2月25日(木) 本日のJOG=45分
ボクが初めて黒人音楽を知ったのは、たぶん小学校3年生ぐらいの頃じゃないかと思う。
母親の従兄弟(いとこ)で、チカラさんというおじさんがいた。続柄で言えば自分から見て又従兄弟(またいとこ)なのだけど、まだ若くて20代だったんだと思う。
チカラさんは仕事を転々として、その時は自転車屋を経営していた母の実家に居候していた。
すごく頭のいい人なんだよと母から教えてもらっていて、物知りで尋ねたら何でも教えてくれたし、絵を描いて欲しいとせがむと何でも上手に書いてくれたのでボクはすごく好きだった。
ただ、気まぐれで落ち着かない人ということも聞いていた。今にして思えば、一発当てようとあれこれ挑んだりしていたのか、それとも自分探しをしていたのだろうか。
ある時、チカラさんはドライブに行こうと言って、ボク達を誘ってくれた。ボク達というのは、チカラさんが居候していた母の実家の従兄弟たちで、3人兄弟だった。たぶん、ボクを誘ってくれたんじゃなくて、遊びに行っていたボクはおまけだったんだろう。
車種まで覚えていないがスズキフロンテとかN360みたいな軽自動車に子供たちがいっぱい乗り込み、どこかへ行った。ドライブで何をしたか全く覚えていないけれど、クルマに乗せてもらえて嬉しかった。
今にして思えば、あの時代に軽とは言え自由に乗れる車を持っているなんて、すごいなと思うんだが、ただボク等ははしゃいでいた。
どこかをぐるぐるしたあと、チカラさんはボク達を自分の家に連れて行った。自室に着くと、1枚のレコードを取り出してポータブルステレオに載せた。チカラさんはレコードを聞かせてやると言って連れてきてくれたのだった。
ボクは、ここからはっきりと覚えていて、その光景も、その時にすごい衝撃を受けたのも覚えている。
レコードはプラターズだった。曲は「ユール・ネバー・ノウ(1958)」だった。
ユール・ネバー・ノウ
「聴いてみん、この地響きするような低音の声。日本人じゃこんな声は出ないよ。」と言い、ボクは「そうなのか」と驚いた。
アメリカには黒人のボーカルグループがいっぱいいて、すごい歌を聞かせてくれるんだ、とその時に知った。
それから「ユーネーバノ~」というフレーズをそれからずっと覚えていて、プラターズという名も忘れなかった。
次に「オンリー・ユー(1955)」を聞かせてくれた。
オンリー・ユー プラターズ 1955
こちらはプラターズの代表曲なのでラジオでもよく流れたが、「ユール・ネバー・ノウ」はさほど流れず認知度は低い。だがボクは「ユール・ネバー・ノウ」の方が好きになった。
映画「アメリカン・グラフィティ ー」のサントラ盤にもオンリー・ユーのほかに、「煙が目にしみる(1958)」「ザ・グレート・プリテンダー(1955)」が収録されている。
やはり50年代後半から60年にかけては、本当にすごいグループがいたのだ。可愛らしい女性ポップ、軽やかなポップグループ、美しいコーラスバンド、インストバンド、ロカビリー。そして、黒人ボーカルグループ。
オールディーズは音楽の宝箱や~。
ボクが初めて黒人音楽を知ったのは、たぶん小学校3年生ぐらいの頃じゃないかと思う。
母親の従兄弟(いとこ)で、チカラさんというおじさんがいた。続柄で言えば自分から見て又従兄弟(またいとこ)なのだけど、まだ若くて20代だったんだと思う。
チカラさんは仕事を転々として、その時は自転車屋を経営していた母の実家に居候していた。
すごく頭のいい人なんだよと母から教えてもらっていて、物知りで尋ねたら何でも教えてくれたし、絵を描いて欲しいとせがむと何でも上手に書いてくれたのでボクはすごく好きだった。
ただ、気まぐれで落ち着かない人ということも聞いていた。今にして思えば、一発当てようとあれこれ挑んだりしていたのか、それとも自分探しをしていたのだろうか。
ある時、チカラさんはドライブに行こうと言って、ボク達を誘ってくれた。ボク達というのは、チカラさんが居候していた母の実家の従兄弟たちで、3人兄弟だった。たぶん、ボクを誘ってくれたんじゃなくて、遊びに行っていたボクはおまけだったんだろう。
車種まで覚えていないがスズキフロンテとかN360みたいな軽自動車に子供たちがいっぱい乗り込み、どこかへ行った。ドライブで何をしたか全く覚えていないけれど、クルマに乗せてもらえて嬉しかった。
今にして思えば、あの時代に軽とは言え自由に乗れる車を持っているなんて、すごいなと思うんだが、ただボク等ははしゃいでいた。
どこかをぐるぐるしたあと、チカラさんはボク達を自分の家に連れて行った。自室に着くと、1枚のレコードを取り出してポータブルステレオに載せた。チカラさんはレコードを聞かせてやると言って連れてきてくれたのだった。
ボクは、ここからはっきりと覚えていて、その光景も、その時にすごい衝撃を受けたのも覚えている。
レコードはプラターズだった。曲は「ユール・ネバー・ノウ(1958)」だった。
ユール・ネバー・ノウ
「聴いてみん、この地響きするような低音の声。日本人じゃこんな声は出ないよ。」と言い、ボクは「そうなのか」と驚いた。
アメリカには黒人のボーカルグループがいっぱいいて、すごい歌を聞かせてくれるんだ、とその時に知った。
それから「ユーネーバノ~」というフレーズをそれからずっと覚えていて、プラターズという名も忘れなかった。
次に「オンリー・ユー(1955)」を聞かせてくれた。
オンリー・ユー プラターズ 1955
こちらはプラターズの代表曲なのでラジオでもよく流れたが、「ユール・ネバー・ノウ」はさほど流れず認知度は低い。だがボクは「ユール・ネバー・ノウ」の方が好きになった。
映画「アメリカン・グラフィティ ー」のサントラ盤にもオンリー・ユーのほかに、「煙が目にしみる(1958)」「ザ・グレート・プリテンダー(1955)」が収録されている。
やはり50年代後半から60年にかけては、本当にすごいグループがいたのだ。可愛らしい女性ポップ、軽やかなポップグループ、美しいコーラスバンド、インストバンド、ロカビリー。そして、黒人ボーカルグループ。
オールディーズは音楽の宝箱や~。