魂はどこから生まれるのだろう
Where does soul to be born?
もしかしてPerhaps
生と死の境界点、その挟間に
The border point of life and death, at the between
点として既に存在していただろうか
Soul could be existed already there as a point
生を受け身で生きていると
While live a life as a passive form
その点は線の部分になって
Those points become a part of a line
線を引く動線を表すだけのように見えるが
It looks like a flow line which represented by drawing lines
その線に限界まで近づき
-when get closer to the line until the limit
拡大していくと
-and as getting magnified it
線は点と点が連続している動線にすぎないと分かる
Can find that those lines are merely a flow line
-which consisted with continuous points
その点に気づく瞬間に
At that moment when realized those points
魂が生まれ始めるかも知れない
-the soul might be ready to be born
生きるか死ぬかの境界線に生きる者は
The one who lives on a border line live or die
生まれる魂を宿った妊婦だろうか
-would be a pregnant who dwells a soul to be born
死のうとした者は
The one who tried to die
魂が処女や童貞のように
純潔なままの状態を保ちたかっただろう
-would have wanted to stay in virginities of soul
-like a virgin has it
死のうとした者が
The one who tried to die
生きようと決めた瞬間
-when the one decided to live
死のうとしたことを死として看做し
-the one regarded that tried-die was a death
生を生き始める
-and begins to live
その生を全うしようと決め
Deciding to fulfil one’s given life
生を実行すると
As executing living the life
魂を生めるようになるだろう
Would be able to give a birth of the soul
魂が生まれる瞬間は
The moment when a soul be born
苦痛を伴い
It brings with pains
自我が生きるか
魂が生きるかの臨界期を迎える
It faces a critical period that
-whether ego-survive or soul-survive
やがて生まれた魂は
Before long, the new born soul
全ての殻を破り
-breaking all shells
360°の光を発光し始める
It begins to be emitting its light with 360 angles
その360°の光が
The light which has 360 angles
魂が生きる住所であり
It is the address where a soul lives
生まれた本籍地になっていく
It becomes a permanent domicile where it was born
魂が生まれると
As a soul be born
魂からの声を発するようになり
the soul begins to emanate a voice from its own
その声に耳を傾けると
When listens with ears on the voices
特定の自我を超えるようになる
It can make cross over a specific ego
魂が個人の自我の限界を超えるようになれば
If an ego can go beyond its individual limitation
魂同士の交信ができるようになるだろう
It can lead to be able to telecommunicate with souls
トークルームに報告その1を送ってあります。
その2や3は帰国してからにしますね。
今今週の記事書いている最中なので
投稿してからコメ(Not rice)読みますね。
ざっと読んだだけですが、それでも結構笑えました。
さすが、機知に富んだ米米CLUB名誉会長です。
恐れ見させていただきます。。。
注;マッ事、待つ事、興味深々!!!
魂の住所=日本国青森県むつ市イタコ村、郵便番号035-0021
まだ、コメは読んでいないので
今夜ゆっくりよみますね。
恐山報告はまた、まともな時間が持てたら
します。
とりあえず、無事着との報告まで!
ヤドカリサンちゃんとザリガニサンタロ君の二人三脚で
中島みゆきちゃん歌う処の『過ぎゆく夏』をお送りします。
ーーーーーー
過ぎ行く夏のたわむれに
Kをいびって仕舞おうか
人はみんな忘れん坊だから
君もわすれろ今日の事
ああKのみぞ知る、K鬼たる由縁
過ぎ行く夏のはかなさに
鬼夜叉Kをよく見れば
まあ一応いい奴じゃったと
今だけは言ってもいいじゃない
ああKを知る、他者のつぶやき
ここから何が生れるか
みんな幻かも知れないし
いいじゃないか、真夏の世の夢
いいじゃないか、まだ夏なんだから
ああKのみぞ知る心のおくそこ
今週はここまで・・・またお立ち寄り下さい。
『でも、思いますね・・・』。
Kさんは『この事業を立ち上げる事を喜びにしているんだと!!』
『自分のすべき事を見つけた人の喜びは分かります。~~、~~。
人生は短く、時間はどんどんどんどん過ぎ去っていくので、
いのちあるうちにやるべきこと、やりたいことを
やらなければなりません、~~、~~、
自分も周りの人も笑顔になる、喜びになる、のだから・・・
生まれて来てよかった、生きていてよかったと思える事なのだから・・・』
まあ可哀そうではあるが・・・、
それが君に課せられた宿命だ・・・幻想なのか縁起のなせる業なのか??
