への次郎が行く

カメラと地図を片手に気ままに出かけます。

芸備線・姫新線の旅 (1978年) ①

2024年01月04日 | 古い写真

物置から出てきた古い写真、整理していたらネガがありました。写真はなく、二袋のネガ。ネガの隅には、1978年8月17日、18日の文字。

 

なんとなく旅の記録のような感じがし、写真屋さんでCDに入れてもらいました。

できあがったCDを開いたら、記憶がよみがえってきました。それは    

 

広島県福山市に帰省したときの帰り道、広島から芸備線姫新線を乗り継いで姫路に出て、そこから新幹線で東京に帰ったときの写真でした。

当時の時刻表を参考に、この旅を再現しました。

 

 

広島駅

広島駅です。左は新幹線の高架。当時の時刻表を見ると、8番線は芸備線のホームでした。

そこに止まっていた二両編成の気動車、これに乗って出発。時刻は7時ちょうど。

 

広島駅を出て、しばらく新幹線の高架横を走って行きました。

空はどんより。この日は天気が悪かったんですね。

 

 

広島-三次間

向かいのホームに、エンジ色の客車が入っていました。

時刻表を見たら、下深川(しもふかわ)駅。今も広島までは、通勤圏です。

 

芸備線は広島県の県北を走る山間の路線、

気動車は山すそを縫うように走って行きました。

 

 

三次駅

三次駅に着きました(9:26)。

ここで駅弁を食べた記憶があります。買ったのは鮎すし。調べたら、有限会社環翠の鮎すし(500円)でした。

 

お腹を満たしたあと、構内を散策。跨線橋から見た備後落合方向です。

左が1番線、右が2・3番線。右側に気動車が多数止まっていて、奥に扇形庫がありました。

 

2・3番線から、1番線方向を撮影したものです。1番線の端は、切欠の0番線になっていて、

三江線のホームでした。この気動車、時刻表によると10時30分発の口羽行きの臨時です。

 

やがて1番線に、ディーゼル機関車に引かれた旧型客車が入ってきました。

撮影したあと、急いでこの列車に乗って、三次駅を離れました(10:40)。

 

 

三次-備後落合間

塩町駅を出て、(たか)に着くまでの風景。列車はノークーラー、窓全開です。

写真から、どんどん山が迫ってきていたことが分かります。

 

 

備後落合駅

山間の駅、備後落合駅に着きました(12:07)。

写真を見ると、到着後、駅から外に出て、付近を散策したようです。

 

勢いをつけ、右方向から走ってきた気動車。鉄橋通過音が聞こえてきそうです。

この鉄橋、グーグルマップで調べたら、備後落合から少し西に行ったところにありました。木次線小鳥原川橋梁です。

この気動車、時刻表によると14時09分備後落合発の松江行きでした。

 

芸備線のホームに戻ってきました。右奥には木次線のホームもあります。

時刻表を見ると、左の気動車は三次行き(15:48始発)、右は新見行き(15:29発)です。ホームの人たち、盆に帰省した人とその見送りでしょうか。

 

 

備後落合-新見間

備後落合を出た気動車、山の中を走ったあと、急に視界が開ける場所がありました。

調べたら小鳥原川第一橋梁。高さ30㍍、長さ146㍍、中国地方一高い鉄橋だそうです。

 

 

新見駅

芸備線159.1キロ、伯備線6.4キロを乗り継いで、岡山県の新見駅に到着(16:58)。

乗ってきたこの気動車の後方、よく見ると、ラッセル車が写っていました。

 

夕方の新見駅近くの風景です。

グーグルマップで見ると、高梁川の南岸堤防道路から北岸を撮ったものでした。このあと、近くのホテルか旅館に泊まったと思いますが、写真も記憶も残っていません。

 

 

当時の芸備線上りの時刻表です。色線がついている列車に乗って旅をしました。

 

                                   つづく