「今日の一言」で連載中の、養生に役立ちそうな言葉を、週ごとにまとめておきました。
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自分の生命を愛しても憎んでもいけない。
だが生きている限りは生命を大切にするがよい。
長く生きるか短命に終わるかは、天に委ねるがよい。
(ミルトン『失楽園』平井正穂訳より)
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主人は好んで病気をして喜んでいるけれど、死ぬのは大きらいである。
死なない程度において病気という一種のぜいたくがしていたいのである。
(夏目漱石『吾輩は猫である』より)
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意識とは、あったこととあるだろうこととの間を結ぶ連結線であり、過去と未来をつなぐかけ橋である。
(ベルクソン『哲学的直観ほか』「意識と生命-1911年5月29日 バーミンガム大学におけるハクスリ記念講演」 池辺義教訳より)
健やかに生活するには、身体だけでなく、心も大切です。
痛みや苦しみを感じることは、意識の働きのひとつです。
病気になる前も、なった後も、治った後も、意識によってそれを認識しているのですね。
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過去は死んだ歴史ではない。過去は、人間が自分自身をつくりだし、将来を建設する生きた材料である。
(ルネ・デュボス『人間であるために』野島徳吉 遠藤三喜子共訳より)
人が人らしく生きていくために、前を見て、目標に向かって進んでいく必要があります。
でも、それを達成するには、後ろを見ることも必要のようですね。
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生物学とは、「地球とそこに棲む生命の現在、過去、未来にわたる歴史」と定義できる。
(レイチェル・カーソン『レイチェル・カーソン遺稿集 失われた森』古草秀子訳より)
生物学を歴史と定義するなんておもしろいですね。
でも、確かに的を射た定義です。
人間も生物。東洋医学に携わるものも、それらを学ぶ必要がありそうです。
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歴史の大半は推測であり、残りは偏見だ。
(ウィル・デュラント/アリエル・デュラント『歴史の対局を見渡す』、Durant,Our Oriental Heritage,12 小巻靖子訳より)
歴史とは人の意識によって紡がれた過去の物語、とも言えるでしょうね。
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尽く書を信ずれば、則ち書なきにしかず。
(『孟子』「盡心下」より)
なんでもかんでも『書経』に書いてあることを信じるのなら、『書経』はないほうがましである、という意味です。
ちまたは様々な本であふれかえっていますね。
歴史、経済、小説、芸術、漫画、医学や健康に関する書なども。
書の中には、現代の政治家がつくような故意によるウソだけではなく、良心的な誤り、誤解をまねく言葉も含まれています。
読書の際は、注意して、自分の頭を使って読む必要がありそうですね。
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