(注;)怒りの矛先は黒●ちゃん宛てにど~ぞ!!
T老師曰く;
『下男と下女の付き合いは、主人の関わるところではない』・・・ではなく、大いに興味深々!!
何を洗濯するか選択に困るけど・・・まあTシャツでも手でモミ洗い、とか・・・この世の垢だらけだし・・・
Kさん計算の選択肢は、これ一つ!!
米国支部座禅会塾長。
非営利にするか、多少なり営利形態にするか??
営業目玉を何にするか??
そういえば東京に「セロトニン道場」などもあるしね(ダンス・レシピーもあるとかだよね)
兎に角自営業的経営者の才覚の発揮し処ということなのかな??
明日は帰ったら連絡します。
心配ご無用です。
But he doesn't know writer's hidden intention(=a joke).
Rice is [kome=米] in Japanese pronunciation ,
so I sometimes intentionally mixed up for the word [ comment](=コメ in short form).
And samely, [noodle] 's Japanese word is [MEN=麺] and this is the same pronunciation with side(=facet=面).
I used to think that human beings basically possess multiple characters with many grey zones in heart.
That's why I often mention A side/B side,~~ as such, though Keiren seems to prefer clear cut ideality like [black or white facet morality] to the grayish ambiguous facets in morality.
(Note,) I'm very much fond of Rice and Noodle
・・・but just too crazy to Japanese Rice and Japanese Noodle, with a kind of prejudice・・・as a part of my grayish character!!.
From your Theta 8 - 26 Post:
"Certainly brush yourself in your mind and get rid of the element of noodles..."
Also, the crazy Google Translator often yields the word "rice", but it makes no sense in the context.
The Googlator appears hungry for noodles and rice.
I haven't heard from Lotus Flower since she left for Ozorezan. I am thinking that she has no access to wifi so can't send us updates.
Your comments are very interesting and inspiring, but I know I am losing some of the meanings and subtleties when I run them though the Googlator. I will have to learn some Japanese!!!
K will be back at Narita on Japan Tuesday evening the 29th, which will be our Tuesday morning. I expect she will have wifi there.
Anyway, take care.
Here is just gorgeous weather on this Saturday, so I am going to do some yard work and enjoy the gentle sun and happy breezes.
mmmmm、余りに強烈な名言だったので、ずっと頭に中に引っかかっていました。
確かに自分の心の中でブレーキをかけるB麺要素を退治して、あとはなにも躊躇する事無く猪突猛進突っ走る!!
やっぱり経営者魂ですね。脱帽です!!
精神科医・心理療法士系が(米国で)#1の職業別自殺率を誇っていたように、
人は頭では分かっていても、自分の事が一番わからないのも又事実の様だ。
自分の事は自分が一番よく知っている(??)とも限らない。
自分では真性だと思って居ても、他者から「借り物」だと揶揄される事もあるし・・・
自分なら「偽物」を見抜けると思って居ても、他者からはお前は偽医者だと見抜かれるし・・・・
人間間交流はこの繰り返しの如しだ。
しかし元々、自分の価値観と同じ価値観を持ってる人などまずいない。
ならば、相手の立場、相手の基準や価値観を認めてあげないと【魂同士の交流】なんてとても覚束ない。
まず自分の世界から解脱しろ。
すべてを自分の基準で判断するな。
自分の価値観で相手を批判、批評、評価をするな。
自分の価値観で周囲をがんじがらめに縛るな。
他者の違いを受け入れろ。
他者のキテレツ性を楽しめ。
自分が居る世界から、一回離れて世の中を見るのが良い様だ。。。
「みずから」を頑張っただけの雲巌禅師では、
一生涯悟れなかった。
洞山禅師は(川を渡る最中に)「おのずから」水に映った自分の姿をみて・・・ようやく悟った。
釈迦禅師は、明星の鶏の「おのずから」の鳴き声を聞いて、ハタと悟った。
南禅師は永平寺の修行中、屋根から「おのずから」バサッと落ちて来た雪の音を聞いてハッと悟った。
「おのずから」の悟りは、坂田さんの『禅と悟り』ブログでも多くの例が述べられている。
これは実体の有る超越的な神の仕業(=天の啓示)を意味しない。無意味な神秘化を意味しない。
が、しかし「みずから」だけでは『悟りは開けない!!』。おのずから沸き上がって来る【きっかけ】が必要だ。縁起のなせる業と言うべきなのかも??
