいのです

でも夢の中では
懐かしい人が良く蘇り
覚めて涙することもあります
夢化現化とも言いますしね

死については「無記」
考えても解らないことを考えない
「無記」と先達が記したのも解る
ように思います
返信する
Applebaum (Eric)
2020-04-21 13:29:04
Okay, Keiren Applebaum, so I have a few opinions on this subject, which you know.
And, after considering the content of your post, we're not leaving the house for a year.
But seriously, this post addresses beautifully the mystery of consciousness / existence, and the condition before and after: which I like to call: Potential Existence.
In the evolution of universes, what sequences occur that lead to our lives? What events bring us in and out of Time?
Even if never known, I cling to a belief: It is knowable
返信する
Unknown (ZIP)
2020-04-21 22:12:08
Stay hungry
Stay foolish
返信する
Unknown (榮久さんへ)
2020-04-22 05:22:47
『無記』しっくりきますね。
他の例で引用されたら流れてしまったかもしれませんが、
この時期に限って
この無記という用語が馴染みますね。

どういうわけか、今回のアップで
Facebookの仏教関係の人たちから
多くのアクセスがありました。
仏教関係の人は
FacebookにしろTwitterにしろ、人にLikeいいねをあげることはしないです。
(人にサービスしない、ただもらうだけ)
ただ、Likeやいいねをもらう目的で発信しているらしいですが、
そっち関係の人は『死』に感心が高いでしょうね。

今回の記事で仏教関係者の傾向がよりはっきりしてきたことは皮肉かも。

なにせ、榮久さんの言ったとおり
考えても分からないことは
そのまま飲み込むしかないですね。
返信する
Unknown (ZIPさんへ)
2020-04-22 05:29:45
FoolishとStupidityは類義語ですが、
中身が違いますよね。
トランプをFoolと言わず、Stupitと言ったら
彼のLunatic、Insanity を表すのに物足りないし…

知識に対して
Be foolish, Be hungryと言うなら
まあ、一理はありますね。

返信する
Unknown (シタテルヒコさんへ)
2020-04-22 05:33:07
そうですね、人類に平等に与えられた一回きりのイベントですからね。

コメントありがたく受け取りました。
返信する
Unknown (筆者)
2020-04-22 06:19:59
United States4月21日現在
Coronavirus Cases:813,758
Deaths:45,024
Recovered:82,620
Connecticut:1,423(死者)

明日は出かける用事があるので、
買い物もついでにできそうです。

昔のスペイン風邪での死者よりはまだマシな数値ですが、
コロナの伝染率は恐ろしいですよね。
しかも潜伏期間が2週間もあって、
死ぬ時は瞬時に死んでしまうようです。
本人も分からないまま死んでしまうケースが多いようですね。
自分が運び屋だと知らないケースが多いようで、
それが怖いですよね。

何となく、ここまでコメント欄まできた人向けに
書いておきたくなりました。
暗い内容ですみません。



返信する
fail-safe (榮久)
2020-04-23 11:20:47
COVID-19の対応で考えてみたこと

地球レベルの問題について、
国家の枠を超えた最適解を見つけることが
出来るだろうか

先の福島原発事故の放射能汚染、汚染水処理
避難住民への対応等未だに出来ていません
今回のアベノマスクと揶揄される程度の対応に
四百数十億もの税金を無駄にしても
何も反省しない安倍晋三氏

現政権が典型的な例で
国家が国民全体の幸福ではなく
権力側に立つ人びと
(加計学園、黒川検事定年延期、桜を見る会 etc..)
等々への便宜を図り、
それ以外を斬り捨てるケースが目に余りる

それを私を含め
私たちが現政権を許しているのであり
やはり否定しなければ
「無能」としか思えない政策に
加担する仲間にされてしまう

プログラミングしながら思うが
エンジニアはプログラム(命令文)を書いて、
コンピューターを制御する立場にある
自分の命令で動かして
ここでは主従関係機械を制御しているのは私で
世界を制することが可能であるかのような
全能感に近い誤解を生じているのかも知れない

私たちは自分で何をコントロールできて、
何がコントロールできないかを適切に
見極める能力がすり減ったのだろうか

AIの発達が明るい未来を!?
AIと言ってもナカミは機械を
動かすためのアルゴリズム
アルゴリズムとは、
問題解決の手順というぐらいの意味でしかない
まずこうして、次にこうして、最後にこうする
と料理のレシピのように設計する

fail-safeが必要です。
AI ≒ アルゴリズム
AIを私たちがどう設計し
どう使うのかが重要だなと 曇り空の下で
返信する
Unknown (榮久さんへ)
2020-04-23 13:45:19
全く同感です。

問題なのは政治面で言えば、
そのプログラマーが誤った(偏った)命令を打ち込んでいるとのことでしょうか。
だが、実行する非支配側は
実行しなくていいのに、
(AIでない)
心なくして従ってしまうのでしょうね。

米国はそのプログラマーが最も邪悪な方法で
人を動かそうとしています。
最近、トランプのプレス会見を観ながら
トランプより悪いのは
彼を選んだ支持者なのかなと思ったりしています。

ここは人としての倫理観が不安定な感じがあります。
だからか、トランプの邪悪さを見抜けず、
彼の言いなりになって投票したのかもしれません。

日本の安倍政権は国民やメディアが持つ
圧力よりは弱い感じがするので、
ここのトランプ政権よりはマシな感じがします。

これら指導者の資格、資質の欠落が齎した問題は
人が投票券を誤ったか、高齢者だけが福祉を訴えた候補者に票を投げたからかもしれないです。

今日は外に雪吹雪が少し吹きましたが、
すぐ止みましたね。
返信する

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