大町に「お日永」に行ってきました。
もう、こういう風習は廃れつつあるようですが・・・・
お日永は初七日の法要、という人もいますが
私は、お日永とは、
「今まで一緒に暮らしていた人が亡くなって
お寂しいでしょう?
さぞかし、一日を長く感じられることでしょうね。
お見舞い申し上げます。」
と、いうことなのだ、と教わりました。
お日永を「お淋見舞い」とも言います。
1週間ほどたったら、お見舞いに行く事になっています。
葬儀の席では、喪主となかなか話をする時間がなかったので
却って、こういう日を設けると
いろんな話をゆっくり聞いてあげることができて
いいものだなあ、と私は思っています。
お昼をはさんで
3時間も話し込んでしまいました。
長く続いていた姉の仕事が
ようやく終わりました。
しばらくして、気持ちが落ち着いたら
母を見舞うようにお願いしてきました。
もう、こういう風習は廃れつつあるようですが・・・・
お日永は初七日の法要、という人もいますが
私は、お日永とは、
「今まで一緒に暮らしていた人が亡くなって
お寂しいでしょう?
さぞかし、一日を長く感じられることでしょうね。
お見舞い申し上げます。」
と、いうことなのだ、と教わりました。
お日永を「お淋見舞い」とも言います。
1週間ほどたったら、お見舞いに行く事になっています。
葬儀の席では、喪主となかなか話をする時間がなかったので
却って、こういう日を設けると
いろんな話をゆっくり聞いてあげることができて
いいものだなあ、と私は思っています。
お昼をはさんで
3時間も話し込んでしまいました。
長く続いていた姉の仕事が
ようやく終わりました。
しばらくして、気持ちが落ち着いたら
母を見舞うようにお願いしてきました。
この辺りでは 初七日・・が一般的な言い回しで
お日永という言い方は、何十年も聞きませんでしたが
祖母たちが、つかっていた言葉だったと・・・
今は葬儀と一緒に済ませますが・・身内だけで
集まって・・四十九の相談をしますね。
このようなしきたりをご子息に・・そして次にも
それが、私たちの役目でしょうか・・お疲れ様
今はみな遠くに離れて、葬儀の翌日に簡単に初7日を
済ませて帰りますが、本当は1週間ぐらい後の方が、お
世話された方も 少し落ち着かれるころですね。
先人たちは本当にためになることを残しているのですね。
お姉さまも本当に長い間で大変だったことでしょう。
これからはごじんぶんの時間をゆっくり・と、みなさんが
願っておいででしょう。
今、まさにhi-chan さんが、同じ道をですね。
輪廻?いつかわが子が・・。
なんだか複雑な思いがあります。
今は、何もかもが簡素化、簡略化、ですが、
昔の人が伝えてきたことには意味があり、道理にかなっている、と思うのです。
「無駄」と思うことも、大事に考えていきたい、と思います。
歳をとったせいでしょうか(笑)
コメント、ありがとうございます。
こちらでも、この「お日永」は、廃れつつあるのですが、私は頑なに守っていきたい、と思っているのです。(苦笑)
生まれた時と、命が終わったときは、とても神聖なもの、のような気がしています。
だから、それをやさしい気持ちで見守りたい、と思っています。