道元さんの坐禅儀は「形(作法)に極端に拘る」ようだ。
借り物の「只管打座」から入るしかしょうがないらしい。
みずからコップの水を満たそうとして必死に足掻いていると、
或る時フッと、水が満たされている事に気付く。
オイゲルの『弓と禅』における【それ】が現れた時だ。
現代的には、村上春樹や又吉らの作家が一句一語にさんざ苦闘したすえに、
「ある時何か天からの力で筆が一人でに動く」が如し…(意訳)、という自我超越的な体験なのかも・・・
悟りは「おのずから」来るものだ(=悟りは「みずから」では開けない)
才気に溢れ、強気に攻め込む意志強固ナリの人・・・
こうごうしく輝く、
K女史のツーショット写真をみた。
Kさんには、
まさに『運を引き寄せる』経営者的風格がある。
己が際立ち、はち切れんばかりの威嚇、牽制、自己アピールが飛び出してくる。
強い眼力で「かかって来い」という迫力めいたビームが両目から放射して来るようだ。
眼差しや風貌には底しれぬ力強さが沸き上がり、
邪魔する誰をも、「さあ掛かって来い!!」と睨みつけるKさんの、
豹の様な気迫、テポドンをガンガン打ち込む腕力・カリスマ性・・・
そんな様子のツーショット写真であった。
運を引き寄せる人!!
4時に起きました。
6時にむかえがくるから早めに準備しています。
アクセルは
ぶつかってみないと
分からないものがありますが
ブレイキーは
壊れてはいないようです。
信号を見る目があるので
結構、気を配れています。
これから荷造りをするので
急いで報告して
恐山に着いたら
また報告します。
行ってまいります。
アクセルとブレーキが必要だ。
いいひといいさんがアクセル役を楽しんで居るので、
K車は一気に全速力で走り抜ける・・・
ではブレーキはどうする??
ブレーキ無しでも・・・、
ハンドルさばきだけで・・・
壁に激突する事を避けられるのか??
いずれにしても
「おのずから水がコップに満杯になる」という「無」の対極の出来ごとの如くに映る。
自我にひそんだ他人のスパイを撃退し
オジャマ虫を退治して
邪魔なる有象無象も蹴散らした。
もはやひるむモノは何もない
ひたすら「我が道」を行く・・・競馬場の競走馬の如くに・・・
賽は投げられた!!
嫌悪の情を示し軽蔑するKさん(たぶん??)を意識して書いてみた逆説的コメでした。
人は弱音を吐くとストレスが軽減するという側面もある事だし・・・
自分の弱さを認める事も必要な事だと思うし・・・
米国NPO法人塾長目指して、色々【形作り】を模索する・・・。
【有】を造り上げるべく、「みずから」を画策するのみだ・・・賽は投げられたのだから・・・。
『【無】とはコップの水が一杯になって溢れる状態をさす・・・。
現実は、まだ満杯になって居ないので、
【みずから】の力で満たそうとして、
【形】に拘るしかしょうがない・・・
借り物の龍の形から始めるしかしょうがない・・・
「おのずから」水がコップに溢れるなどという奇跡はおこらないのだから・・・
自分の力で「みずから」やらねばという執念は
>『仏教の迷いの世界、聖書の迷える子羊のようでありま(しょうか。。。。)
成程、人は皆、迷える子羊!!、
さ迷いさ迷い、さ迷いにさ迷い・・・
我が信じる道を行くしかしょうがない!!
・・・【無】など無いからだ・・・、
コップに水が「おのずから」満たされるなんて事はありえない。。。
スル―した部分やノータッチのところは
後回ししたのですが、
完全にスル―する気は無いので
まともな時間が持てたら
一気に行きます。
今どこか
山口県、山口湯田温泉のスーパーホテルの4階
今朝9時に東京駅を出て
新山口新幹線駅に着いたのが
3時8分でした。
お経朗読家に会いにきたので
その方と今まで
語り合い
一区切りがついたので
部屋に戻りました。
朝一番の新幹線に乗って
明日恐山に向かう予定です。
山口県から青森むつ市まで
12時間以上かかるようなので
これから5時起きのため
支度し始めます。
「一皮剝けて、二皮剥けて、三皮目には何処へ行く…逆転の発想」と題して書いたコメ文のなかにリンクしたものだ。
感じから言うと、Kさんがスルーした様なので、
一生懸命黒●旦那を妄想して恐れおののいているようだ。・・・かわいそうに!!!
