『晴れた日には・・・』

日々の雑感を綴ります。

3月12日 また雪・・・

2024年03月12日 | 日記

数日、好天気が続いたので

一昨日、夫がお墓の掃除に行ってくれました。

 

今週土曜日は、母の四十九日を予定しています。

実際の四十九日は、3月30日ですが、

お寺さんの都合で、二週間も早い四十九日になります。

 

今年の2月は、

畑の土が流されるほどの雨が続き、

3月は、寒中のような寒さと雪で、

なかなか、土手や墓地のぬかるみが収まらなかったのですが、

一昨日は、ようやく土が乾いたので

お掃除に行ってくれたのでした。

 

それが、今日・・・・

またまた・・・雪。

 

はてさて、土曜日はどうなるでしょうか?

無事、納骨が終わると良いのだけれど・・・・・。

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『東へ西へ』

2024年03月10日 | 雑感

♬ 昼寝をすれば、夜中に

   眠れなくなるのは、どういうわけだ ♬

で、始まる 井上陽水の『東へ西へ』

 

最近、テレビからやたらと流れてきて、注意して見てみたら

車のコマーシャルだった。

 

今から50年も前の楽曲。

50年て言ったら、半世紀だよ!

 

学生時代、最初に買ったのは、陽水の「センチメンタル」というアルバムだった。

その中にあった1曲が『東へ西へ』

あの頃は、レコード。LP版。

帰省して、自宅で聴いていたら、父が

「昼寝をしすぎりゃあ、そりゃあ、夜は眠れなくなるさ。当たり前の話だ!」

って、言ったっけ。

あの頃、陽水に夢中だったな(笑)

 

50年前の曲が、今の時代でも受け入れられるんだね。

古さを少しも感じない、あの頃の楽曲。

 

今、はやっている楽曲が、

50年後も、こうして何かに使われることがあるのだろうか?

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

メダカに異変あり

2024年03月08日 | 日記

毎年、寒くなると

メダカの鉢を室内に入れて、

ダイニングの陽の当たる場所に置いて、

可愛がっている。

 

年末年始は、帰省する息子たち家族で

テーブル周りが一杯になるからと、

メダカの鉢は、トイレの手洗いの横に引っ越しをした。

いつもなら、

また、鉢をもとの場所に戻すところだけれど、

1月下旬に、姉夫婦が泊りに来たり

続いて息子たちが一足遅れの帰省をしたり、

そうこうしているうちに、

母が亡くなり葬儀になって、

次の日から、我が家は人でいっぱいに埋め尽くされた。

通夜の日から葬儀を終えるまでは、特にひどかった。

 

葬儀後、二・三日たって

お孫ちゃんが

「メダカさんが死んでる・・・・」

と、知らせてくれた。

1~2匹ほど死んで沈んでいた。

次の日もまた、1~2匹死んでしまっていた。

5日程、毎日のように、死んで沈んでいるメダカが見つかった。

 

今までになかったことだ。

考えられること・・・・・、

約4日間、毎日のように、

人、人、人、でメダカさんにはストレスだったんだろうか?

おチビちゃんたちが、

なにかイタズラしたんだろうか?

ずいぶんメダカさんが減ってしまった。

 

 

例年なら、もうこの時期は、

いつもの場所(玄関先)に出してあげるのだけれど、

今年は、まだまだ氷点下の朝が続き、

日中も気温が上がらない。

 

玄関に移動するのは、

母の四十九日法要が終わってからにしようと思う。

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

春は「名」のみ・・・・

2024年03月07日 | 自然

1月・2月・・・・暖冬でした。

 

このまま春が来るかと思われたのに・・・・

3月7日

今朝の、信州伊那の風景です。

笑っちゃうほど寒いのです。

 

チューリップも雪の下・・・・

♬~ 春は名のみの、風の寒さや~ ♬ です。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

母の戸籍(その後)

2024年03月06日 | 旅行

神戸市に依頼してあった母の戸籍は、

1週間ほどして届いた。

 

こちらの戸籍謄本に比べると、

まあ、文字に癖があり、読み解くのがとても困難だった。

狭い行に、太いペン先で書かれているため、

それもまた、読みにくくさせている。

それでも、なんとか読んでいく。

 

母の父となる人の項目には、

母の母となる人との入籍日から死亡の日までが書かれていた。

 

それから計算すると、

母の父となる人は、母の母となる人と結婚してから

わずか5年もたたないうちに亡くなっていることになる。

その間に4人もの子供を産んで、

4人目の子どもは、父親の死後生まれていることから、

あの時代、

とてもとても、女手一つで4人の子どもは育てられなくて、

母が養女に出された、

ということなのだろう。

 

母の母は、母の養母の妹、ということも判明。

(おばさんのところに養女に来たんだね。)

母の母が、どういう事情で遠く関西まで行って

家庭を持つことになったのかは分からないが、

空想を膨らませれば、

面白い小説が書けるかもしれない(笑)

 

それに伴い、こちらに来てからの母の戸籍を改めてみると

こちらの戸籍もまた面白い。

 

私のじいちゃん・ばあちゃん(養父母)の、

特に養父の家系が興味深い。

じいちゃんの親たちのその親たちの生年月日までが記録されていて

じいちゃんのじいちゃんは、天保13年11月10日生まれ、

じいちゃんのばあちゃんは、嘉永元年6月10日生まれ。

そのまた、親たちの名前は分かるけど、

生年月日までは書かれていない。

 

面白いのは、「隠居」の届け出や

「家督相続」の届け出まで記録されていることだ。

そして、婚姻が文久3年、とあるのもなんだかおもしろい。

こんなに昔のこともきちんと記録されてるんだねえ。

じいちゃんのじいちゃんが、

じいちゃんの父親に「家督」を譲ったという元治元年は、西暦でいうと1864年で、

時代はまだ、徳川の時代、将軍は14代将軍家茂、

調べてみたら、その年は「池田屋事件」が起きた年、ということだ。

 

あの時代のこんな田舎でも、

ちゃんと「歴史」は流れてるんだなあ、と

ちょっと感慨に浸りました。

そうしたことまで判明できたのは、

こちらの戸籍謄本は、とてもきれいな文字で(神戸市とはえらい違い・苦笑)

細いペン先で、とても丁寧に詳しく書かれているから。

 

それらをもとに、今、家系図を作成中(笑)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする