多賀城に多賀神社は二ヶ所あります。
多賀城廃寺(高崎廃寺)付近に鎮座する多賀神社(UP済み)と今回の政庁役所址(市川)に鎮座する多賀神社があります。
地元では「お多賀様」と呼ばれる。
正面には小型の箍(たが)を輪繋ぎしたものが数多く供えられている。
この箍は頭痛を患う者が当社に平穏を祈願し、礼詣りにその者の歳の数の箍を供える。
箍は多賀と同音による供物であり、この供物は他地方の多賀社も同様のようだ。
多賀城市では、この神社について文化財的な要素は無いと見ているようだ。
多分全国に見られる多賀神社系では無いかと思います。
扉の格子から見ると元々小さな社があって、写真にもあるように、その屋根の上に「」という文字が見えます。
この社を覆っているのが、現在の姿です。
提げられた箍を見ればこの地域の人々の信仰が垣間見られます。
裏を覗くと御稲荷さんのような物が?
この石は手水だったのでしょうか。
多賀城廃寺(高崎廃寺)付近に鎮座する多賀神社(UP済み)と今回の政庁役所址(市川)に鎮座する多賀神社があります。
地元では「お多賀様」と呼ばれる。
正面には小型の箍(たが)を輪繋ぎしたものが数多く供えられている。
この箍は頭痛を患う者が当社に平穏を祈願し、礼詣りにその者の歳の数の箍を供える。
箍は多賀と同音による供物であり、この供物は他地方の多賀社も同様のようだ。
多賀城市では、この神社について文化財的な要素は無いと見ているようだ。
多分全国に見られる多賀神社系では無いかと思います。
扉の格子から見ると元々小さな社があって、写真にもあるように、その屋根の上に「」という文字が見えます。
この社を覆っているのが、現在の姿です。
提げられた箍を見ればこの地域の人々の信仰が垣間見られます。
裏を覗くと御稲荷さんのような物が?
この石は手水だったのでしょうか。
それにちゃんと小さな屋根で守っている感じ
中には、朽ちかけた元々な社があります。
つまりこの社は朽ちかけた社を守るために覆い堂のような役割です。
おまけに出会いの記事みたいですし。
多賀が箍って興味深いですね。
このタイミングですし。
私もお猿さんを懲らしめるまたはコントロールするのを直感でイメージしましたよ。
おたがさん、しゃもじでなく箍、くくりつける意味かしら?頭痛の種なので。
番号は9999!笑えますね。
今チラット見てきました。
「綱永井寵生」と書いて、「つながい ちょうしょう」と呼びます(つながい ちょうせい でも可)。
私の姓名判断の知識を総動員して、究極の幸運を享受したいがため苦節30年かかって考えました。
まあ、鬼渡神と深い繋がりがある御井神にあやかって付けたのですがね。
私も多賀神社の由来・祭神を調べたのですが、分からずじまいでした。滋賀の多賀大社と同じ流れなのかも分かりませんでした。
私のブログは「諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流 綱永井寵生」と言うタイトルで駄文を書いています。
お恥ずかしいので、余り見ないでやってください(笑)。
ではでは。
まぁ、体制側から見れば蝦夷は目障りな存在だったことでしょう。
そう言えば地名の由来は調べていませんでした。
境界の意味なら矛盾しませんね。
大野東人を勉強しないと。
この箍を見て、頭痛を想像したら、孫悟空を思い出しました。
この神社については多賀城市の説明はありません。
いつ頃からあったものか?
あら、どんなブログ? あとで探してみます。
さて、「多賀=箍」となりますが、柵の意味もあるようです。
まあ、多賀城も多賀神社も境界線を意味している訳ですね。
もしかしたら蝦夷との戦いは頭痛の種だったから、頭痛治癒の神社になったのでしょうか。
滋賀の多賀大社と同じイザナギ尊・イザナミ尊をお祀りしているのであれば、蝦夷征伐は国産みとの言い訳から建立されたのかも知れませんね。