『禅僧が教えるラクに生きる方法』本の「J・Spa」の記者のブックレヴューを読めば、
Kさんの彼に対するイメージが変わると考えられる。
すべてを無為と切って捨てる、トコトンこじらせた禅僧は、照れ隠しに、実物の姿としては落語家の振りをする、と言う趣旨の事を言っていた。
これはTが自分の深層心理を隠して、ダジャレをコクのと共通項がある。
J・Psa記者の書いた記事を参照されたし(本鬼篇でリンク済)
その近所の居酒屋の50代おかみさんがメルヘンチックな絵を描くのが好きで、自分の描いた何枚もの絵で店中を飾ってあった。
Tは(むりむり??)ほめそやし、彼女も嬉しそうだった。
彼女は生涯の想い出にと、故郷の図書館で個展を開く事にこぎつけた。
で、個展を開いている時に、
隣の部屋でやはり個展を開いていたプロの男画家が彼女に聞いて来たそうだ。「貴女は一枚の絵を何日かけて描くのですか?」と。
そこで彼女は「着想を感じてから、ひと月くらいかける」と答えた処、
そのプロ画家が言って曰く・・・、
「私ならこの程度の絵なら小一時間もあれば描けてしまう・・・」と。
つまりプロ画家は彼女の絵を子供だましだと馬鹿にして見せたと言う事だ。
彼女は悲しそうな諦めの表情をしていた。
Tは(そのプロ画家の様な)、そういう、人を小馬鹿にした様な、小賢(こざか)しさを軽蔑する(てめえがどれだけえれえんだってか!!)。
世間には老後の楽しみに絵を描く人が沢山いる。
しかしひねくれ者のTは絵を趣味する事を好まない。
たとえ自己満足で絵の山を築きあげても、
Tの死後は【単なるゴミの山】となって、ゴミ箱に廃却される事になるからだ。
廃物処理する、後の人にとって邪魔なだけだ・・・。
Tの信条は、
死ぬときは、
自分が存在していた痕跡を一切消し去って此の世から消えていきたい。
葬式も不要、墓も不要、他者の記憶も不要、遺品は一切無し、
よって坊主も「おまんまのくいっぱぐれ」・・・がTの理想だ!!。
オワリ
Kさんの【気迫】が在ってこそ初めて成り立つ言葉でしたね。
Kさんの、あっき迫る気迫に押されて、
てんてんて真理(まり)もあとさずり・・・気迫の勝利!!・・・うっちゃり勝ち!!。
万一Tが同じ事を言ったとすると、即座に果し合いとなって、Tが詰め腹切らせられる処でした。。。くわばらくわばら!!
生を実行すると
魂を生めるようになるだろ」
仏教では生に対する執着だと言っています。この執着があるため何度でも生まれ変わるらしいです。
「やがて生まれた魂は
全ての殻を破り
360°の光を発光し始める
その360°の光が
魂が生きる住所であり
生まれた本籍地になっていく」
人間の魂が生まれた本籍地は無色界の一番上の天の世界であり、最も強い光を放つ世界であるらしい。そこから下の天の世界に降りて、上の天と地上の間に10ぐらいの天の世界があり、ついにはこの地上に降りてきたらしい。
いったんこの地上に降りたら上の天に行くには、そう簡単には戻れないらしい。この世の苦しみを嫌というほど味わってからでないと天には戻れないらしい。この地上より二つや三つ上の天に戻っても物質界のような時間間隔がないためすぐに寿命がつきてこの地上に戻ってきてしまうらしい。
仏教の迷いの人生、聖書の迷える子羊のようであります。
『禅僧が教える心がラクになる生き方』と言う本のブックレヴューを,
前回のK記事[本鬼]篇での、最後の方のコメで紹介した事から出て来た、読者の「心の原風景」を写し取ったモノでした。
読者連は、
「こうあるべきだ」なんて自らに強いるものは「この世に無くても良いのだ!!」とかの教えらしい・・・「B麺での生き方のお勧め」と理解したらしい。
しかし
「みずから」の志高く、破竹の勢いで進軍ラッパを吹くKさんにとっては、【弱者の論理】は似合わない。
Kさんとしては米国支店座禅塾長めざして「この世に強く打って出る」の気迫なのですね。
天天てまりさんもタジタジ!!、
Kさんからガンガン打ち込まれた様子が彼の記事に書かれていたので、
Kさんの心境を改めて理解しました。
ならばあとはもう、
ただただ猪突猛進あるのみ!!・・・で、
「A麺突破」がまさに今、此処に進行中!!
