名神高速道を栗東インターでおりて、琵琶湖大橋を渡り、北側から京都府の山里大原にやって来ました(2022/5/18)。東の三千院、西の寂光院、二つのお寺に徒歩で行くため、その中間の国道沿いの駐車場に入りました。まずは、三千院です。
三千院の歴史は、天台宗を開いた8世紀の最澄にさかのぼるそうです。時代とともに寺は、場所と名前を変えていき、明治初期に大原に移り、三千院と称したそうです。
「大原での歴史は、長くはないんだねぇ」
●三千院
駐車場から、青もみじがかぶる呂川沿いの参道をのぼって行くと、
やがて見えてきました立派な門。御殿門(ごてんもん)といいます。
ここで受付を済ませ、建物の中に入って行きました。
廊下を過ぎると、客殿があり、そこからきれいに整備されたお庭が見えてきました。
聚碧園(しゅうへきえん)です。緋毛氈に座り、しばしお庭を鑑賞。
さらに廊下を進むと宸殿(しんでん)です。ここで一面青苔に覆われたお庭におりました。
このお庭、有清園(ゆうせいえん)といいます。その先には、
弁天池の横に佇む往生極楽院です。池からは、さかんに蛙の鳴き声が聞こえていました。
お堂の中に、国宝阿弥陀三尊像が祀られていて、下から手を合わせました。
庭をさらに進むと、青苔の中にわらべ地蔵。
「見る方向によって、お顔の表情が違う」
その先には小さな池。水が落ちていて、もみじをうつした池に波紋が広がっていました。
左上の小さな島に白い球体、分かりますか。産み付けられた蛙の卵です。
その先は、石段になっていて、朝からお庭の手入れです。
「ご苦労さま」
声をかけ、淡紫のミヤコワスレが咲いた石段をのぼって行くと、あじさい苑がありました。
その奥にまだ建物はありますが、ちょっとそれて、小さな川(律川)をこえると、石仏がありました。
鎌倉時代に、ここ大原の念仏行者たちによって作られたものだそうです。当時の人々の信仰心が宿った石仏。ここでも合掌。
石仏の先を見たら、小さなお地蔵様。眉毛のあたりから、クモが糸を引いていました。
「何か、こちらに話しかけているようだねぇ」
しばらくお地蔵様の顔を見ていましたが、急に時間が気になってきて。ここで引き返し、駐車場の方に向かうことになりました。
つづく