13日、朝8時25分から
母の初盆の棚経が行われました。
長姉夫婦、本家夫婦、甥夫婦が来てくれました。
13日午後になってから、
ぽつりぽつりと見舞客が訪れ、
夕方には、隣組の皆さんが勢ぞろいして来てくださいました。
このあたりでは、
お付き合いのあったお宅が新盆の場合、
お見舞いに廻って下さる方が多いです。
最近では
施設や病院で亡くなると、自宅に帰らず、
通夜や湯灌(納棺)までをも、家庭外(それなりの施設)で
行うことが多くなりましたが、
新盆だけは、自宅外で行ったという話はあまり聞きません。
あくる14日は、朝からぽつぽつと見舞い客が訪れました。
13日の見舞客は、16名、
14日の見舞客は、18名、でした。
いつ誰がお見えになるかわからない、
そんなふうに、来るか来ないかわからない見舞客を待って
一日が過ぎます。
コロナ禍以前は、そうした見舞客に料理を振舞っていましたので、
父の新盆の時は、その準備も大変でした。
今は、簡素化されているので、
施主にとっては、とても助かっています。
けれど、
もう、こういう面倒な新盆の行事は
私たちの代でおしまいにしてあげないといけないなあ・・・、
と、思ったりしています。
今朝は、家族みんなで母をはじめとする仏様を送りに
お墓に行ってきました。
そして 初盆の記事拝見して 思わず2月の17日まで見つけました
ご愁傷さまでした かわいい孫ちゃんとの記事など思いだしました
98歳のご長寿 素晴らしいですね
たくさんの孫さんや曾孫さんにも恵まれて幸せなお母さまでした
私はコメント欄も閉じて、人様のブログ訪問もたくさんできず、自分のことで精いっぱいの日々です
93歳の夫の介護の日々でもあります
この頃時々おいでいただいて 懐かしく思っていました ありがとうございます
つい一言書かせていただきました
お疲れのことと思います 少しゆっくりされてください
こちらこそ、お久しぶりです。
コメント、嬉しく拝見しました。100歳まで生きるかなあ、と思っていた母ですが、亡くなるときはあっけないもの・・・・・、1月下旬に娘3人で見舞ったときは元気でしたので、なおさらでした。「食べなくなった」と月末に連絡受けてからは、あれよあれよという間に逝ってしまいました。
でも、通夜や葬儀は、それはそれが賑やかで、きっと母も喜んでくれたと思います。