殺されたのは
自我に潜んでいた他人のスパイだったです。
なので、邪魔虫を削除できた、できたと思いたいーです。
打ちこんだ当の本人だったという....
人間関係を作ろうと力まない
人との関り方を決めない
人との間の距離を決めない
相手の生命、その息吹を感じる
相手に華を持たせる
相手が今どこに
どのようにいるかを見ようとする試みをする
....ですかね。
>「魂が個人の自我の限界を超える様に成る・・・・」
と言う事は現実には非常に難しくて、
人は何時もいつも、いつもいつも、ねこもしゃくしも、ひっきりなしに、のべつ幕なし、自我様が首を突き出すようだ。
まあ3%でも【魂】度があれば(=97%は自我度のヤカラでも)、その3%の魂部で【魂同士の交信】をしたらいいのではなかろうか??
だから魂の交信中は、
相手を批判しない、相手を批評しない、
相手を尊重する、相手を理解する、相手の良い点をさがすとか・・・
まあそれなりに包容力で相手を包み込む・・・とか、即ち、いいひといいさん流がいい。
のしてんてんさんもさぞや面白がっただろう…
異星人ってこんなのかって天駆け巡る竜神にはお見通し!!
生まれついての従来型思考から、視点の転換を図る事も必要だ。今迄の自分の意識を根底からひっくり返してみる事も必要なのかも???
自戒の念で敢えて言うならば、
「自我」の人は、
自分がこの世の主人公で、
自分の言う事が正解で、
自分の判断が常に正しくて、
自分のすることがいつも正義だと思ってしまう。
いつになったら
>「魂が個人の自我の限界をこえるように」なるのだろうか??
自分と言う自我がこの世の主人公である間は
どうも「今でしょ!!」とは言えないのかも・・・
魂が交わる(>魂同士の交信)時には、淡き水の如しでありたいものだ。
(=人と人の間は淡き水の流れの中に成立するのがよい)。
相手の自我を尊重し人間性を尊重出来るのが良い。常に相手との間に節度を保って適度の距離を保つのが良い。
相手とベッタリ密着する一体感では、
相手の自我と自分の自我がくっ付き過ぎて、互いに齟齬(そご)が生じる。
人と人の【間】が無くなり、水が人と人の間を流れて自我相克の塊りを洗い清める事が出来なくなる。かくて人の心が病んでいく、腐っていく。
密着しすぎると【間】が無くなって魂の居場所がなくなる・・・人と人の間が「魂の住所」なのだから…(注TEDの薬物依存解釈と轍を同じくするようだ)
又、人を批判したり批評したりするのも、人と人の間を裂く行為だから、
結局自分が傷ついて、自分の魂が荒(すさ)んでいく。
節度を持った適度の距離感が大切だ。
君子の交わりは淡きこと水が如し。。。。
彼の左手にメモ書かれていますね。
スピーチの目録に自信無かったでしょうね。
その自信無さのまま、公で話そうとした時点で彼は自分の限界を超えようとしたでしょうね。
ガンナム スタイル
え~とですね。
演歌はちっと私のスタイルでないので
Punk系かFusion系か
せめてDisco系かにしてもらえると
ノリノリになれます。はい!
ちっと
演歌では踊れないもんで
音程外れますからね。
とにかく
踊れて何本ですからね。
因みに私の踊りは
がGangam styleに近いです。
The one who always tries to understand me.
He wants to learn from my view not my words.
He wants to listen my voice where it faces.
He wants to be with me when I am at Japan.
