曲がり角の向こうに・・・

毎日の暮らしの中でフと心に留まった人やもの、そして風景を描きとめています。 

竹久夢二 日曜美術館

2025-01-26 | 絵  ③アレコレ

今朝の日曜美術館は竹久夢二の油絵を取り上げていました

先日の雑司ヶ谷の街散歩の帰り道に

雑司ヶ谷霊園で竹久夢二のお墓を見つけたばかりでしたので

何となくご縁を感じて?番組を見ました

大正ロマンを代表する画家で夢二式美人画を描く画家と言われています

以前伊香保温泉に行った時に夢二美術館を覗いて

う~~ん・・・何だか生気のない女性ばかり・・・

との感想を持って会場を出たことを思い出します(^_-)

 

夢二の絵に大きな影響を与えた3人の女性がいると言われています

先ず 夢二をして「大いなる眼の殊に美しき人」と言わしめた

岸 たまきさん

出会ってすぐに結婚し3人の息子をもうけたものの

性格の不一致から3年で協議離婚したそうです

次に出会ったのは

画学生だった笹井彦乃さん

夢二にとっては「最愛の人」であり「永遠の人」だったと言われています

夢二から絵の手ほどきをしてもらった(1914年)ことをきっかけとして 

お互いに惹かれる仲となり1917年に京都で同棲

彦乃は両親から許してもらえないまま

25歳の時に結核で亡くなりました

番組中では出てきませんでしたが

彼女をモデルにした夢二の傑作が「黒船屋」だと言われています

 

彦乃亡き後に憔悴した夢二を心配した友人たちが

紹介してくれたのが佐々木か(子)ねよ

竹久夢二好みの立ち居振る舞いで絵のモデルとして夢二を支えたそうです

夢二の作品の中で

3人の女性たちの誰がモデルになったのかはよく分かりませんが

それぞれ愁いを秘めた作品です

 

番組を見ている中で夢二が

「人の心のうちに自分の影を写したい」との思いを持って

時代の荒波の中を懸命に生きる姿を描いたのではないか・・・との

夢二のファンである歴史学者の磯田道史さんの言葉に驚きました

人間心理が油彩画に深みを与えているとも

関東大震災の時渋谷に住んでいた夢二にほとんど被害がなかったため

震災後すぐにスケッチブックを持って焼け野原になった街に出向いて

新聞に被害の状況を連載したそうです

夢二にそんな側面があったことを初めて知りました

その後アメリカに行き

自分の絵を模索し続けたそうです

アメリカ人女性のモデルを描きながら

従来の絵具では描き切れない肌の色に苦労したりしつつ

新たな絵の境地を開いていったとのこと

その後更に研鑽を積むべくヨーロッパに渡りましたが

結核のため1934年9月に49歳で亡くなったそうです

色々考えさせられた良い番組でした

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