仲間と一緒に仕事をするとき、
周りのみんなが忙しそうになにかをしていたら、
自分のやりたいことがあったとしても、
それは後回しにして、
みんながやっている仕事を今は一緒にやろう、手伝おう、とするのが
「当たり前」だと思っていた。
まして、それが
明日の準備だとするのなら。
目の前にある「自分個人のこと」と、
みんながやっている「全体の仕事」とを比べたら
当然、「全体の仕事」を一緒にやる方が大切だし、
なにより、
チームの和が保てるではないか。
そうした「気づき」は、
成長するにつれ、
いろいろな経験を積むにつれ
育ってくるものと思っていたのだけれど・・・・・
決して、
自分だけ楽をしようとか、ずるをしようとか
思っているのではない。
ただ、気づかないだけ・・・・・
周りに目がいかず、気持ちがいかず
自分のことしか見えなくなっているだけ・・・・・
人は、
その育てられかたで
「気づき」の感性が培われるのかもしれない。
お手伝いを頻繁にさせたり、
親自身が示してあげたり、
自発的な行いを誉めてあげたり、
一緒に暮らし、行動する中で
親が、
「気づき」の場面を「気づかせてあげる」ことがあったかどうか・・・
そんなふうに
育てられてこなかった若者が
増えてきているのだろうか・・・・
周りのみんなが忙しそうになにかをしていたら、
自分のやりたいことがあったとしても、
それは後回しにして、
みんながやっている仕事を今は一緒にやろう、手伝おう、とするのが
「当たり前」だと思っていた。
まして、それが
明日の準備だとするのなら。
目の前にある「自分個人のこと」と、
みんながやっている「全体の仕事」とを比べたら
当然、「全体の仕事」を一緒にやる方が大切だし、
なにより、
チームの和が保てるではないか。
そうした「気づき」は、
成長するにつれ、
いろいろな経験を積むにつれ
育ってくるものと思っていたのだけれど・・・・・
決して、
自分だけ楽をしようとか、ずるをしようとか
思っているのではない。
ただ、気づかないだけ・・・・・
周りに目がいかず、気持ちがいかず
自分のことしか見えなくなっているだけ・・・・・
人は、
その育てられかたで
「気づき」の感性が培われるのかもしれない。
お手伝いを頻繁にさせたり、
親自身が示してあげたり、
自発的な行いを誉めてあげたり、
一緒に暮らし、行動する中で
親が、
「気づき」の場面を「気づかせてあげる」ことがあったかどうか・・・
そんなふうに
育てられてこなかった若者が
増えてきているのだろうか・・・・
消えたんですね
だからきずかないのかもしれませんね
先輩のするところを見て真似て、覚える・・・という気風がそもそもなくなりました。
「マニュアル」がなければ動けず、また、マニュアル通りにしか動けない、臨機応変、という言葉の意味が分からないのですね。