He can give me voice that I needed at a certain moment but usually he gives too much dumb jokes...somehow his dumbness can be missed and it is a discovery channel suprisingly hihi~~
ted talksジョン・ハリー 薬物依存
無名さん、これですかね。
緑の匂い(香り)がする人です。
素朴で質素な感じ
素直で正直な方
ご自身に厳しいが
他人には甘い
心の地下室へガンガン降りていけて
ガンガン話せました。
話してからスッキリ感が持たせる人かもです。
2017-08-22 11:17:05
魂は人と人によって構成される社会の核心である。
魂の核心にあるのは、自分ではない他人
という自分である。
仏陀はそれを否定はしない。
否定はしないが、それを世俗営為として観測する。
世俗営為とは、すなわち、縁起の世界である。
仏陀は縁起を観測できる場所に居るのであって、世俗に居るわけではない。<
Unknownさんのコメントをそっくりコピーして貼ってみた。
なぜなら
それ以外のことばが見つからなかったからだ。
完成度の高い現象を表したので
余計な思念を加えたくない。
世欲からかけ離れた感じがする。
綺麗な心の持ち主だろう、きっと!
魂という言葉の間口の広さは日本固有のものなのか私には分かりませんが、この間口の広さになにがしかの意味を感じます。
否応なく人がつながって行く原点(魂)。
その原点から無数の人間が生まれているのだとすれば、360度を360度回転させた球体の大きさで間口が広がる。(妄想ですが)
そう考えると
魂という言葉の懐かしさはその原点からきている私達の共有する唯一のものなのかもしれませんね。
原点の振動を共に味わうことは可能なのかも知れない。見当はずれかもしれませんがそんなことを考えてしまいました。
先日の直接のお話に際して、そんな原点の共振を感じました。
遠いいところありがとうございました。私にとって大きな励みとなりました。
あらためて、御礼申し上げます。
I put out from my thoughts everything related to what I might believe regarding the idea of a soul. I put any statement on the subject, arising possibly from ego, out of my mind.
And I read the English translation of this post with my ears, and listened to the sound of the words with my eyes.
My ears imagined your voice reading the words. My eyes, not searching for fact, listened to poetic forms of the words take shape.
Your post begins with a question. Because it is one I never asked before, it sounded beautiful to my eyes as I read it.
For a brief moment, perhaps you helped my ears and eyes go beyond their biological limitations. For an instant, between clicks of time, my ears could see and my eyes could listen.
By what means would I ever communicate the sense-ation I describe?
魂の核心にあるのは、自分ではない他人
という自分である。
仏陀はそれを否定はしない。
否定はしないが、それを世俗営為として観測する。
世俗営為とは、すなわち、縁起の世界である。
仏陀は縁起を観測できる場所に居るのであって、世俗に居るわけではない。
『この人生はどんなに辛くても、
生きるのに価する、其の為には、
三つの事が必要だ。それは・・・
勇気と希望とサブマネー(=わずかのお金)。
杉良太郎『すきま風』第二節・三節
「夢を追いかけ 夢に心とられ
つまずいて すきま風見るだろう
いいさそれでも 生きてさえいれば
いつか ほほえみに めぐりあえる
其の朝 おまえは 野菊のように
道のほとりに 咲いたらいい
いいさそれでも 生きてさえいれば
いつか しあわせに めぐりあえる
その朝 おまえは すべてを忘れ
熱い涙を 流せばいい」
計算してみるとKさんの熱い涙をながす「いつか」とは…【今でしょ!!】って林修先生が言ってるみたいだね!!
@砥石(3)昔の私とご対面
相手を活かして己も生きる。己を活かして相手が生きる。
人と人の間を魂が繋いで人が人間として生きる。
人個人は自我であり、自我のみでは人間社会は構成されない。
これは正解だと思う。
「アートマン」は存在し無いし、「魂」などという臓器はない。
が、脳の意識機能に於いて
宇宙の摂理を感じる能力、美を感じ取る能力、物事の善悪を感じ取る能力は脳回路の中に組み込まれているようだ。
これは科学的な「進化論」では説明できない現象であるようだ。因果関係が無いのだから・・・。
天天てまりさんが宇宙に飛翔する龍を描き切るのも彼の魂の発露で在り、
そういう感受性(=概念)を【魂】のなせる業として・・・、
人が生きている間のみ機能する思考様式としての・・・
魂の存在を容認し尊重する事は可能であるように思えるが・・・
寅さんが居たからである。
しかし、今の世間には寅さんの代わりに頼れるものがないのである。
仏教の核心においてはその魂などの存在は認めてはいない。
人によっては登るには高すぎるデスゾーンの山である。
そのリンク先にいけなかったです。
エラー表示でした。
先は涙で字が滲んで読めなかったので
Tの引用部分を間違ってしまったまま投稿してしましました。
正しくは
『人の持つ尊厳性や崇高性、共鳴性、美意識、深淵性もしかしたら神秘性とか神との交信力と言ったような、
人に備わった抽象的なしかし本質的な属性を【魂】と呼ぶ、
と言うのかと考えました。
仏教的にいえば仏性に目覚めると言う事でしょうか。
それは点から線へと広がり、人と人を結び繋(つな)ぐ。
個人個人の【自我】では互いの心は交信出来ないが、
人と人が共感し合い信頼し合えるのは、人の持つ【魂】の部分からなのだ・・・』←です。
人に備わった抽象的なしかし本質的な属性を【魂】と呼ぶ、
と言うのかと考えました。
<仏教的にいえば仏性に目覚めると言う事でしょうか。
それは点から線へと広がり、人と人を結び繋(つな)ぐ。
個人個人の【自我】では互いの心は交信出来ないが、
人と人が共感し合い信頼し合えるのは、人の持つ【魂】の部分からなのだ・・・>
Tのこの言葉をすれ違いで今読んで
涙があふれました。
私の本質
私がことばにできなかった裏を言葉にしてくれた感じがします。
涙が止まらないので
後で出直します。
https://www.ted.com/talks/johann_hari
今回の記事を書いてから
今度は純粋に私自身の内からの声を文字にした。
8月10日日本時間の木曜に日本に着いてから
10日間分刻みのスケジュールを送った。
大学での恩師に会え
禅関連の仕事をする人々に会い
今日は
のしてんてんさんに会った。
http://blog.goo.ne.jp/nositen10
のしてんてんさんの作品を肉眼で見て
魂で語り合った。
この記事を投稿してから
東京の銀座での画廊で会えたが
魂の話になる予言だったのかもしれない。
言葉を超えて交信し
未来の私なのか
未来の彼なのか
あるいは両方なのか
見ない力によって引かれ
新たな道を発見できた。
言葉を使い
感じまた感じさせられた気がした。
会うべき人に会った、それに尽きる。
恐山ではこれらを超える範囲になるのだろうか、恐ろしくなってくる。
Tには物体(例、【心臓】とか【脳】とか・・・)としての【魂】は考えられないけど、
人の持つ尊厳性や崇高性、共鳴性、美意識、深淵性もしかしたら神秘性とか神との交信力と言ったような、
人に備わった抽象的なしかし本質的な属性を【魂】と呼ぶ、
と言うのかと考えました。
仏教的にいえば仏性に目覚めると言う事でしょうか。
それは点から線へと広がり、人と人を結び繋(つな)ぐ。
個人個人の【自我】では互いの心は交信出来ないが、
人と人が共感し合い信頼し合えるのは、人の持つ【魂】の部分からなのだ・・・
Kさんはそんな風に直感したのだろうか??
T的にも感得出来る部分があり、
Kさんに触発されて、
人と人との絆を感じ、感激に涙ウルウルと・・・生きてる幸せに耽る瞬間でありました。
考えて見れば、Kさんの今回の日本旅行がそんな【魂】の触れ合い旅となっている・・・ということなのでしょうね・・・
そう言う感性を、おすそ分け頂きましてありがとうございます。Tの考えたことの無かった思考でした。
We thought almost same concept at same time.
You never knew what I post but you sensed somehow, I saw the title but didn't accured to watch it.
When I get back I will watch the documentary with you but I wonder I could have time for watching it, I will bring a lot of work to be done which I found in these 2 weeks and much information to report to be shared with you.
I have read it a few times, but will read again.
Last night, maybe while you were writing this, I was watching a show on NetFlix named: "The 9 Months That Made You." It was a scientific show about the development a person before birth, from time of initial fertilization of the egg to the exit from the mother's womb.
For the first few days after conception, the future person is just a tiny ball of identical cells. The cells than go through a literal metamorphasis, with packets of cells changing their internal structure so some can become bone, some heart and organs, some to be become brain, etc.
So information is encoded into the various cells AFTER the cells first form.
All the cells in the initial stages are the same, and then they are sent information and the cells change.
Somewhat analogous to what you describe, the cells receive communication from the gene, which let's them go beyond their initial limitations!!!!
Communication between genes and cells underpins the entire process of developing a ball of identical cells into a person.
Anyway, I realize this is not directly connected to the meaning of your post, but the idea of SOUL BIRTH made me think of the show I had just watched.